映画『この世界の片隅に』描かなかったことの大切さ(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

映画『この世界の片隅に』描かなかったことの大切さ(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

今日の映画感想はこの世界の片隅にです。
※12/10:All Aboutの記事を更新しました!
※1/14:シネマズ by 松竹の記事を更新しました!

個人的お気に入り度:9/10

一言感想:この選択で、よかった。

あらすじ

昭和19年、広島市にいた絵が得意な少女・浦野すずは、呉に住む青年・北條周作のもとに嫁いだ。
すずは不器用ながらも懸命に暮らしていたが、空襲が度重なり……。

同名コミックのアニメ映画化作品です。

そのジャンルを分類すれば「戦争もの」になるのですが……この作品は戦争に向かう兵士の様子ではなく、あくまで戦争中の日常生活を描いています
しかもその生活は決して悲惨なものではなく、クスクス笑えるシーンも多かったりするのです。

とんでもない出来事が起こったとしても、人々の生活とはそんなものかもしれませんよね。
戦争中であっても、日常生活を送るだけで精一杯。嘆いてばっかりでいられないは当然ですから。

昭和初期の、「その時」しかない広島の、ただただ「普通」の人々の日常を描いていく……これこそが、この作品のもっとも大好きなところでした。

ていうか、ふっつーすぎる日々を過ごしているキャラクターたちが愛おしくてしょうがないんだよ!
みんな見た目も性格もかわいらしいので、心の底から幸せになってほしいと願いたくなります。

原作者のこうの史代さんのファンであると、もうあのキャラたちが動いているというだけで泣きそうになるんだもん……。
以下の、バイオリンを弾くように料理をするシーンとか最高でしょ!

だけど、その時代は太平洋戦争の真っ只中というわけで……徐々に「戦争」の姿が顔を見せ、「あの日」へのカウントダウンも進んでいきます。
この戦時中の空気を、原作そのままの雰囲気のアニメーションで観られるということは……いままでにない、唯一無二の体験になるはずです。

『マイマイ新子と千年の魔法』で監督の作家性がよりわかる!

本作『この世界の片隅に』が気に入った方は、同じく片渕須直監督作品の『マイマイ新子と千年の魔法』も観てみることをおすすめします。

なぜかというと……原作者が違うのにもかかわらず、本作と『マイマイ新子』は以下の共通点を持っているからなのです。

  1. 方言へのこだわりがすごい
  2. その時代の風習や光景を丹念に描く(時代考証がすごすぎる)
  3. 平和に見える日常の中に、シビアな現実が顔を出す
  4. たんぽぽのほか、「野草」などの自然がたっぷり出てくる
  5. 天真爛漫な少女が主人公になっている
  6. やや寡黙ながらも深いことを考えている男子がいる
  7. 不自由な生活をしている「過去の人」がいる
  8. 「想像の世界」が重要になっている

監督の作家性表れすぎだろ!
『マイマイ新子』は原作から大胆なアレンジが施されていましたが、『この世界の片隅に』は原作にかなり忠実でこれですから……「この監督でなければいけなかった」と思うくらいにマッチしています。

また、じぇんじぇんレンタル店に置いていない片渕須直監督作品『アリーテ姫』も同じく、『この世界の片隅に』と共通点が多い作品になっていました。

※こちらで『アリーテ姫』を紹介しています↓
『この世界の片隅に』が好きな人に観てほしい5つのアニメ映画 | シネマズ by 松竹

原作からエピソードがカットされている、だけど……

映画『この世界の片隅』が原作から最も異なっていることは、あるエピソードがごっそりと無くなっていることです。

1度目に観たときはこの省略はただただ残念に感じてしまったのですが……2度目を観て、さらに原作を再読して、印象がガラリと変わりました。
これは、とても意義のあるカットであると。

何がすごいって、このエピソードをカットすること自体が、『この世界の片隅に』の物語が持っているメッセージをより深く掘り下げていることです。
詳しくはネタバレになるので↓に書きますが、原作を再読してそのことに気づいたとき、身震いをするほどの感動を覚えました。

テンポの早さとモノローグの多さにより、「情報過多」な印象も?

どうしても、この映画で気になったたことがあります。
それは、テンポが早すぎることと、主人公のすずのモノローグ(口には出さないけど、思っていること)が多めなことです。
原作では口に出していたことや、1つのエピソードとして描かれたこともモノローグに変換しているところもありました。

その結果、言葉による説明が「情報過多」という印象を強めています。
しかも、聞きなれない固有名詞や、広島の方言も重なってくるため、「あれどういう意味?」と思っていると、さらにどんどん「置いていかれて」しまうのです。

原作は1コマ1コマの情報量もものすごいため、同じページ数のマンガに比べると、圧倒的に読むのに時間がかかります。
マンガ作品であれば自分のペースで文字をじっくり読めばいいのですが、映画の時間は一定なので、どうしても「ついていく」必要性が出てきてしまうのです。

登場人物の心の動きは、映画でもとても繊細に描かれています。
しかし、この映画ではモノローグで過剰に「装飾」してしまっている印象がありました。
わかりやすさを優先した結果なのかもしれませんが、自分は反対に、言葉での情報量が多すぎるために、頭の中での処理が難しくなっていると感じました。
(その一方で、さらっと流してしまいすぎて、ものすごく「読みとる力」を要求されるシーンもありました)

同じくマンガを原作としたアニメ映画『聲の形』は、モノローグが原作よりも大幅に減り、そのぶん「映画ならではの技法」で登場人物の心情を描いていました。
本作も同じように、映画という媒体ならではの、モノローグを最小限にとどめる工夫がほしかったのです。

そんなわけで、映画『この世界の片隅』はテンポが早く、情報量が多すぎるため、一度観ただけではわかりにくいところもある、という欠点があることは、否定できません。
ぜひ、わかりにくかったところの補完のため、原作も読んでみることもおすすめします。

「その日」がやって来る

原作は1話ごとに、起承転結のある作りになっていました(例外もあり)。
つまりは一定の間隔で「オチ」があるのです。

長編映画では展開のダイナミズムが求められるところもあるので、この原作とは少し食い合わせがよくないかな……と危惧していたのですが、その不安は少し当たっていました。
「暗転」の演出が多様されていることもあり、やや単調さを感じてしまったことも事実です。

しかし、これは一概には欠点とは言えません。
その単調さの中にも、いくつもの伏線や、「その日」へのカウントダウンが進んでいることの不穏さ、少しだけキャラクターのいいところだけでなくエゴも見えてくる……と、「はっきりとは見えない怖さ」があったりするのです。
単調すぎないようにするため、時折「はっ」と気付かせる演出も使われています。

また、あらゆる出来事を「あっさり」と描くことが、原作の魅力とも言えるんですよね。
この魅力は、映画においてもまったく損なわれていません。

そんなわけで、『君の名は。』のような、過剰にも思える演出や力強い言葉で攻める作品とは、かなりテイストが異なっています。
どちらがいい、悪いというわけではありませんが、『この世界の片隅に』は演出上、ストレートに観客の感情を盛り上げてはくれない、ということは事実です。
それでも、『この世界の片隅に』はキャラクターの内面を読み、作中に映るさまざまな細かい出来事に気づくと、より奥深さがわかるようになっているということは、覚えていてほしいです。

アニメならではの演出や、のんの演技が最高だった!

