『映画 聲の形』いかに原作を尊重した脚本作りができていたかを全力で語る(ネタバレレビュー)

『映画 聲の形』いかに原作を尊重した脚本作りができていたかを全力で語る(ネタバレレビュー)

公開開始から2ヶ月近く経っていますが、『聲の形』のネタバレレビューを書きます!

ネタバレなしのレビューはこちらから↓
『映画 聲の形』が超絶大傑作であり、すべての人に観てほしい5つの理由(ネタバレなし感想)

※公開後にこのロングPVが公開されたりもしました。

7週目でもまだ興行収入が10位、累計興行収入が20億円を突破したヒット作ですが……
さすがに8週目になると興行収入は圏外、上映スクリーンも少なくなっています。
しかも、明日11月12日から公開される『この世界の片隅に』は同じアニメ映画ということで、本作と客層がかぶることが予想されます。

何が言いたいかと言うと、そろそろ劇場で観るチャンスが少なくなってきているので、まだ観ていないヤツはさっさと観に行けということです。
『君の名は。』はお正月まで公開されているのは確定なんだから!そっちは後回しでいいから!(注:君の名はも大好きな映画です)

石田のシャツの後ろがタグがピロっと出ている理由は?

ネタバレのない範囲で、1つ豆知識を。
主人公の石田のシャツは、なぜか後ろのタグがいつもピロっと出ているのですが……これは原作者の大今良時さんによると、「石田が自分のことすら理解しようとせず、理解が及んでいないことの表れ」とのことです。
タグが出ている理由そのものは、石田は理髪店のせがれ→母に見習ってお洒落にするためヘアジェルで髪をガチガチに固めている→そのツンツン髪のままシャツを着る→髪にひっかかったタグがピロっと飛び出す、というロジックで説明できますしね。

原作マンガからの良改変がたくさんありますが、その中でも「悪意だらけの大人たち」の描写をほとんど無くして、石田の視点に立ったのは大正解ですよね。
このおかげでラストシーンの感動が何十倍にもなりました。「許し」という『スパイダーマン3』にも似たテーマの究極系が、ここにあります。

原作マンガからの「モノローグの省略」も見事であると感じました。
必要なところは描く、想像の余地を残すところはあえて描きすぎない、このバランスで成り立っているため、モノローグのない映画だけでも重要なことはわかり、さらに原作を読んで初めて気づくこともあるという……ええと、とりあえず観に行って、原作も読んでください。お願い。

↓以下はラストを含めてネタバレの限りを尽くしているので、鑑賞後にお読みください。少しだけ原作のセリフにも言及しています

結絃が傘を差したまま帰った理由

石田が傘をさして、結絃といっしょに雨の中を歩くシーンが大好きでした。

ここでは石田の本質的な優しさがわかるだけでなく、「傘に隠れてお互いの顔が見えなくなってしまうけど、結絃が傘を上げて石田の顔を見る」ことで、結絃が「石田の人間性をちゃんとわかろうとしている」ことが示されています。

また、“雨があがったのに、結絃がその傘を差したまま帰った”のは、「傘を返しに行くという口実を作ることで、また石田に会おうとした」ということでしょう。

しかもこれは、原作の結絃の以下の言葉そのものだったりします。

「姉ちゃんがどーいった人たちの中にいて、どんな空気を感じていたか、知りたいだけ。知らなかったらいつか後悔するかもしれないから」

こういう気持ちが、映画では言葉にしなくとも「傘を差してくれた石田への対応」という形で、しっかりと表れているんです。

逆算された「似た者同士」の行動

この石田が傘を差すシーンでもう1つ素晴らしいのは、終盤にある「西宮が植野に傘を差してあげる」ことと対になっていることです。

石田と西宮は、じつは「お互いに仲良くなりたい」だったり、「自分のことが大嫌い」だったり、「自分のせいで大切な関係を壊してしまった」だったり、「自殺をしようとしてた」だったり、「なんとか笑ってはげまそう」としたりと、いつも同じようなことを考えています
だけど、2人はその想いを上手く伝えられないですし、お互いを理解できないでままでいました。

