『SCOOP! スクープ』報道の道義を問う映画だった(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

『SCOOP! スクープ』報道の道義を問う映画だった(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

2週間遅れですが、今日の映画感想はSCOOP!です。

個人的お気に入り度:6/10

一言感想:ラストのほうがちょっと……(おもしろいけどね)

あらすじ

写真週刊誌「SCOOP!」のフリーカメラマンの都城静(福山雅治)は、新人記者の行川野火(二階堂ふみ)とタッグを組むことになる。
情報屋のチャラ源(リリー・フランキー)からのネタ提供もあり、次々とスクープをものにする静たちだったが……

『モテキ』『バクマン。』の大根仁監督最新作です。

本作の舞台は前2作に引き続きまたも「編集部」。
これを「引き出しがない」か「作家性があるか」かと捉えるのは人それぞれですが、自分は圧倒的に後者です。
(自分が某会社の編集部にいたおかげもあるのですが)編集部という場所はほかの職場に比べ、その雑誌のカラーがそのまま人間関係やその場に雰囲気に表れやすく、見ているだけでもおもしろいのです。

ゲスな仕事がおもしろい!

そして題材はゲスい仕事であると捉えがちなパパラッチ。
どうしても2014年の映画『ナイトクローラー』を連想させますが、アメリカと日本の違いは十分に見て取れますし、その物語の精神性もかなり違っているので、比較してみるのもおもしろいでしょう。
このあたりの魅力については、以下にも大いに書きました。
<『SCOOP!』は福山雅治がゲス野郎を演じる超娯楽作!その5つの魅力とは? | シネマズ by 松竹>

まあ何よりの魅力は、福山雅治がゲス野郎を演じていることですよね!
いかにイケメンであろうが、こんだけセクハラ発言をすればいかにイケメンでも最低だとよくわかりました。まあイケメンだからキモさが軽減されまくっているけどな!(嫉妬)
そして、そのセクハラをされるのが二階堂ふみというのが素晴らしいですね。いいぞもっとやれ(※セクハラは犯罪なのでマネしてはいけません)。

福山雅治と二階堂ふみ

そしてパパラッチの仕事の数々が、エンターテインメントとしておもしろいんだこれが。
相手に見つからないように写真を撮る(あるいは見つかったら逃げる)というのは、スリルを呼び、それだけで楽しいのです。

ちょっと残念なことも?

本作の難点は、終盤のとある展開が、人によっては受け入れがたいこと。
これまで築きあげてきた作品の「方向性」が崩れてしまった印象を持ちました。
個人的には「これはこれで」と思うのですが、序盤で感じたカタルシスがここで台無しになっているような気もします。

あと、ラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で知ったのですが、原作となる『盗写 1/250秒』はDVD化されていないばかりか、大根監督があまりに好きすぎてVHSビデオを買い占めたりもしているんですね。なんてことすんだよ
ほぼ観ること不可能じゃないかよ……原作となる映画も堪能したい映画ファンのために、この機会にをDVD化してほしいなあ。

また、本作は同じく日本のマスコミを描いた『グッドモーニングショー』と合わせてみてもおもしろいかもしれませんね。
よくも悪くも、製作者の問題への取り組み方、作家性の違いを感じられることでしょう。

ともかくこれは超楽しかったのでおすすめ。
多少の下ネタやセクハラ発言(by福山雅治)が許せる方であれば、ぜひ劇場へ。

以下、結末も含めてネタバレです↓

福山雅治のゲス語録

福山雅治のゲスい台詞の数々が素晴らしかったですね~。

(野火を見て)「見てりゃわかるよ。あいつ処女だよ」
「ヤリ◯ン最高~」
「お?3Pやるか?」
「モモパイ最高~アッハイ!」
撮った写真を見て「すっげえ~」
(野火にキスをしながら)吊り橋効果だよ!」
(五反田の「ビーチクボーイズ」(←実在している)というオッパブを教えられて)「イエア!」

ああ、福山雅治が言ってもこれは駄目だなあ。

ほかにも、飲み屋で自分のアレのデカさを自慢するものの、定子にポークビッツを見せられながら「そんなにデカくないでしょう」というのもひでえな。
(ちなみに、この飲み屋のシーンで首にギプスをはめているウザい男がいましたが、これは単に大根監督が「おいケガしてんのに飲み屋に来るなよ~」なおかしみを表現したかっただけのようです)

