
映画『えんとつ町のプペル』酷評レビュー|物語の構造が姑息で、夢への向き合い方が徹底的に「not for me」だった理由
公開からだいぶ時間が経ちましたが、今日の映画感想は『えんとつ町のプペル』です。
個人的お気に入り度:2/10
一言感想:巻き込まれたくない
あらすじ
孤独な少年が「星を見る」という夢を追います。
同名の絵本のアニメ映画化作品です。
※絵本の内容はこちらから無料で読めます↓
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西野亮廣という人物および、この絵本および映画の宣伝手法についても、言いたいことが山ほどあるんですが、ここではちょっと置いておきましょう。
なぜなら、映画本編のほうへの文句の方が大量にあるからです。
結論としては、作品としてのクオリティが高いことを認めるのはやぶさかではないけど、提示されている「夢への向き合い方」に違和感があり、徹底的に「not for me」であり、その理由が物語の構造の姑息さ(本来の意味の「一時しのぎ」ではなく誤用の「卑怯」の意味で)にもあると気づきました。その理由をたっぷりと以下に記していきましょう。
※以下、本編のネタバレを含みます。あるどんでん返し的なネタバレの一点のみ避けていますが、未見の方はご注意を。
※この映画を文句なしに楽しまれた方には不快に感じる表現も多々出てくるかと思われます。ご了承ください。
「星=夢」とする物語構造の姑息さ
舞台となるえんとつ町は、煙突から出る大量の煙のせいで夜空が見えなくなっています。主人公の少年ルビッチは、その町でも夜空には星があることを信じている。だけど、周りにはそんなものがあるわけがないと笑われてしまっています。
この映画を観ている観客は、言うまでもなく現実の「星は存在している」という普遍的な事実を共有しています。つまり、「主人公を否定する人たち(星を信じないこと)は愚か」という構図が初めから見えてしまっているのです。
つまりは、「ほら、誰かの夢を否定するような奴って、当たり前にある星を信じていないような奴なんだよ。愚かでしょ?」と言われているようなものなんですよ。しかも、孤独で幼い、無垢な子どもの主人公まで用意しておいて。
「誰かの夢を根拠もなしに否定することは間違いだ」という主張は確かに真っ当です。だけど、その手段としての夢=星という絶対的なものを使うのは「相手の方が間違っているんだから」という聞く耳を持たない、排他主義的な考えに思えてしまうのです。
付け加えて、本作には夢を見ることを暴力を持って否定してくる、ガキ大将的な街の子どもがいます。彼はマジでほぼ会話とかすることなく、ゴミ人間のプペルを物理的にいきなりボッコボコにしてくるんですよ。
その時点でどうかな……と思っていたら、この子はかつて煙の間から星を見ていたことがあって、そのことでむしろプペルやルビッチをいじめていたことが判明。終盤で彼はプペルとルビッチを「星を見せてくれ!」と手助けをすることを選ぶのでした。
つまりは、「こうやって誰かの夢を否定するような奴も、本当は星を見たがっているんでしょう?羨ましかったんでしょ?だったら、もう素直にこっちに同化すればいいんだよ〜You Say~?」と言われているようなもんなんですよ。
別の同調圧力が浮上するパラドックス
本作は、同調圧力による支配から脱却し、何かを諦めないことを説いた内容とも言えます。
本作において、町にいる「異端審問官」や「ボコってくるガキ大将的な子ども」はただただ夢を否定してくる存在であり、それをもって「周りがどう言おうが君が信じている大きな夢は正しいんだよ!」と肯定する。そういう構図があるんです。
この夢をとことん肯定する、「同調圧力に屈するな!」というメッセージが響く人もいるでしょうから、それ自体はまだ100歩譲って良いとしましょう。
でも、前述したように「星を見るのは絶対的にえんとつ町のみんなが望むこと」と、こちらに押し付けてくるのがイヤだったんですよ。端的に言って「個人の夢に他人を巻き込まないでくれます?」と思ってしまうんです。そもそも、夢って個々人で全く違うものですし。
しかも、前述したように夢を否定しボコってきたガキ大将的な子どもも、夢を応援する側に同化させてくる。つまりは、「星を見るのが正しい」という形で、同調圧力を否定しているはずの物語が、別の同調圧力を生んでいるという、なんとも逆説的な内容になってしまっています。しかも「絶対的に誰もが綺麗だと思う星」というモチーフまでをも使って!