苦言を呈しましたが、それでも10点満点中9点なのは、上に挙げた『マイマイ新子と千年の魔法』との共通点や、意義のあるエピソードのカットのほか、以下の要素が素ん晴らしすぎるからです。

  1. アニメーションならではの演出
  2. キャラクターみんなが超かわいい(特にすずの「ありゃあ」な顔)
  3. 日常シーンと、爆撃シーンの激しさとのギャップがすさまじい(より戦争の恐ろしさが伝わる)
  4. ハマりすぎな声優陣
  5. コトリンゴによる音楽
  6. ラストの画
  7. エンドロールの構成

特に1.は素晴らしかった……。
何せ、原作の「マンガならではの演出」が、「アニメでしかできない演出」へと変わっていたからです。
これは、絶対に実写映画ではできないでしょう。

のん(前:能年玲奈)のハマりっぷりは、誰しもが思うところ。彼女の普段からのほわほわした雰囲気と天然っぷりが、この「いつもぼーっとしてるけえ」と言っている主人公とマッチしすぎなんですよね。
そのほか、 細谷佳正、小野大輔、潘めぐみといった人気声優も抜群の存在感を見せています。

※以下の新規録音されたのんの声も素晴らしすぎる!

ラストとエンドロールは、1度目の鑑賞では気づかなかった新たな感動がありました。
こうした点でも、本作はもう1回鑑賞する価値がある……いや、2回目を観ることで、さらに感動が大きくなると断言します。

わかりにくい方言や用語

せっかくなので、字幕がないために、ちょっとわかりにくい用語を以下にまとめてみますね。青い文字をクリックするとwikipedeiaのページに飛びます。

  • モガ……モダン・ガール。流行に乗った若い女性のこと。モダン・ボーイと合わせて「モボ・モガ」とも呼ぶ。
  • もんぺ……女性向けの労働用ズボン
  • 隣保館(りんぽかん)……地域の人に適切な援助を行う福祉施設
  • 工廠(こうしょう)……軍隊直属の軍需工場
  • 江波(えば)……広島市中区に位置する地区
  • 冴えん……劇中では名詞のようなイントネーションだけど、「冴えない」の意。
  • 挺身隊……女子挺身隊。女子の労働組織で、主に未婚女性で構成されていた。
  • かなとこ雲……成長した積乱雲で、頂上部分が広がって平らになっている。
  • JOFK……NHK広島放送局の識別信号。
  • 英霊(えいれい)……戦死者の霊を敬う言葉
  • スフ……レーヨンのこと

学べる映画でもあった

これはオススメ……どころではありません。
世界中の人に、絶対に観て欲しいです。

すずのいた戦前の日常は、決して過去だけのものとは限りません。
今の、先行き不安な世の中において、彼女たちの生活からは、きっと学ぶことが多いはずですから。
この世界の片隅に生きるすべての人が、元気をもらえる作品なのですから。

まずは予備知識なく、観てください。
そして、原作を読んでから、もう一度劇場へ足を運ぶことをおすすめします。

笑えるシーンが多いけど……

映画を見返してみると、「笑えるシーンが多いけど、実はかなりキツいことも描かれているのでは?」と思ってこちらの記事も書きました。途中からネタバレがあるのでご注意を↓
『この世界の片隅に』笑えるからこそ気づきにくい盲点 [映画] All About

※徹底した時代考証がされているので、以下のような広島のこと、当時の生活を知っていないとわからないシーンも多数あるのです!


以下は結末を含めてネタバレです。原作との違いにも少し触れているので、未読の方はご注意を↓

リンのエピソードの省略のために……(野暮な不満点)

回想として描かれたリンのセリフ「この世界にそうそう居場所は無くなりゃあせんよ」は、劇中では「初耳」でした。
原作では、このセリフは、すずとリンが再会した時のものだったんですよね。
リンのエピソードのカットのために、「あれ?こんなこと言っていたっけ?」と思ってしまう不自然さが残ってしまったのは、少し残念でした。

また、原作の「桜の木の上にすずとリンがいる」画を、映像でも観たかったのです……。
新装版の原作の下巻の表紙になるくらい、美しいシーンだったので。

なお、このシーンは以下の海外版の予告編で一瞬だけ映っています。

つまり、この桜のシーンはせっかく作られていたのにも関わらず、完成版ではカットされていたのでしょう。
いつの日か、このシーンを含めた「ディレクターズ・カット版」が観られることを期待しています。

妊娠→勘違い

すずの妊娠が勘違いだったということは、原作では明確に語られていたのですが……。
映画ではすずが病院から出てくるシーンが、遠い画で2~3秒映るだけなのでちょっとわかりにくいですね。
(ここでは珍しく、言葉による説明も、モノローグもありません)

映画でも、朝に2人分(赤ちゃんを含めた)のご飯が、夜にまた質素な1人分になったことで十分わかるようになっています。
妊娠の間違いをさらっとギャグとして流すというこのシーンは原作にもあるのですが、映画ではさらにそのおかしさが際立っていました。

たんぽぽ

初めに『この世界の片隅に』タイトルが映し出されたとき、そこには「白いたんぽぽ」「黄色いたんぽぽ」「綿毛になったたんぽぽ」が映し出されていました。(※以下の画像は予告編からのキャプチャー)

飛んでいるたんぽぽの綿毛は、これからどこかで種が落ちて、またきれいにたんぽぽが咲く、という未来を表しているようでした。
違う種類のたんぽぽがあることは、違った人たちがこの世界(の片隅)に生きている、という「多様性」を示しているかのようでした。

このタイトル+たんぽぽのシーンの前後で、青い空が広がっているというだけでも、もう涙が出そうでした。
これから、その空に戦闘機がやってきて、爆撃されること、原子爆弾が落とされることが「わかっている」のですから……。

奥に向かう画

本作の画のほとんどは日常生活を切り取った「絵」のようなものであり、「空間の広がり」を感じさせるものではありません。

しかし、2度だけ「奥に向かう」というシーンがありました。

  1. 晴美を失ったすずが、時限爆弾から逃げるように走るシーン
  2. すずがサギを追いやり、呉の光景が思い浮かぶシーン

この「奥に向かう」画は、すずの願望を表していると言っていいでしょう。

いままで立体的でなかった画が、奥行きのある画に変わることにより、すずの切実な気持ちを表現できているんですね。

晴美を失ったすずが、真っ黒の画の中で、「線香花火」のような光景を見るのも映画オリジナルです。
こうしたアニメでしかできない表現には、唸らされました。

そうそう、最後にすずが広島に戻った時、何羽かのサギがそこを飛んでいました。
このサギが、すずが追いやったサギだったら(原爆に巻き込まれることはなかったら)いいな……。

また、すずがなくなった右手を見つめているとき、徐々に拝見が「水彩画」のようにボヤけていくこともすごかった……。
彼女の「歪(いが)んでいく」気持ちそのままのようで……。