でもこの「アレのでかさ」は、この後の馬場のラグビー突進作戦での
野火「意外と小心者なんですね」
静「俺はこっちのほうがでかいんだよ」
野火(笑顔で)「やっぱり最低ですね」
という会話のシーンで、野火の静への心変わりを表しているのがいいですね(この前は野火は静のセクハラ発言を、心の底から嫌っていました)。

野暮な不満点

なんで二階堂ふみがエッチしているとき下着を脱がないんだ!←フォントサイズ26

しかもこのシーン、妙に画の光量が多いために「妄想」のシーンに見えてしまうんですよね(そう見せる意味もない)。
また、この時点で静と野火は、性的なことを抜きにした、良きバディ関係にあった気がしたので、肉体関係にはなってほしくなかったなあ・・・・・
あ、でも福山雅治の前戯はうまかったです(何を言っているんだろう)

あとは、チャラ源の娘に対してのフォローがないのも残念。
あれだけ怖い経験(しかも実の父による)を経たのだから、何か彼女に声をかけてほしかったのだけど・・・

野火、撮れ(写真で撮ることの是非)

終盤は拳銃を持ったチャラ源が暴走し、「借り」のある静はその凶行に(止めるという意味でも)同行することになります。
(ちなみに、この2人はタッグを組んでいたが、違法行為もしていた。そして捕まったチャラ源は静のことは一切黙秘したまま、自分一人で罪を被って服役していたという過去があったそうです)

静はその途中で命を落としますが、最後に野火にその姿を「撮れ」と、(言葉にしないまでも)伝えようとしていたようでした。

しかし、上司の馬場は、野火の撮った写真および記事を雑誌に載せることを良しとはしません。
それは静という人間の尊厳を傷つける行為であると……。

しかも、静が撮っていたチャラ源の写真は、すべてピンボケ。
静は、このスクープの写真を、すべて野火に託そうとしていたのでしょう。
(それは、借りのあるチャラ源への気持ちであったのかもしれません)

ここで提示されるのは、「悲劇を写真で撮ることの是非」です。

現実でもケビン・カーターの撮った「ハゲワシと少女」の写真は問題視されましたし、劇中の静がカメラマンになるきっかけであった、ロバート・キャパの有名な写真「崩れ落ちる兵士」は銃弾で倒れた人間の姿を写した写真でした。

崩れ落ちる兵士
※画像出展はWikipediaより

しかし、それらの写真が人の心を動かした(静の人生は変わった)ことも事実です。
これらの写真を撮ることがが良いことか、悪いことなのか、誰にも判断はできません。
(中盤で、連続殺人鬼のいまの姿を撮ることについての是非を、野火が「わかりません」というのも、そうしたジレンマを意味しているのでしょう)

この映画では、雑誌に写真が掲載されたかどうか、それを見た読者の反応はどうだったか、はっきりさせません。
それでいいのでしょう。これは、この映画を観た人が、想像するべきことなのですから。

また、そもそものパパラッチの仕事における、他人の不幸をおもしろがるような芸能ネタを追いかけることも、一概に「悪」と呼べるのでしょうか?

この映画では、
序盤の野火「この仕事マジ最低ですね」→中盤でパパラッチに成功した野火「この仕事マジ最高ですね」→終盤で静を亡くす引き換えにスクープを撮った野火はこの写真を載せるべきかどうかわからなくなる。
という構成になっているので、野火の気持ちを振り回したあげくに、「やっていることの是非がわからなくなる」という結論に導いています。

これは意地が悪いですが、そのぶん、世にあふれている芸能ニュースや、事件を報道する仕事に携わっている人々が「道義」に悩んでいるかもしれない、ということを想像させます。
それを喚起させるこの映画は、確かな力を持っていると言えるでしょう。

(C)2016「SCOOP!」製作委員会

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  1. シオン=ソルト より:

    久々にいいピカレスクを観たという思いがして満足でした。
    作品が作品なだけにお勧めはしづらいですが、汚いモノを美化せずに汚い儘に描く演出が好きなので、私には割とツボでした。

    ひとつだけ難点を言うと、花火があまりにも合成くさかったこと。
    ある意味、序盤のクライマックスにあたる場面でもあるので、もう少し頑張って欲しかった。
    都心でのカーチェイス自体はイケました。これだよ! 映画なんだから、こういうのが観たいんだよ!