この対になった「傘を差す」シーンでは、石田と西宮が同じようなやさしさを持って他人と接しようとしていたことがわかります。
しかも、「西宮が植野に傘を差してあげる」シーンは原作にあっても、「石田が結絃に傘を差してあげる」シーンは原作にはないのです。

つまりは、脚本家の吉田玲子さんは、石田と西宮が似た者同士であるということをしっかり理解し、原作にあった「西宮が植野に傘を差してあげる」シーンを見越して、「石田が結絃に傘を差してあげるシーン」を付け加えた、ということです。
この原作からの再構築は、見事というほかありません。

モンシロチョウの意味

原作にない要素として、おばあちゃんが死んだ時に、西宮と結絃の前に降り立った「モンシロチョウ」もあります。
(原作では、おばあちゃんは結絃にある手紙を残していました)

このモンシロチョウはおばあちゃんの生まれ変わりのようなものであり、突然死んでしまったおばあちゃんが、2人の孫に「お別れ」を言いに来たことを示しているのでしょう。
また、このとき西宮はモンシロチョウに手を伸ばそうとしています。これは、彼女の「死への憧れ」を示していたのかも……。

また、本作のポスターでは、石田がこのときの西宮と同じように、どこかに手を伸ばそうとしていました。
これも、彼の「死にたい」という気持ちを表していたのかも……。

西宮のことをわかろうとしていた、小学校時代の植野

小学校時代の植野は、「さっきなんて言ったんですか?」と質問する西宮に対して「あはは」と笑ってごまかしていたりもしました。
また、植野がジャングルジムの鉄棒に手を当てて、カカカカと動かして、その「音」を聞こうとしていたシーンもありました。
植野はなんでも思ったことを口にしてしまうところがある一方で、西宮とのコミュニケーションの仕方を考えてたところもあるのでしょう。

西宮は、植野がいた、はしごのような遊具に登ろうとしたけど、諦めたかのように降りてしまっていました。
植野は西宮にとって、自然にみんなとコミュニケーションができる、「憧れ」のような存在だったのかもしれません。

西宮がコミュニケーションノートを捨てた理由

小学校時代、石田は西宮が拾ったはずのコミュニケーションノートが、まだ用水路に落ちていたことに気付きます。
映画では少しわかりにくいですが、原作ではこれは西宮自身が「諦めて」自ら捨てたことが語られています。

原作者の大今良時さんによると、このノートはのコミュニケーションツールというだけでなく、みんなと仲良くなりたいという希望を表しているのだそうです。
だけど、クラスのみんなは、そんなことなんてわからないから、悪口ばかりを書いていました。
西宮は、みんなと仲良くなるという希望を、諦めていたのです。

だけど、高校生になった石田はそのノートを返しに来てくれました。
時間は経ったけれど、石田は西宮の「ノートを通して仲良くなりたい」という想いに応えてくれたのです。
西宮が、落ちてしまいそうになるノートを、自ら川にまでダイブしてまで拾おうとするのも当然ですよね。

いじめという認識

思えば、石田と西宮は作中で一度も「いじめ」という言葉を使っていません
いじめという形にはめて、その出来事を糾弾しようとしているのは、川井や植野や真柴だけなんですよね。

おそらく、石田と西宮には、いじめという枠では語れない「何か」が自身たちの中にあったことに気付いたのでしょう。
それこそが、「つながりたくてもつながれない」コミュニケーションの問題であったのかもしれません。

鯉に餌をあげている理由

西宮が鯉に餌(パン)をあげているのは、「自分が必要とされているのがうれしい」というのが理由であると原作で語られています。
逆に言えば、西宮は今まで誰からも必要とされていない、と感じていたのでしょう。