リンに再会しなかった理由

リンは、こうすずに話していました。

「こんなとこ、さいさい来るもんじゃないさ」

これは、リンがいた場所が、男に体を売る「遊郭」という場所であったから……というのが大きな理由でしょう。

そして……原作ではすずはリンと別の場所で度々再会していましたが、映画では一度も2人は再会することはありませんでした

じつは原作では、リンと、すずの夫の周作とが、過去に関係を持っていたことが描かれています
それを知ったすずは、こう思っていました。

「そりゃあもともと(周作は)知らん人じゃし、4つも上やし、いろいろあってもおかしうない。ほいでもなんで、知らんでええことかどうかは、知ってしまうまで判らんのかね」

原作のすずは、リンと再会したことで、リンの「さいさい来るもんじゃない」という言葉を裏付けるかのように、「知らなくてもいいこと」を知ってしまいました。

この後に幼馴染の水原といっしょに布団で話したとき、すずははっきりと「あん人に腹が立って仕方ない」と言っており、(リンと関係を持ったことを知ったため)周作に愛憎の両方の感情を抱いていることがわかります。

これは映画でもあったセリフですが、リンと周作の関係を知っているか否かで、意味合いが違ってきます。
映画では、すずは一切のわだかまりを持つことなく、周作のことを好きでいられ続けました
映画のすずは、リンと再会しなかったために、「(周作とリンが関係を持っていたという)知らなくてもいいことを知らない」という、選択肢を取ることができたのです。

なお、映画でも、周作とリンに関係があったことは、「切り取られたノート」という形で登場しています。
この切り取られたノートの意味は、ぜひ原作を読んで確認してみてください。

最良の選択

「今のうちが、ほんまのうちなら、ええ思うんです」と言うすずに、周作はこう話していていました。

「過ぎた事、選ばんかった道、みな、覚めた夢とかわりやせんな。
すずさん、あんたを選んだんは、わしにとって多分最良の選択じゃ」

この言葉は、前述の「すずとリンが再会しなかった(すずがリンと周作の関係を知らないままでいられた)」という、映画での選択肢にも重なります。
選ばなかった道について後悔するのではなく、今の現実が最良だと思うことも、大切ではないかと……。

記憶と秘密

原作でリンは、すずにこのように話していました。

「人が死んだら記憶も消えて無うなる
秘密は無かったことになる。
それはそれでゼイタクなことかも知れんよ」

そして、原作で(おそらく)リンの死を悟ったすずは、このリンの言葉にこう返していました。

「ごめんなさい、リンさんの事、秘密じゃなくしてしもうた。
これはこれでゼイタクな気がするよ・・・」

つまり、原作のすずは、過去にリンと周作が関係を持っていたという「秘密」も含め、リンの「記憶」を持ったままでいる、ようにしたんですね。

しかし映画のすずは、そのリンの秘密を知らないままでした。
つまり、映画のすずは、「秘密は無かったことになる」という、リンが思っていた「ゼイタク」を手に入れていたのです

しかも、映画のすずは、リンに一度しか出会わなかったにも関わらず、「リンさんを2、3回見かけた気がする」と思っていました。
リンの言う「人が死んだら記憶も消えて無うなる」なんてことは、なかったんですね。

知らなくてもいい秘密は知らないままだけど、大好きな人(リン)の記憶は残る。
映画では、そのように、すずにとって「最良の選択」ができていたのです。

なお、これらのリンのエピソードのカットについては、発売中の「ユリイカ」にて、片渕須直監督の言葉として明確に書かれているそうです。

↓こちらのブログ記事にもその内容が記されているので、ぜひ読んでください。
ユリイカ「この世界の片隅に」 感想 【片渕監督の込めた「すず」という少女への愛】 : ナガの映画の果てまで

また、エンドロールの、クラウドファンディングに参加してくれた人々のクレジットの下に映し出されたのは、原作でも描かれていた「リンという少女の一生」でした。
ここで、映画を応援してくれた人たちに、「リンの記憶」を思い出させてくれることにも、片渕須直監督のやさしさを感じました。

※ちなみに、原作で遊郭にいた「病気の赤毛の娘」も作中にチラッと登場しています。

抱き合う2人

映画において、リンと再会しなかったことでの救いが、もう1つあります。

サギを追いやった後、すずは「広島に帰る!」と言って聞きませんでした。
そんなすずを見て、周作は「勝手にせい」と言い放ちながらも、空襲から守るために、すずをぎゅっと抱き寄せます。
すずは、その周作の体に、すっと手を回しました。

原作では、この時に周作は「リンの消息」について口にしており、2人はやはりわだかまりを抱えたままだったんです。

そして、映画での「すずが周作の体に手を回す」シーンは原作にはないのです。
ただただ、愛しあう2人の、双方がお互いを大切に思う気持ち……それを拾い上げてくれたことに感動しました。

抵抗

すずは「いつもうちはぼーっとしとるけえ」と言っている、おっとりした女の子でした。
だけど、家が焼夷弾で燃えそうになったときは声を荒げながらもその火を消そうとし、日本が戦争に負けたと知ったときには原っぱにつっぷして号泣しました。

すずは「ぼーっとしたまま死にたかった」と言っています。
おっとりしているように見えたのも、彼女が人として間違った気持ちを持たない「無垢」な存在でいたかったからなのかも……。
ぼーっとしているようなすずの性格は、残酷な戦争が起こる世界での、必死の「抵抗」であるかのように思えたのです。

想像の絵

すずは「この世界の片隅に、うちを見つけてくれてありがとう」と周作に言っています。

この前にすずは、原爆が落ちた後の街で「みんなが誰かを亡くして、みんなが誰かを探している」ということを実感していました。
その世界の中で周作と出会えるという奇跡に、すずは今一度、感謝を告げたのでしょう。

思えば、子どものころのすずは「人さらいに会う」という「想像」をしていましたが、「現実」ではこの時に周作と初めて出会っていたんですよね。
ここで、「想像上のものが現実に及んでくる」ということを示しておくことも重要なっています。

なぜなら、夜空には、まるで絵のような星々が広がっていたのですから。
それは、すずが無くした「右手」が描いたような、素朴で、美しい光景で……

この前にすずは、自分の「鬼(おに)いちゃんが死んだらええと思っていた」という気持ちについて、「左手で描いた絵のように歪(いが)んどる」と考えていました。

だけど、ここでは、無くした右手がすずの頭をそっと撫でて、その右手が描いたような「想像」の絵が広がる……。
想像が現実になったような、忘れられない光景でした。

反対の手

すずは、右手で手を繋いでいた晴美が時限爆弾で死んでしまったことに、「もし晴美さんと繋いだ手が反対だったら……」と後悔していました。
「今のうちが、ほんまのうちなら、ええ思うんです」と「今のこの選択」を肯定したいと思っていたすずにとって、なんと残酷なことでしょうか。

でも、周作は悩んでいるすずに「過ぎた事、選ばんかった道、みな、覚めた夢とかわりやせんな」と言ってくれました。

そして、最後に孤児として北條家に迎えいれられた女の子は、その母親が右にいたためにガラスに刺さらずに、生き延びることができていました。
女の子は、すずの場合と逆の手で繋がっていたことで、助かっていたのです。

すずは「なんも知らんうちに死にたかった」と言っていました。
それは、晴美を殺してしまったという罪の意識もあったからなのでしょう。
(すずは、死んだ晴美がお花畑にいるところを想像し、「あの向こうこそ、うちの居場所だったんじゃろうか」と言っていました)

最後に表れた(この世界の片隅に生きることができた)女の子は、そんなふうに罪を背負い続けたすずに、救いをもたらす存在でした。

明かりのついた家々と、光り輝く星々

ラストでは、家々に明りがつきながらも、すずの無くした右手で描いたような星々もまた輝いていました。
こんなにも地上が明るいのに、星々が輝いている、というのも、現実ではありない光景です。

しかも、中盤で周作の母が「みんなで笑って暮らせたらええ」と思ったように、みんなには笑顔が戻っているんです。
それは、まるで覚めない夢のような、最良の選択の結果のようで……

そのことを、想像の「明かりのついた家々と、光り輝く星々」で映している。
この後のみんなの幸せが想像出来る、素晴らしい幕切れでした。

ラジオレビューもぜひ!