    > 「引き出しがない」か「作家性があるか」か

    私も後者ですね。

    また、大根作品に付き物のリリー・フランキーがいいキャラを出していますよねー。特に今作は「リリー・フランキーすげぇ!」って本気で思いました。

    > 『グッドモーニングショー』と合わせてみても

    ヒナタカさんは『SCOOP!』の後半描写に難色を示されているようですが、私はむしろアリでした。
    特に『グッドモーニングショー』が序盤の動きのある画に対して、後半はほとんど動かず、場面も変わらないという単調かつ余り緊迫感を覚えない展開であり、映画的に構造がよくないと感じていたのですが、『SCOOP!』はダレずにキレッキレな展開になっていったので堪りませんでした。

    > 五反田の「ビーチクボーイズ」(←実在している)

    これは知りませんでしたが、実在の固有名詞がバンバン登場するのも大根作品ですねー。
    『バクマン。』の解説だか何かで言っていましたが、大根氏のクルーには許諾交渉の専門がいるのだとか。
    今作でも実在の事件名や実在のテレビ局(本作の製作に関わっているけれど)、さらには実在のカメラマンが本人役で登場したりしました。

    > 二階堂ふみがエッチしているとき下着を脱がない

    PG12に収める為では?
    実際、性的な描写に関しては、相当に映倫コードに気を付けた演出を感じました。

    > 「やっていることの是非がわからなくなる」

    「自分でもよくわからないし説明できないのだけど」という、恐らくは人間が誰しも抱える感覚。これも大根監督の根幹にある「描きたいモノ」であるような気がしています。
    『バクマン。』でも「売れる漫画が良い作品とは思わない、だけど漫画家が自由に描いたから良いものになるとも限らない」と言う服部が「おい何言ってるのかわかんねぇぞ」と突っ込まれるシーンがありました。

  2. 毒親育ち より:

    この映画を好きな人には申し若有りません。
    日本版『ナイトクローラー』な雰囲気、約束された愚作『グッドモーニングショー』と同時期公開で(予告の時点で完敗確定)普段は素通りな『グッドモーニングショー』まで観賞予定させてくれたのですが・・・。観賞後は「もう『グッドモーニングショー』は観なくて良いな。目糞鼻糞のマスゴミの開き直り自己正当化プロパガンダだったわ・・・」でした。
    「流石に『グッドモーングショー』と比較して目糞は無いでしょう」と思われるかもしれませんが、『グッドモーニングショー』を観れば評価は上がりそうですが、それは勘弁してください。
    ただ目と鼻の位置は384,400km程離れています。

    >『モテキ』『バクマン。』の大根仁監督最新作です。
    >本作の舞台は前2作に引き続きまたも「編集部」。
    『バクマン』ジャンプ編集部と漫画家の描き方が良かっただけ大根監督だったけに期待していました。

    >そして題材はゲスい仕事であると捉えがちなパパラッチ。
    個人的にはパパラッチを報道とは認めていません。
    他所ん家の痴話喧嘩が自分達の生活に何か被害を及ぼすのか・・・と。最近では市川海老蔵さんへの吉事と凶事の区別も付かない“有名税”の請求とか。

    >まあ何よりの魅力は、福山雅治がゲス野郎を演じていることですよね!
    これだけが唯一の満足点です!最後まで「え?福山さん何処!?」状態でした。見事に蝶から蛾・・・いいえゴキブリへの完全変態!今後の福山雅治さんの演技に注目です!

    >野暮な不満点
    >静と野火は、性的なことを抜きにした、良きバディ関係
    ちょっと仲良くなると簡単にベッドインしちゃう欧米作品みたいで違和感ありました。

    >あとは、チャラ源の娘に対してのフォローがないのも残念。
    これも可哀想というか酷過ぎで・・・チャラ源も色々苦しんでいたそうですが(ほぼ自業自得の境遇ですけど)独り善がりな我が子への愛だけを優先させて返って娘に地獄を味わせているとか・・・家の父を思い出して腸煮えくりかえります(母を射殺して私を弟を連れ回したりはしてませんけど)

    >野火、撮れ(写真で撮ることの是非)
    これも個人的に理解不能ですが、彼らにしか解らない職業上の矜持は感じました。

    >連続殺人鬼のいまの姿を撮ることについての是非
    個人的に非です。『凶悪』のようにそれによって新たな事実が浮かび上がるのでもなく、ただ晒し物にするだけだとしか思えません。馬場の行動も捜査妨害ですし。
    あと。かつて勇気や楽しさをくれたアイドルを貶める事に達成感を感じて堕ちる所まで堕ちたと思った野火が急に被害者の気持ちなど語り出してゲンナリしました。