それどころか、西宮は自分がみんなを不幸にしてきたと思っています。
西宮は石田と同じように「加害者意識が強い」ために、自分を責め続けていました。

死へのカウント

原作者の大今良時さんは、「西宮はずっと死までのカウントをしていた」と語っています。
そのカウントは、自分のせいで佐原が引っ越してしまった、妹の結絃がいじめられた、といったことで、どんどん積み重なっていったというのです。

そのカウントがついに「死」に達したのは、橋の上で石田がひどい言葉をみんなに吐いたときだったそうです。
そこから西宮は、母の誕生日を石田といっしょに祝う、結絃の写真をコンクールに応募するなどして、「死への準備」を始めました。

夏祭りでは花火の音を「体で受ける」という「束の間の幸せ」を感じていました。
家に戻ると告げた(これから自殺をしようとする)西宮の手話は、いままでの「またね」から、「ありがとう」へと変わっています。

その彼女の心は、その時折見せる「笑顔」からは、わかるものではありませんでした。

笑顔

自分が何度観ても感動してしまうのは、最後に石田が想像した、西宮の(そしてみんなの)心からの笑顔です。
何せ、西宮はこれまでずっと「愛想笑い」ばかりをしてきたのですから。

高校生になった石田が会いに来てくれたときも(なんとか表情を考えてから)、
石田にまた会おうねと言ったときも、
橋の上で石田がみんなに暴言を吐いてしまったときも……。
(原作では、結絃は「愛想笑いは姉ちゃんのくせ。あの顔、俺にもやるから」とも言っています)

でも、石田にとって、自分が苦しめてしまった西宮の笑顔は、何よりの救いになるはずなんです。
たとえば、原作2巻ラストの14話で、西宮の心からの笑顔を見た石田はこう思っています。

俺は俺が嫌いだ。
昔の過ちを許してもらって、自分の都合のいい結果をもらったらそれでいいってか。
そんなわけがない!忘れちゃいけないんだ。
笑顔だったはずの時間も、嫌な思い出も。
でもあの笑顔を見てたら、いつか忘れてしまうんじゃないか?

石田は自分の罪が簡単に許されるとは思っていません。
そのことは、クラスメイトたちがただ飛行船のことを話していたのに、自分の悪口を言っていると思うという被害妄想にまで発展しています。

だけど、西宮の笑顔は、(たった1つの)石田の希望にもなっているんです。

最後に石田は、いいことも悪いことも含めて周りの声を聞くようになり、そして西宮を含めたみんなの笑顔を想像する……。
ずっと枯れていた涙が出てしまうのも、当たり前のことですよね。

また、西宮にとっても、(文化祭で手をひっぱるなどして)石田の助けになること、(橋の上で「生きるのを手伝って欲しい」と言われるなど)石田に必要とされることは何よりもうれしかったことでしょう。
そんな西宮が、これからは心からの笑顔になれること……それは、想像に難くないのです。

Point Of Light → Shape Of Voice

映画の始まりと終わりには、真っ黒な画面の真ん中に、ごく小さな光がポツンと見えるという画が映し出されています。
始まりにはその光を示す「Point Of Light」という文、終わりには「Shape Of Voice」という文も表示されていました。
その光の中には、もやのような2人の人物のシルエットも見えていました。

そしてその点だった光は、終わりに石田が周りの声を聞くようになり、みんなの笑顔を想像してから、パァッとスクリーンに広がりました。
これは、ごくごく狭い見識でいた石田が外界と関われるようになったこと、目の前に希望が広がっていることを表現しているのでしょう。

また、この小さな光は、西宮が聞こえている声(音)とも考えられます。
西宮は重度の聴覚障害者ですが、少しだけなら音が聞こえるのでしょう。
その音を、真っ暗な中に差している小さな光で、視覚的に表しているのではないかと……