『火垂るの墓』との違いや、この作品全体を包んでいる意義、さらなる細かい描写について、しのさんと語ったラジオレビューを公開しました!

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(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

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  1. シオン=ソルト より:

    > 世界中の人に、絶対に観て欲しい

    自分はこれには疑問があります。

    というよりも、本作を観ていてずっと違和感があったのでした。
    本作が悪いという意味では無く、とにかく「何か違う」感が続いていました。

    空襲のシーンになり、その違和感の理由が見えたのですが、結局のところ、日本は“太平洋戦争”から抜け出していないのです。日本で戦争と言えば太平洋戦争であり、戦争映画と言えば太平洋戦争を描いたもの。無論、これは日本が経験した戦争という意味では当たり前なのですが、しかし(これを言うと批判的な声も上がるでしょうが)それは70年も前の話。当時の戦争を知る世代は最早少なく、現代の戦争を知る日本人もまた殆どいない。
    私が日頃、紛争時事に触れていたことがら、本作を観て「これじゃない」感を受けたのだと思いました。

    一区画が一発で煙になるような爆弾が当たり前のように使われる現代の戦争の図を日常茶飯事的に見ていると、日本人の意識が世界から取り残されている、そんな気がしたのです。本作が「救いのある戦争映画」であることが尚更、今の日本人らしい作品だと感じさせた。それは本作に対する否定ではなく、日本と言う群像それ自体に対する興ざめのようなものでした。

    海外の人が本作を観たとき、どのような反応を示すのか。
    私もそうした観点から、気になっています。

    • ナガセ より:

      とても勉強されていて、見識ある方だと思うのですが、あえて言わせていただきます。

      太平洋戦争から抜け出せていないと言う文書がありましたが、これは第二次世界大戦参戦国ならどこの国でも同じでしょう。世界中で第二次世界大戦を舞台とした作品は毎年のように出ています。
      国家的な立場についておっしゃっているにしても、アメリカだって、ドイツだって、ロシアだって、どこの国だって第二次世界大戦の結果を踏まえた立ち位置を今なお取っているじゃありませんか。
      結局、現代史は第二次大戦を踏まえなければ語ることはできないのです。
      映像作品として現代戦のものを撮れと言うのであれば、戦争をしていないのにどうしろととしか言いようがありません。

      またこの映画は戦時下を舞台にしていますが、戦争映画ではありません。
      この映画はセカイに自身の生活を奪われ、それを受け止め、前を向き、再生していく話なのです。
      故に普遍的で、舞台を3.11にも9.11にも置き換えることができるものなのです。

      だから私はこの映画は世界中の人に見て欲しい

      そう思います。
      長々と駄文を失礼しました。

    • モリゾ より:

      私もこの映画を世界の人に見てもらいたい人たちのうちの一人です。
      この映画は戦争映画でこそあれプロパガンダではないと感じました。
      永遠の零などでは美化されたり戦後的解釈で戦時中の日本軍の国民を苦しめる様子をステレオタイプにつかったりされます。
      しかしこの映画は地上戦と主人公の対立構造で
      他の方のコメントにある通り自然災害のようになすすべもない日常が描かれているため普遍的な戦時中が描かれていると
      考えています。

  2. yamsan より:

    日常的に死が隣り合わせの現実が、今現在も存在している。
    そういったことに若い人だけではなく、日本人が注目することはTVを除けばないでしょう。
    それが、現実としてあったことを、アニメーション映画で追体験することで、戦争の悲惨さ、日常との縁続きの、いや日常そのものであることを知ることができます。

    逆に言えば、戦争が悲惨なのは、負けたから。自国民に数多くの被害が出たからに過ぎません。第二次大戦前の日本において、戦争とは直接戦闘する機会のある人を除けば、どちらかというと儲かるものでしかなかったのだと思います。

    それが、誰もが被害者となりうる世界だということがわかったのが、今であり、現代です。非日常と日常は陸続きであり、境目なんて幻想なのです。

    歴史的な経過は、時に何かを見失わせるでしょう。でも、だからこそ、時の経過でその本質がわかる場合もあるのだと思います。規模ではなく、現実と陸続きであるということにおいて。

  3. マクフライ より:

    見てきました。自分は今年のベストワン候補になりました。自分の感想をネタバレ込みで書きます。相変わらず下手くそな文章ですがご容赦ください

    原作は未読の状態で見ました。確かにこのシーンはどういうことなんだろうとか、これはどういう意味なんだろうと思うようなシーンもあったのですが、自分はそこまで気にならなかったですね。とはいえいずれ原作も読んでみたいと思っています。

    モノローグのシーンは自分は良かったんじゃないかと思います。自分も最近の邦画や日本のアニメでよくある登場人物が自分の感情をベラベラと喋るだけのシーンはあまり好きではないのですが(某ラノベ原作アニメは酷かった・・・)、この映画に関しては例えばすずさんのナレーションと同時にすずさんが描いた絵が動いてるシーンはなかなか面白いと思いました。

    とにかくすずさんが最高に良かったですね、いわゆるドジっ娘みたいなキャラクターですが、がんばり屋の性格なので最後まで応援したくなるキャラクターでした。能年玲奈の演技は正直最初は不安でしたが、見終わった頃にはすずさんの声はこの人以外あり得ないと思うようになりました。

    あと、これは個人的な話になるのですが、自分には2歳になる姪がいるのですが、不発弾の爆発で晴美ちゃんが死ぬシーンはどうしてもその姪と重なってしまって、見ていて死ぬほど辛く、泣いてしまいました。でもだからこそ最後にすずさんが戦災孤児の女の子を拾って養子にするシーンは希望を感じ、違う涙を流しました。

    自分もこの映画は世界中の人たちに見てほしいです。なぜなら、これは戦争うんぬん以前にいつも通りの日常を生き抜こうとした人たちのドラマとしても素晴らしいと思ったからです。

  4. ダーク・ディグラー より:

    何かロバート・アルトマン監督の『M☆A☆S☆H』みたいな感覚覚えました。

    コミカルでシニカルで残酷なシーンは残酷に描くみたいな…

    印象的なのは日本が戦争に負けてすずが泣くシーンですね。

    当時誰しもが「日本は勝ちます」と煽って国からも世間様も疑うなと言う時代に国の都合で創造の自由の右手や姪の晴美を失ったんですから誰しもが納得できない部分を陰で泣くことを象徴させてますね。

    すずの妹も原爆の後遺症で命の灯の無さを右手で象徴させてますね。

    原爆孤児拾い家族にしてそれでも生きていくんだよ!と希望の持てるラストはいいですね。

  5. ひぃ より:

    すずさんが生きていた頃の時代、同じ地に父方の曾祖母がいて
    今はもう天国へ行ってしまったのですが、私が幼い頃山の方を指差して
    「あの時ねぇ、もの凄い音と一緒にピカッと写真を焚いたように光って、わたしは洗濯物を干してたから、山のほうにものすごい煙が上がるのが見えたんよ」と言っていたのを思い出しました。
    すずさん、という存在、北条家の人々がまるで血肉を持ったように身近に感じられ、親類のように親しい気持ちで映画を見る事ができました。

    地元民が見たら「あっ、この建物知らないけど、この土地の形はまさか!」と思う程ディティールが徹底されているのでまたぜひ二回目を見に行って再確認して灌漑に耽りたいです。

  6. […] ですよ!)↓ 映画『この世界の片隅に』描かなかったことの大切さ(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー) […]

  7. 5時半の男 より:

    通りすがりに失礼します。映画観ました。
    一言では言い尽くせない、いい映画ですね。
    映画を観た後の第一印象が、『ノーカントリー』と似ているなと思ったのです。
    観客の日常の地続きの世界として、広島県の呉市や江波、広島市があり、今はなくなった世界であった物語だからかもしれません。
    物語の世界は既視感を覚えるほどに真に迫っていながら、映画それ自体は虚構(アニメだから当然)です。
    結婚から始まる夫婦生活。何年も何年も重ねる人生の出来事が薄まることなく、ほんの数時間に凝縮されて、生き延びる者と死者の間には全く差異がなくて、たまたまの偶然で生死が決まるという現実が、どんな最良の選択をしていても、生死の境においてなんの価値もないという現実まであって。
    だからこそ、太平洋戦争のみならず、死者、取り分け犠牲者を弔うのに最良の語り口になっていると思います。死者を自分の主張の中に召喚することなく、キャラクターを本当にあったかもしれない物語の中で生かして死なしめる。
    そうした物語によって引き起こされた責任感のような感覚は、『ノーカントリー』のラストシーンで保安官が語る物語を聞かされた時のように響きました。
    『この世界の片隅に』は、きっと誰が語っても同じように語れません。犠牲者達が残した無限の残響の中に、何か意味を見つけようとさせる、そんな映画だからです。

  8. さいご泣きそうになりました より:

    戦争の現場は本当に残酷で無慈悲で悲惨
    これは日本人が身にしみて味わった教訓なのだから、耳に痛くても忘れてはいけないですね
    第2次世界大戦に勝った側の米中露は、いまだに戦争で儲けて、他国を攻撃しているわけで
    中国も悲惨な目にあったのに、残虐な日本兵を自力で倒したと歴史捏造した結果が、現在の姿
    それが隣国なのだから、軍事力、軍事同盟で戦争にならない優位を保つことは必要悪なのに、戦争法案絶対反対を叫ぶ自称平和主義者の、お花畑脳はどうしようもない

  9. いいこま より:

    10日に観てきました(原作未読で観てしまいましたが原作はその後購入して読破しました)。まあ、その後いろいろあって書くのは今日になってしまいましたが。
    個人的に「これは『君の名は。』『聲の形』に匹敵するっていうのもわかるなあ」って感じました。ただ感想を言葉で纏めようとしてもどういうわけか出てこなかったですが…。
    >そのジャンルを分類すれば「戦争もの」になるのですが……この作品は戦争に向かう兵士の様子ではなく、あくまで戦争中の日常生活を描いています。
    しかもその生活は決して悲惨なものではなく、クスクス笑えるシーンも多かったりするのです。
    >>自分はこれに関して「そういえば『小さなおうち』において主人公の大学生が大伯母からきいた話でも戦時中だからと言って暗いとか殺伐とかってわけじゃなかったなあ」っていうのを思い出しました。
    なんていうか本当に基本ほのぼのしてて愛おしかったです。
    >だけど、その時代は太平洋戦争の真っ只中というわけで……徐々に「戦争」の姿が顔を見せ、「あの日」へのカウントダウンも進んでいきます。
    この戦時中の空気を、原作そのままの雰囲気のアニメーションで観られるということは……いままでにない、唯一無二の体験になるはずです。
    >>同感っていうかコメントの最初の御三方のご意見とやや被ってる感がするものの「この作品の場合は戦争だけど自然災害、テロ、交通事故etcに置き換えても成り立つな」と感じましたがだからこそ自分は徐々に戦争が侵食し「あの日」の足音が聞こえつつある日常の姿に何気につらい想いを抱いてました。
    >テンポの早さとモノローグの多さにより、「情報過多」な印象も?
    >>方言や固有名詞は一部わからなくて「広島出身の知人を同伴させとけばよかったかなあ」と半ば本気で考えたこともありましたしパンフを読んで「ああ、そういう意味か」となりましたがそれでも大体こういう意味だろうと解釈してやり過ごしてたこともあり自分はあまりそこのところは気にならなかったです。
    >長編映画では展開のダイナミズムが求められるところもあるので、この原作とは少し食い合わせがよくないかな……と危惧していたのですが、その不安は少し当たっていました。
    「暗転」の演出が多様されていることもあり、やや単調さを感じてしまったことも事実です。
    >>なるほど…。自分は多少ぶつ切り感を感じたところはありましたが然程気にしてなかったです。
    >のん(前:能年玲奈)のハマりっぷりは、誰しもが思うところ。彼女の普段からのほわほわした雰囲気と天然っぷりが、この「いつもぼーっとしてるけえ」と言っている主人公とマッチしすぎなんですよね。
    >>過去に一度声優経験があるとはいえここまでハマるとは正直予想だにしてなかったです。5年前にもやってましたが後々実写化することようなことがあったらそちらもこの人でいいんじゃないかと個人的に感じます(ましてや観てないので何とも言えないにせよ『あまちゃん』の天野アキに見えたところもありましたし。まあ、そもそもやめといたほうかもしれませんが)。
    >「さようなら広島」
    >>このシーンでは「この場合故郷にサヨナラって意味だろうけど違う意味でもさよならになるんだよなあ…。」って感じてしまえて…。ましてや産業奨励館まで描かれてるので。
    まあその分あとの落ちが笑えたのが救いでしたが。
    >円形脱毛症
    >>これに関してはコミカルに描かれてたように自分も感じたので普通に笑ったところですが同時に「まあこの家だったらストレスで禿げても無理ねえわw」と普通に感じてました。
    >また、原作の「桜の木の上にすずとリンがいる」画を、映像でも観たかったのです……。
    新装版の原作の下巻の表紙になるくらい、美しいシーンだったので。
    >>原作を読んだ身として同感です。
    ていうか新装版下巻の表紙になってたんですね。自分の購入した上中下巻は違ってたので知らなかったです(下巻1ページ目にありましたが)。
    >すずの妊娠が勘違いだったということは、原作では明確に語られていたのですが……。
    映画ではすずが病院から出てくるシーンが、遠い画で2~3秒映るだけなのでちょっとわかりにくいですね。
    (ここでは珍しく、言葉による説明も、モノローグもありません)
    >>ここは映画版観賞時は意味に気づいてなかったですが原作を読んで初めて意味が分かりました。あとすずさんが不妊体質だったのを観賞時知らず「二人の間の子はどんな感じなんだろう」と想像してしまったのが…。(´・ω・`)
    >リンに再会しなかった理由
    >>原作を読んでる間にも「実は昔リンさんと周作さんの間に関係があったくだりは映画版でやらなくてよかったろうなあ。あれは夫婦間の間に疑心暗鬼生んじゃう」って感じてたので同感ですがヒナタカさんの意見を聞いて「あの人に腹が立って仕方ない」の台詞の意味合いがリンさんとの再会があるのとないのとで意味合いが変わるのは見事に失念してました…。
    >抵抗
    >>昨年11月のフランスのテロで妻を喪った方が「実行側の所業を気に留めずにただ日常を生きるのも一種の抵抗・戦い」と仰ってた記憶がありますが、やはりそれと似た意味合いもこの場合あったのかもしれないなあ…と個人的に感じました(違ってたら申し訳ないです)。
    しかしその方がどうかは兎も角すずさんの場合水原にも言われてるように「いい意味での普通」なのが戦争の足音が近づき晴美と右手を喪ってしまい居場所を見失いそして少女みたいな感じでいられなくなる…となってしまったのが何気に哀しいところです(尤も、映画版では「少女と大人の境目の印象が強い」のに対し原作では「こういう大人になりたいという理想を持っており少女のまま嫁いだ印象はない」とこうの先生は語っているので意味合いは原作・映画版それぞれで異なるのかもしれませんが)。
    >すずは「なんも知らんうちに死にたかった」と言っていました。
    それは、晴美を殺してしまったという罪の意識もあったからなのでしょう。
    >>「自分も強くありたい。暴力に屈してたまるか」と思ってたのに昭和天皇の「堪え難きを堪え…」の敗戦宣言でこの国が暴力に屈するような国だったと知りそしてこれまでの抵抗が否定されたように感じられたから、と自分は解釈してましたが径子さんの嗚咽も描かれてますしそういうところもひょっとしたらあったのかもしれませんね…。