    ここからマスコミへの非難になりますが、オマエらはいつも「誰かが見たい筈だ」と言って傍若無人を働き、いつも無反省。言論の自由を叫ぶその口で誰かが愛して止まない空想創作の漫画や映画を無垢な人間を悪魔に変える諸悪の根源だと社会の憎悪を扇動し、焚書させようと仕向け続けている。
    漫画を愛してしたら。ある日突然、オマエらに「10万人の児童連続殺人鬼」と呼ばれた時、オマエらに「キ○ガ○は抹殺しなければならない」と書かれた時、私も児童だった。オマエらの“正しい報道”を「あいつらは殺しても良い」という「大人からの御墨付き」と受け取ったクズどもに、私や同じ趣味の子ども達が何をされたか知っているか?知りもしないし知っても飯のタネだと開き直り、そして今もそれを繰り返し続けるオマエらが社会正義面して人の私生活を監視して、道徳に反すると非難する権利などあるか!疫病どもが!!

    とここまでブチマケてヒナタカさんの言葉。

    >これは意地が悪いですが、そのぶん、世にあふれている芸能ニュースや、事件を報道する仕事に携わっている人々が「道義」に悩んでいるかもしれない、ということを想像させます。
    >それを喚起させる力があるこの映画は、確かな力を持っていると言えるでしょう。
    本作の誰も道義に悩む所は有っても。決して自分が正しいなどと一言も言っていなかった事に気付きました。
    本作もマスゴどもも大嫌いなままですが、大根仁監督見直しました。というか流石です!

  3. いいこま より:

    今日観たところにまさかヒナタカさんの記事が来るとは思ってませんでしたw
    個人的には福山さんのはっちゃけぶりがツボでした。これまで洗練されてきた役柄が多いイメージでしたが今回のような薄汚れた感じの役もいけるんだなあ…。
    あと予告編を観た時点で「野火が成長していく様」「殺人犯の現在の顔を撮って返り咲く」の二部構成になるのかなと思ってたらまさかその後に「二人が愛を確かめ合うもつかの間、チャラ源が暴走して静が落命するも志が受け継がれる」の三部構成になるとは思ってなかったのでその意味で個人的にびっくりしました。
    >福山雅治のゲスい台詞の数々が素晴らしかったですね~。
    >>絶対素入ってるよね?ってつい思っちゃいましたw二枚目なのに様になるから困りますが福山さんだからこそ為せる妙技ってことかもしれません。
    無論、それでも「十分屑だよ!」って感じではありますがw
    >ほかにも、飲み屋で自分のアレのデカさを自慢するものの、定子にポークビッツを見せられながら「そんなにデカくないでしょう」というのもひでえな。
    >>ある意味気の置けない仲だから言えるんだろうなあと後になるほど感じます。
    >なんで二階堂ふみがエッチしているとき下着を脱がないんだ!
    >>あそこのくだりで「もしかしたら二階堂さんなら脱いでくれるかもしれん!」と思ってしまった自分がここにwまああまり期待はしてませんでしたが宇多丸さんのラジオでも「脱がねえのかよ!」って不満がありましたし期待してた人はやはり多かったんだろうなあ…(『日本でいちばん悪い奴ら』『後妻業の女』ではそれなりにあったので尚更感じますが期待するだけ野暮でした)。
    >また、この時点で静と野火は、性的なことを抜きにした、良きバディ関係にあった気がしたので、肉体関係にはなってほしくなかったなあ
    >>確かにそういう意味でも描かない方が良かったでしょうねえ…。かくいう自分の場合はあの二人の関係性を見た時に『PSYCHO-PASS』1期の狡噛と常守の関係性を思い出しました(といってもあちらの場合男女というより人間的意味合いもありますし、そもそものニュアンスが異なるので挙げるのが適切とは言えないかもしれませんが)し、そういったのも背景にあるのかもしれませんが。
    >ちなみに、この2人はタッグを組んでいたが、違法行為もしていた。そして捕まったチャラ源は静のことは一切黙秘したまま、自分一人で罪を被って服役していたという過去があったそうです
    >>本編に登場しなかったので「どんな過去があったんだろ」と思ってましたが特集雑誌で補完されてると聞き安心しました。まあ、当該書籍に巡り合えるかはわかりませんが。
    >しかし、上司の馬場は、野火の撮った写真および記事を雑誌に載せることを良しとはしません。
    それは静という人間の尊厳を傷つける行為であると……。
    >>「撮れ」と野火に託した静の遺志を考えると寧ろ載せる方が静への尊厳なんじゃないかなあ、と自分は感じてましたが、それでも馬場の語る静評を聞く限り載せるのが尊厳を損ねる行為と考えててもおかしくないと自分が感じたところがあったのも事実なだけに何とも言いかねます。ましてや語れるとしたらホントにその場にいた野火と馬場ぐらいのものでしょうし。
    >現実でもケビン・カーターの撮った「ハゲワシと少女」の写真は問題視されましたし、劇中にも静がカメラマンになるきっかけであった、ロバート・キャパの有名な写真「崩れ落ちる兵士」は銃弾で倒れた人間の姿を写した写真でした。
    >>作品から脱線するのを承知で。恥ずかしながらキャパ氏に関しては「私の夢は(戦争がなくなることで)失業することだ」と言ってたことぐらいしか知らず「崩れ落ちる兵士」の存在を知りませんでしたが、「ハゲワシと少女」に関して言えば撮影後カーター氏はハゲワシを追い払い少女は食糧配給所までよろよろと歩きだしそれからカーター氏は木陰で荒んだ気持ちで泣き続けたそうなので別に「助けなかった」訳ではないと言えるにせよそういう問題ではないですし非難も解らなくはないのですがそうはいってもこの写真がなければ世界は現状を知ることなく餓死する人が増えてたかも知れないと思うところがあるだけに「カーター氏の行いは間違いではないのでは」と昔からずっと思い続けてたりします。
    今回の静が射殺されてしまう写真もまた、もし仮に雑誌に掲載されてたとすれば賛否は出るでしょうが
    >中盤で、連続殺人鬼のいまの姿を撮ることについての是非を、野火が「わかりません」というのも、そうしたジレンマを意味しているのでしょう
    >>これに関しては自分としては仮に『知りたい』と思っている読者がいて需要があるとしてもどちらかと言えば非です。そうした需要にはこたえられるでしょうがそれ以外では毒親育ちさんの仰る様に晒し者にするだけでしかないですから。
    >これは意地が悪いですが、そのぶん、世にあふれている芸能ニュースや、事件を報道する仕事に携わっている人々が「道義」に悩んでいるかもしれない、ということを想像させます。
    >>毒親育ちさんの意見に便乗するようで恐縮ですが、パパラッチに関してはダイアナ妃の件もありますしはっきり言って嫌いな類ですし報道と呼ぶのは烏滸がましいと考えています。しかしそういった職種の人たちもやはり感情のある人間のはずですしもしかしたらそうした道義で悩んでるのではないかと考えさせられるきっかけになったという意味ではやはり意義のある作品なのかもしれません。
    >都心でのカーチェイス自体はイケました。これだよ! 映画なんだから、こういうのが観たいんだよ!
    >>自分もあそこが素晴らしいと思いました。東京であんなに(歩行者の方々にとってはいい迷惑な位に)激しいカーチェイスがやれるとはすごいです(邦画であれぐらいやれたのは劇場版『MOZU』ぐらいでしょうがあちらは国外でやってるだけに日本国内でやったものならこれぐらいなんだと思うと…)。
    >PG12に収める為では?
    実際、性的な描写に関しては、相当に映倫コードに気を付けた演出を感じました。
    >>そういう背景もあるんですねえ。個人的にはPG12に納めなくてもよさそうな気はしますが…(自分の観た回で「えっ、こういう年代の子がいて大丈夫なのか?」と思うような子供がいただけに)。
    >あと。かつて勇気や楽しさをくれたアイドルを貶める事に達成感を感じて堕ちる所まで堕ちたと思った野火が急に被害者の気持ちなど語り出してゲンナリしました。
    >>個人的には「そういう視点が必要なんだろうなあ」という感じであまり気になってなかったですが、言われてみると、まだ駆け出しの時点でいうならともかくこの時点で被害者の気持ち云々を言うのもなあ…。
    >本作の誰も道義に悩む所は有っても。決して自分が正しいなどと一言も言っていなかった事に気付きました。
    >>まして「俺たちのやってる仕事はゴキブリか溝鼠以下なんだよ」って言ってますからねえ。