前述したように、石田と西宮はとても似たことを考えてたにもかかわらず、コミュニケーションがうまくいっていませんでした。
この小さな光(Point Of Light)が広がったということは、その光の中にいる2人(西宮と石田)が、聲の形(Shape Of Voice)を理解できた、ということにも思えるのです。
2人は、これからはちゃんと分かり合いながら、コミュニケーションができていくのかもしれませんね。

成長をする過程

本作はコミュニケーションを経て変わっていく少年少女たちの姿を描いていました。
しかし、絶対変わらなくてはいけないとは言っていない、それどころか「変わらなくてもいいんだよ」という価値観を訴えています

たとえば、原作で佐原は「石田くんが大変だっていうのに、まるで(私は)変わっていない」と自分を責めているのですが、石田はこう答えています。

「変われないこともあるよ、俺だって。
変わろうと足掻いている時間の方が大事のように、俺は思うよ」

ほかにも、「あの子(西宮)のことが好きになれないし、好きになりたくないと思っている」と言っている上野に対して、石田はこう答えています。

「植野は今のままでいいと思うよ
必要なときには、きっかけはちゃんとやってくると思うし、好き嫌いだけがすべてじゃない。
何より時間はたっぷりあるんだ。俺も頑張るからさ」

これらのセリフは映画にはないのですが……映画だけでも、キャラクターが変わろうとしている姿勢が見て取れます。

最後に石田と再会した佐原の目線は、初めは石田と同じように下を向いていたのですが、その後は目線は上に向いていました。

植野は「あ〜友達ごっこ?キモッ」と相変わらず悪態をついていましたが、ごめんなさいと相変わらず誤っている西宮には「まあ、それがあんたか」と言っていました。

西宮は、植野が「バーカ」と手話で罵っていることに、感動していたようでした。
ここで植野の手話は間違って「ハカ」になっているけど、西宮が「バカ」に直してあげてている…のも素晴らしい!

みんなが変わろうとしている。
でも変わらないところもある。
それでいいんだ。変わろうとする姿勢が大事なんだから。

気にしなくていいよ

もう1つ大好きでしょうがないのは、この映画に「コミュニケーションで辛いことがあっても、重く受け止めなくてもいい」というメッセージがあることです。

映画の最後に、橋の上でひどいことを言った石田に対して長束は「あんなこと、生きてりゃ何度でもあるって!」と言ってくれましたし、植野もまた「たいしたこと言ってねーし!」と告げていたりもするのですから。

石田が勝手に人につけていた「バッテン」を全て取ることだって、事態を重く受け止めすぎず、ちょっと気持ちを変えるだけで簡単にできることなのかもしれませんね。

だけど、そのバッテンが取れるシーンは、ブワッと一気に視界が広がり、同時にきらびやかな音楽が聞こえて来る……。

たいしたことがないことにだって、人は悩むし、感動する。
そういう作品が、自分は本当に大好きです。

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

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  1. […] レは別記事で書きます。あと3回目を観てくるので) 書きました、ネタバレはこちら↓ 『映画 聲の形』いかに原作を尊重した脚本作りができていたかを全力で語る(ネタバレレビュー) […]

  2. 毒親育ち より:

    本作の深い魅力を教えてくれます!素晴らしい。
    実は原作を途中で逃げた程でした・・・。
    『何者』がホラーなら本作は『観る精神的刑罰』・・・というくらいに億していました。

    >そろそろ劇場で観るチャンスが少なくなってきているので、
    >まだ観ていないヤツはさっさと観に行けということです。
    で、観賞後は色々抉られたり噴火したりだった訳ですが、本当に観て良かった!お勧めし辛いですが、全人類に観て欲しいです。

    >結絃が傘を差したまま帰った理由
    >逆算された「似た者同士」の行動
    >モンシロチョウの意味
    >Point Of Light → Shape Of Voice
    アニメ映画にした意味が解りますね。本当にこういう表現の為の手法なんですよぉ・・・。

    >死へのカウント
    幸せそうなのに・・・嫌な予感が伝わってきましたよね。

    >夏祭りでは花火の音を「体で受ける」
    個人的に花火の醍醐味は、あの衝撃波を身体で受ける事だと思っていますので!