    それでもすずさんが居場所を見つけ、そして何があろうと前を向いて生きていくことを決めたすずさんの未来に幸あれ…。と思ってたら監督から「今も健在でカープの応援を元気にやってる」という設定を聞いて「おおーっ!」ってなりました。
    あと別作品で恐縮ながら『夕凪の街 桜の国』の原作を過去に読破しようとして途中頓挫してしまった次第ですがまた読んでみたいものです。

    纏めきれてないですし間違ってるかもしれませんが以上です。

  10. サントラくん より:

    映画を観た後で原作を読んだ者です。

    それぞれ違う良さがあり、深さがあるのでどちらも繰り返し観たく、読みたくなります。

    自分は読解力が弱いので、原作で気になる場面が幾つもあったのですが
    ひとつだけどうしても気になるエピソードがあります。

    20年12月、第43回の『水鳥の青葉』です。

    125ページですずさんは、ひとりたたずむ哲さんらしき人に気付きますが、
    声を掛ける事もなく通り過ぎる代わりに「いまあなたの笑顔の端に…晴美さんがちいさく宿っていた」
    と、心の中で語りかけるような場面があります。

    このシーンには同時に「この世界で普通で…それが出来んようなら忘れてくれ」という哲さんの
    過去のすずさんへの言葉も載せられていて、すずさんは「もう自分はこの世界では、哲さんの言うような
    普通で、まともではなくなった」と考えて敢えて声を掛けなかったのだろうかと思ってしまいました。

    この後にすずさんは何か吹っ切れたように微笑みを浮かべるのですが
    自分はこの解釈について正直今ひとつ自信が持てません。というかこの解釈では
    何かいちまつの寂しさ、もしくは空しさが残ります。

    もしも何か御意見頂けるようであれば幸いです。

  11. marron より:

    原作やドラマは観ていませんが、映画を見て後悔しました。
    また、広島の八丁座での舞台挨拶を聞いて怒りを覚えました。
    この映画は、原爆の恐ろしさについて見た人に誤解を与えてしまいます。

    監督は、原爆に焼かれた被爆者の写真や被爆者自身が描いた絵を見ていないのでしょうか。
    正視することさえ恐ろしいほどに焼け爛れた悲惨な姿を見ずに、適当に描いたのでしょうか。
    それとも見たうえで出鱈目を描いたのでしょうか。

    隣保館で亡くなったご近所の息子さんを母親ですら分からなかったのは、無残にも全身が焼け爛れていたからですよね。しかし、ちゃんと服を着て帽子まで被っていましたね。
    隣保館の壁に残された黒い跡は、『死の影』を意識したのでしょうか。だとしたら、これも全くの出鱈目です。現物は原爆資料館にあります。一度見ていただきたいですね。
    原爆で亡くなった女の子の母親は、右手首を失い右半身にガラス片が刺さって悲惨な姿でした。
    被爆時は屋内か物陰にいたんでしょうね。
    確かにそうゆう方もたくさんいらしたとは思いますが、被爆死した方の象徴として描かれるのならば、右半身の服は焼け落ち、身体は高熱で焼け爛れ皮膚は剥がれて垂れ下がる、そのように描かれるべきではないでしょうか。私の叔母がそうであったように。

    50年前であれば、八丁座のあたりを歩けばケロイドのある方とすれ違うことも珍しくはありませんでした。『死の影』も普通に広島銀行の前にありました。でも、広島ですら原爆の記憶は失われつつあります。
    広島駅や福屋や護国神社がどうとか、はっきり言ってそんなことは枝葉のことです。
    いや、産業奨励館(世界遺産の原爆ドーム)ですら所詮は唯の建物にすぎません。
    風景や建物をどれだけ精緻に描いたところで、そこで生きた人がどのようにして死んでいったかを描かねば唯の風景画にすぎないのでなないでしょうか。

  12. 言わずにはいられなかった…。 より:

    映画はまだ見ることができていませんが、↑の方の発言が気になったので、お節介ながら一言述べさせていただきます。

    この映画を見て「核兵器の威力なんてたいしたことない」などと思った人が身近にいらしたのでしょうか?
    本当に?
    もし、実際には存在しない人を想定して批判しているのであれば、それは卑怯な行為だと思います。

    この映画を見て原爆の恐ろしさを誤解するような人が仮にいたとしたら、その人には「はだしのゲン」を突きつけてやればいいのではないでしょうか。

    • しまおか より:

      至極同感です
      原爆の恐ろしさが正確に描かれていないという指摘・・

      まさかこの映画だけで戦争の全てを理解しようとする人はいないでしょう。
      この映画は、他の戦争映画をみたり、ドキュメントや歴史の本などから
      空襲や原爆の知識を得ている人が鑑賞するのを前提としているはず。
      教科書として造ったとか毛頭ないはず。そこを指摘しても無意味です。
      それらの殺伐とした情報に、目と耳を覆い壁を作ってしまった大人が
      増えた現在。戦争を思い出す事がタブーにすらなっている現状に対し
      再考を促す呼び水のような作品なのです。
      政治的意図を入れないように配慮も必要で、脚本には神経を使った
      ようです。拘ったリアルは市民の日常であり、戦争の惨禍ではないのです。
      たった2時間の中に全ては入りません。これはこれで一つの方向だと考えます。

  13. […] 4位 この世界の片隅に […]

  14. たー より:

    僕はそもそも子供の娯楽以外のアニメがあまり好きではなく、また、ふんわりした画風、ふんわりした主題歌や主人公の声も好みではありません。

    しかもTBSラジオでゴリ押しの宣伝をされていて、流行モノに乗るのが嫌いなので、いっそう引いてしまいます。

    しかし、あまりにも良い評価しか聞かないため、「そんなにいうならかかってこいや」的な気持ちで観てみました。(その時点で手中にハマっています 汗)

    見終わってみると、たしかに誰もに薦めたくなる作品でした。
    少なくとも日本国民は全員が知っておくべきことだと思いました。
    原作はこれから読みたいと思います。

    上映中はテンポが良く、思いふけることはありませんでしたが、終わってからさまざまな思いがめぐります。

    自由恋愛が当たり前、むしろ恋愛しなきゃいけない雰囲気のなか、流されるがままお嫁に行くのもアリなんじゃないか。

    欧米に倣って家族は抱き合ったり密に連絡を取ったりしたほうが良いといわれる昨今だが、家族って素っ気ないもんだよな。

    戦後のリベラル化が飽和し、古き良き日本の生活へ戻りたい保守の気持ちが無意識に高まっているタイミング。

    ありきたりな戦争映画に飽きてきたタイミング。

    ふたたび日本が戦争やテロ、あるいは大災害やゴジラに巻き込まれるかもしれない情勢。

    長引く不景気。

    そんな今だから普通の日常が求められ、心に刺さると思います。

    また、恋愛ご無沙汰な身としては、うらやましい夫婦関係がいちばん刺さります……

    僕は当時のことを詳しく勉強したわけではありませんが、一般的な人よりは興味も予備知識もあると思っています。

    そのため、大筋で当時の実情に驚くことはありませんでしたが、知りたかったディテールがわかりやすく描かれていたのはよかったです。

    また、ディテールのひとつひとつにストーリーがあるのも好きです。このようにディテールにこだわる日本映画は稀だと思います。

    円形脱毛症は、栄養不足の意味もあるのでは?と思いました。とくに劇中では食べ物の変化も細かく描かれています。魚が小さく、タンパク質が足りないのかな、とか。

    時間の移り変わりがわかりやすいのも、すばらしい腕前だと思いました。

    最後に
    やっぱりアニメは好きでなく、ふんわりした画風もふんわりした主題歌や主人公の声も好みではありませんが、すべてのバランスが取れていて、公平に見るほど非の打ち所がありません!

    むしろ好みを乗り越えて入ってくる感動。

    あまりに良い評価しか聞かなかったのも納得です。

  15. ふーん より:

    これらのすべての記事とコメントを読んで、この映画を見てみたいと思いました。
    特にたーさんのコメ、いいですね!
    お気持ち凄くよくわかります。

  16. 毒親育ち より:

    いきなり作品と関係無い愚痴で申し訳ありません。
    平成28年に鑑賞出来る機会はあったんです。
    ですが最近「邦画で第二次世界大戦もの」と聞くとウンザリしか湧かなくなっていまして、だってお金払って二時間かけて手前と人種と国籍しか関係ない人からセッキョーなんかされたかないんです。
    (某海賊映画では個人的に尊敬する人種と国籍しか関係無い人の偉業を我が事のように、しかも“雑”自慢・・・)
    更に最近、とみに「遠出したくない病」が酷くなってきまして・・・。
    (そのせいで何本の話題作を見過ごしてしまったか)
    しかし本作は完成までのご苦労と、ネットを徘徊すれば本当にアニメ映画が大好きな人達による絶賛の噂が飛び込んでくる!しかも「ウンザリお説教なんかないよー?」と口を揃えておっしゃる!その声が疑いようもない良い雰囲気の画面。それらに背中を押され、久々にタンスからSuicaを引っ張り出した所で大失敗・・・うっかり「検索」などしてしまったのが後の祭り。
    ああ・・・結局「意識タカい方々」の玩具のとなるのか・・・とゲンナリ。あ、こりゃイカン。『フューリー』と『ガールズ&パンツァー』のときの症状だ・・・。
    (ただ、どっちもベタ褒めしてるのですから本作の凄さも思い知る・・・いや、この大きな波に自分達の思想のプロパガンダを乗せようってだけとも見えますが・・・)
    自覚すれど一度下がった勢いはどうにもならなく「こんだけ話題になってなにより“実績”もあげていれば地元のファミリー様御用達モールシネコンにもやってくるだろうと怠けている間に年が明けてしまいました。
    こうの史代先生、片渕須直監督、のんさん。ごめんなさい!これから公開中は週一鑑賞して原作もパンフも円盤も買うから許して!あと呼んでくれてありがとう!地元シネコンの東の方!

    >1.方言へのこだわりがすごい
    声優さんの本気!のんさんはもうキャリアに声優加えて良いよ!

    >2.その時代の風習や光景を丹念に描く
    序盤は大変だった。理不尽だった・・・とか勝手な同情やらが付け入る隙が無いくらい素敵でした。

    >3.平和に見える日常の中に、シビアな現実が顔を出す
    働けば働く程裕福になった“あのバブル時代”に貧乏家庭に育った身には、磯野家の布陣!でご近所に親戚在住で隣組とも懇意という鉄壁昭和家庭で生活不安て・・・やっぱ戦時中ってナイトメアモードだわ・・・と思い知らされました。
    でもそんな「ナイトメアモード」も家族やら会社やら何かしらの寄る辺が在れば乗り切れるんだなよあ・・・。『はだしのゲン』の中岡家だって近所がクズ揃い(ウヨク?サヨク?時代の波の顔色伺って乗っかってるだけ)でも家庭内は家族を喪っても新たなに家族を迎えいれて乗り切ったし、一方の『火垂るの墓』の清太は身を寄せた親戚を省みず自分の幼いプライドだけ(でも清太当時中二病気真っ盛りか・・・叔母さんもイキナリキレて突き放すのでなくもっと話すべきだったかも・・・)を優先させた結果・・・。
    あと軍港作る為に廃業させられたかと思えば・・・「平和の為の軍縮」で失業するわ・・・と、必要なのは解っていても負担を求められ振り回される方には理不尽ですよね。
    ・・・負担を強いられる方の心情も汲まないで、どこからか預かった御威光やら傘に着て、獣みたく上から乗っかって屈服させようとしてるように見えないから反発生むんだよ。

    >4.たんぽぽのほか、「野草」などの自然がたっぷり出てくる
    粗食のなのにすっげえ美味そうなんですけど!?野草料理作ってみたくなりました・・・て、家の地元も川原で積んだ蓬で草餅やツクシのお浸しは食べてましたが。(やっぱりダシと調味料様にはかないません・・・)

    >5.天真爛漫な少女が主人公になっている
    人妻で少女・・・ツボ抑えてますよー!
    周作さんもマジイケメンなのでたまらんです。
    ・・・世相柄、例の祝福はシャレにならんので自粛します。

    >6.やや寡黙ながらも深いことを考えている男子がいる
    周作さんと哲さん。切な過ぎです。納屋のシーンはすずさんの温もりと香りまで感じられました。これ4DXじゃないですよね?