    とりあえず、個人的には面白いと感じましたし、嫌いではないです。でも好きかと訊かれるとちょっと困りますし題材が題材なだけに薦める気にはならないです(観ようとしてるのを止める気もないですが)。
    あと原典である『盗写1/250秒』は是非とも観てみたいものですがマジでDVD化しないものか…。ただでさえ入手困難なのにVHSを買い占められてるとなるとたまったものじゃないです(まあ、大根監督が同作品をホントに好きなのはわかるんですけどね)。
    あと少々脱線してて恐縮ながら、マスメディアつながりで滝田洋二郎監督の『コミック雑誌なんかいらない!』も観てみたいものです。

  4. シオン=ソルト より:

    >毒親育ちさん

    私は、本作に対しては「自己正当化プロパガンダ」とは思っていません。
    というか、大根氏がプレスに対する正当化プロパガンダをする理由は特に見当たらない気がします。

    私もパパラッチを由とする気はないのですが、それはそれとして、事件にせよ事故にせよ「起きていること」と、それを「取り上げる者」(カメラマンやプレス関係者)、そして「それを見る者」(必ずしも当該プレスのユーザとは限らない!)、この3者は飽く迄も「変数」に過ぎないと考えています。代入される値とは無関係にある、という意味で。

    例えば台風でも地震でもいい、自然災害の現場があったとして、「取り上げる者」はそこを撮影しに行ったり記事にしたりする。その者達には「プレスの売り上げを伸ばそう」「視聴率を稼ごう」という思惑の者もいるだろうし、「世に知らしめるために」という者もいるだろうし、「今後の教訓にするために」という者もいるかもしれない。
    「それを見る者」もまた、「うおーすげーぜ」と自らの娯楽目的で接する者もいるし、「ここから何か得られるものはないか」「今後の教訓に活かせるものはないか」と臨む者もいるでしょう。

    「教訓」云々を正当化とみる向きがあるのも確かですが、もう少し俯瞰視して構えたとき、そも良いだの悪いだの、正当化だとか何だのとか、果たしてそれは意味のある議題なのだろうか。私にはそのように感じているのです。
    「他所ん家の痴話喧嘩が自分達の生活に何か被害を及ぼすのか」…被害はともかくとして、その情報がどのような意味を持つのか。それは個々人によるだろう。興味本位のみの人も多いし、無関係と考える者もいるだろうし、そこから何かを学ぼうという人もいるかもしれない。

    くどいようですが、正当化、では無いんです。
    学校で学ぶ授業の勉強が何の役に立つのか、などという話はよく話題に上がりますが、私はそれらと同じような概念で捉えています。役に立たんと考える奴にとっては一生何の役にも立てないで終わるのだろうし、そこに何かを見出そうとする者は何某か意味のあるものとしていく。

    津波被害のさまを見て「人がゴミのようだ」と笑う者がいたとする。そんな輩を喜ばせるような不謹慎な映像はやめるべきだ、と言い出す者がいるかもしれない。では、そうした写真や映像はタブーか否か。
    紛争地の身体がバラバラになったり、臓器がこぼれおちたりしている様子が映し出され、死体性愛者が歓喜の声をあげたとする。そんな輩を増やしかねない画像はやめるべきだ、と言う者もいるかもしれない。では、そうした報道はタブーか否か。
    恐らく答えなんか無いんです。津波被害も紛争地も時事として意義がある…とした時点で正当化になりうるのです。だからと言って無くすべきかと問われれば、私はノンと答える。少なくとも私には、教訓とすべきものがあるように思うから。でも、それは正当化ではない。

    芸能大衆写真週刊誌に意義があるのかどうか、それは私はわかりません。
    「連続殺人鬼のいまの姿を撮ることについての是非」「野火が急に被害者の気持ちなど語り出し」は、私にとっては正当化ではなく、是とも非とも言えない、答えなど無い狭間に放り込まれている姿を描いている。そのように感じました。

  5. にとり より:

    二階堂ふみの下着なしVerなら「私の男」オススメですよ!
    (酷いコメント)

  6. 毒親育ち より:

    シオン=ソルトさん
    確かに登場人物が誰も「自分達が正しいと言っていない」また「登場人物に言わせていない」のに自己正当化プロパガンダでは無かったですね。
    ここから大根監督にそんな意図は無いと汲み取れます。
    まして「自分達が正しい」と予告から言ってしまっている『グッドモーニングショー』と比較してはいけませんか。
    訂正します。

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著者

ヒナタカ

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