    >笑顔
    >原作では、結絃は「愛想笑いは姉ちゃんのくせ。あの顔、俺にもやるから」とも言っています
    確かに、家族にはしないですよね。
    許すも何も・・・西宮さんは自分こそ加害者だと思っているのですよね。
    余談ですが。石田君も本当に誠実な人だと思います。自分は子どもの頃、周囲より貧乏だったので、暴力よりも金銭的損害を出されるのが一番嫌でしたから、やっぱり七百万円という普通子どもには追い切れないケジメを付けて見せた事が彼を大きな人間と感じてしまいます。
    あと。否定派の人達には二人が恋愛関係になるのが気持ち悪いそうで、実は原作ラストでも二人は恋人同士という訳ではないそうですが・・・。この王子と姫にはくっついて欲しいよなあ・・・。

    >気にしなくていいよ
    凄い救われた気になれます!
    ・・・本作を過去の怨みへの諭しや、罪へのお説教だと感じてしまう人もいるようですが、本当はこれなんですよ。
    ・・・と言いつつ。映画館の帰り道に都合の良い妄想したり、バッティングセンターに寄ったりしましたけども。

    >橋の上でひどいことを言った石田に対して長束は「あんなこと、生きてりゃ何度でもあるって!」
    BFNにはこれを伝える映画をたくさん撮って映画史に名を残して欲しいと本気で願います!!

    • 毒親育ち より:

      ×やっぱり七百万円という
      ○やっぱり百七十万円という
      失礼!金額が多過ぎでした!

  3. みや より:

    ネタバレレビュー、お待ちしておりました。
    原作を読んでいないこともあって、「なるほどそうだったのか!」と感心しきりです。
    石田と結絃の傘のシーン、やさしさに溢れていますよね。私も大好きです。

    この二人でもうひとつ印象的だったのが、西宮の告白後の橋での会話シーンです。
    西宮に「好き」と言われたのを「『つき』って言われた」と話す石田(台詞は違うかも…)に対し、結絃は腹を抱えて笑っていました。
    石田の言葉に「少なからず不穏な空気になるのでは…?」と私は危惧したのですが、それこそがもしかしたら差別意識だったのかもしれない、と気付かされたようでした。
    結絃にしてみればコミュニケーションに試行錯誤する姉と恋愛感情に疎い石田との些細なすれ違いがおかしかっただけなのかもしれません。それまで、西宮はそもそもコミュニケーションを避けてきていた節もありましたし。

    また、このシーンによって「この映画で恋愛関係は描きません!」と明示していたようにも思います。2時間とはいえ映画中で恋愛関係になるのは性急すぎるので、その後のプレゼントは活かしつつ告白そのものはほぼ無視した展開も私は好みでした。
    (前述どおり該当シーンが原作にあったかどうかは知らないのですが…)

    安易な恋愛要素がないのもいいところなだけに、aikoさんの主題歌「恋をしたのは」がどうにも噛み合わないのは残念かな、と…。楽曲自体は好きなんですが。
    長文失礼いたしました。

  4. ワイナオ より:

    傘の部分は凄いです、見直さないと!
    モンシロチョウのところはボクも不穏な雰囲気を出していて凄いシーンだなぁと思いました。
    結絃と硝子の間の人工池?みたいなのも三途の川のような感じだし、モンシロチョウの羽の模様がオバアチャンの顔のシミと同じなので、あのチョウに興味を示し、手を伸ばす硝子は死に近づいていってるのかなぁと思いました。
    音もノイズ基調で声が聞こえない感じだし。
    今回の記事で見直す理由が増えました!
    ありがとうございます!

  5. Destiny より:

    A few years ago I’d have to pay someone for this innmroatiof.

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著者

ヒナタカ

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