    >7.不自由な生活をしている「過去の人」がいる
    ・・・スイッチ一つで炊ける飯を食い、沸く湯を浴びててすみません。

    >8.「想像の世界」が重要になっている
    ファンタジックでもあるんですよね。まさか人攫いのおっちゃんの正体が!?

    >原作からエピソードがカットされている、だけど……
    >リンのエピソードの省略のために……(野暮な不満点)
    まあ・・・小学生には早いですよね。自分はまだレイトでしか観てませんが、休日の昼間に行って年少者の皆さんの反応を見てみたいです。
    ・・・「行為」でなく「結果」ならイイんですよね?映倫さーん?(まだ『ミュージアム』の件を怒っている者より)
    >リンに再会しなかった理由
    >記憶と秘密
    人ん家の痴話喧嘩穿り出して見世物にして数字が上がったとはしゃいでるクズと、生贄神輿を囲んではしゃぐ馬鹿どもはこれをどう思うのか・・・4人とも社会正義の名の元に断罪ですかね。
    >抱き合う2人
    すずさんに哲さんと一夜を過ごす事を許したことを考えてしまいました。

    >テンポの早さとモノローグの多さにより、「情報過多」な印象も?
    >しかも、聞きなれない固有名詞や、広島の方言も重なってくるため、「あれどういう意味?」と思っていると、さらにどんどん「置いていかれて」しまうのです。
    原作本は欲しくなりましたね。というか同じモールの書店でアホ程プッシュしてましたので買って帰りましたけど!

    >笑えるシーンが多いけど……
    ほっこり北条家にもジワジワ陰鬱な世相が迫ってきたと思っていたら、急降下を食らいました・・・。
    >「その日」がやって来る
    すずさんの実家はともかく、北条家が在るのは「広島」ではないから・・・と侮っていました。晴美ちゃん・・・。圓太郎お義父さんの不死身っぷりに、北条家は誰一人欠けずに「はぁ~負けた!終わった!けど家は稼ぎ手が二人とも軍隊関係やし、さあ明日からどうすんべ?」なんて考えてた自分は甘かったです。
    >時限爆弾
    原爆よりもコレの方がキツかったです・・・。なんでこういうことするの?て、これも戦略上の意味があって戦車と女の子で燃え萌え平和ボケした脳で迂闊に非難すれば対人地雷やクラスター爆弾のときのように「兵士はどうなってもいいのか!?」と怒られるのかもしれませんけども・・・。
    まさか『イングロリアスバスターズ』みたいに厭戦感を煽る作戦でないだろうなあ・・・て、これも「決して妥協しない正義」ことロールシャッハさん辺りに「こうでもしなければ負け際を知らないオマエ達は赤子までカミカゼにしただろう!」と怒られるのかもしれませんけども・・・。

    >反対の手
    >最後に表れた女の子は、そんなふうに罪を背負い続けたすずに、救いをもたらす存在だったのです。
    晴美ちゃんは帰って来ないけど、「代わり」とか「生まれ変わり」とかの慰め・・・でなく繋がっていた救い!やりきれない悲しさにせめてもの、すごく素敵なラストでした。

    >わかりにくい方言や用語
    全部知ってると田舎者か軍オタとか言わんでください~。

    >妊娠→勘違い
    原作に注釈がありましたが、すずさんに限った事でなく当時の社会問題だったそうですね。
    勝つまで欲しがっちゃいけませんか。国の未来も・・・。

    >たんぽぽ
    ちょっと笑ってしまったのが周作さんに黄色いたんぽぽを摘まないで・・・と言っておいて後でしっかり食材にもしているんですよね。背に腹は変えられん!

    >学べる映画でもあった
    時代がどうあれ戦車と女の子観てほっこり燃え萌えしてる方が平和への道だと北条家の人達が教えてくれましたので、改めてそんな人生を大切にしようと思いました。
    平成の世相は・・・負かされた国に貰った民主憲法改正というか魔改造して最早「民主憲法」ですらない「ここで産まれた奴への生涯奴隷誓約書」にしてでもそんな“堕落”は許さない!って感じですけどね。
    しかもそんな時だけはガッチリ仲良くすんだわ。どんだけヘーワだのコッカだの敵なのよアタシらは・・・。

    >世界大戦
    最近とみに思うのは、結末が勝ったか負けたかで違う・・・かと思えば、勝っても負けても・・・という事ですね。
    前の世界大戦では核兵器使おうが勝てば尊敬の対象だったのに、大国同士の意地の張り合いに真ん中の国巻き込んで負けたら「Baby KILLER!!」と蔑まれ罵られる・・・と『ランボー』観て思ったり。
    世界平和の為に挺身して帰ってきたら故郷で「あそこの旦那さん。小学校の側歩いてたらしいわよ。○○さん家の息子さん。モールに居たらしいわよ」とご近所で「危険人物」と影口叩かれる・・・と『アメリカン・スナイパー』を観て思ったり。
    ギリギリの所で神経擦り減らしているのに「楽ちんな仕事だね。定時には自家に帰還出来るし」と言われる・・・と『ドローン・オブ・ウォー』を観て思ったり。
    半世紀前に国旗を着て悪の帝国と戦ったヒーロー、70年後には母国の基盤であったはずの“自由”の為に社会の敵になってしまったり・・・と『シヴィル・ウォー』観て思ったり。

  17. 美しい日本 より:

    美しい日本や日本人を踏みにじってきたのは、いつも為政者であることを強く訴えかけてくる映画と思いました。すずの慟哭がこの映画のテーマではないでしょうか。昭和天皇は民衆の手によって戦争責任を問われるべきでしたね。日本は間違えました。

  18. 今日観てきました より:

    私の祖父は草津のお隣、井口の生まれで働き出してから矢賀に住んでいました。国鉄で働いており、度々呉に行っていたと聞いております。晩年は絵描きをしておりました。
    私の祖母は江波の生まれでした。

    この映画とほぼ同じ場所、刻を同じくして日々生活しておりましたので、まるで祖父と話をしているかのような錯覚を受けました。祖父はちょくちょく朝日遊郭(すずさんが迷い込んだところ)で遊んでいたようです(笑)

    「日々の生活」と「移り行く時代」をいかに乗り越えるか、ピカが落ち、死の臭いが沸き立つ土地でこれからどうするべきかを考えさせられます。すずさんがお惚けなのでマイルドになっておりましたがとてもいい作品であったと思います。

    方言や地名、文化がわからないと理解が追いつかないのでお気を付けて下さい。
    盆灯篭や江波の位置がわかるとゾッとしますよ。

  19. かしまなだ より:

    映画館での上映を、見るチャンスがありませんでした。
    ようやくDVD発売。

    1回みて、じんときました。

    2回目見て、途中から涙が溢れました。
    すずさんが紡いでいく様々なエピソードが、後の悲しみや怒り、そして小さな希望へと
    つながっていくことが、改めてわかったから。

    最後に広島で出会った少女は、きっと、すずさんとみんなの未来と希望をつないでゆくのでしょう。
    おだやかな日常を、少しづつ取り戻して、幸せを少しづつ取り戻して。

    彼女が、健やかに育つことを願います。
    すずさんのおとうさんや、すみさんのような悲劇が、彼女を襲わないことをいのります。

    また、見ると思います。
    原作も、読もうと思います。

    今度はもっと、涙があふれて止まらない・・・
    でも、見ると思います。

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著者

ヒナタカ

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