そもそも、現実で誰かの夢を否定する人だって、その夢の厳しさをわかっていたり、その人の将来を心配しているから、といった真っ当な理由があると思うんですよ。「夢をあざけ笑う」なんて、かなり特殊な例ですよ。
この時点で、現実の夢に関わる複雑な問題を、作り手の都合がいいように「寓話」にねじ込んで、一般論のように肯定するのが本当にイヤなんです。
結果として、この映画には夢について「自分の夢は正しいと肯定する無垢な子どもの主人公とその友達や家族」「その夢を嘲笑うか否定する者」「その夢を否定したけど結局はその夢が羨ましいだけだった者」という3者しかいないわけ。
そんなに世界は単純じゃないですよ。例えば、「えんとつ町から独自に抜け出して、その人なりの幸せや夢を探す」みたいなキャラクターがいたら、まだ納得できたんだけどな……。
さらに後半では、えんとつ町で煙突が煙を焚いているのは、「わざとそうした」という「世界の秘密」が語られたりもするのです。
いやいや、現実の公害問題は、あくまで他の目的があって、副次的な要素で人々に被害が及ぶようなものですよね。これは「世界観が雑すぎ」という、さらに冷めてしまう原因になっていました。
寓話として作るのだったら、ちゃんと納得できるだけの世界観を作ってほしいものです。
(追記:記事初出時に「煙は星を見せないため」と書いておりましたが、実際に明かされたことは「煙は争いの絶えない外と隔絶するため」のものであったとご指摘を受けました。お詫びして該当部分を削除、訂正します)
思い出したあの映画
総じて、本作は夢を否定する者への蔑視と嫌悪が見えすぎで不快です。
これで思い出したのが、ディズニーの実写映画『トゥモローランド』。こちらは個人的には好きな映画ではあるんですが、「夢を持て」「夢を叶えろ!」という主張が強すぎて不快に感じる方が多く、選民思想的にも思えてしまうという点でも批判をされていました。
※『トゥモローランド』の感想記事はこちら↓
未来への可能性 映画『トゥモローランド』ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
そもそも、夢を持たないでいる人だっているし、そういう人も社会に必要だし、尊いはずですよね。『トゥモローランド』と『えんとつ町のプペル』には、夢を持たない人が自己肯定できるようには全く作られてはいない、それどころか「他の夢を持つ人の足を引っ張るなよな!」な感じの蔑視と嫌悪が見えすぎる、というか大衆を見下しているようにさえ見えるというのは、はっきり良くないです。
そのディズニー最新作である『ソウルフル・ワールド』の「夢の向き合い方」は、大きな夢を持つ人だけでなく、全ての人に向けられているのが本当に素晴らしかったですね。解説記事はこちら↓
『ソウルフル・ワールド』がピクサーの到達点となった「5つ」の理由 | cinemas PLUS
『天空の城ラピュタ』のマネにもなっていない
まだまだ言いたいことがありますよ。ルビッチには亡くなった父がいて、その父は星の存在を信じていて、紙芝居でそのことをえんとつ町に知らしめようとしていたけど、結局は生前に証明することができなかった。だから、息子であるルビッチが父の意思を継いで星を見ようとするという、もう1つの物語の軸があるんですよね。それ、完全に『天空の城ラピュタ』やん。
※『天空の城ラピュタ』の解説記事はこちら↓
なぜ『天空の城ラピュタ』は飛び抜けて面白いのか?キャラの魅力と宮崎駿の作家性から理由を探る | cinemas PLUS
パクリだと単純な批判もできますが、問題はその他にもあります。
『天空の城ラピュタ』における主人公パズーの「ラピュタを見つける」というのは、言うまでもなく個人の夢なんですよね。でも、この『えんとつ町のプペル』では、何度も言うように「星を見る」ということを「大衆の夢のはずだ」と押し付けてくる感じがしてしまいます。
また、『天空の城ラピュタ』における主人公パズーは「この場所ではいくら努力しても事態が好転しない」ということをわかっていて、だからこその冒険に旅立つカタルシスがあり、その過程でもパズーはたゆまぬ努力をしていました。
反面、この『えんとつ町のプペル』における努力は…(次の項に続く)
夢を叶える手段がテロ行為
夢を叶えるために必要なものって何でしょう。異論はあるかと思いますが、その1つは「努力」ではあると思うんです。
でも、この『えんとつ町のプペル』でルビッチとプペルが終盤でやることは、ある場所で爆弾を爆発させるというテロ行為なんですよ。
まあ別に人死にが出るとかそういう被害の心配する必要がないとは言え、夢を叶えるための方法がテロ行為にあるってどうなの?と思うわけですよ。その場所に行くための努力をしてるっちゃしているのですが、少なくとも「完全な努力のみで夢を叶えられた」という物語にはなっていないわけです。
しかも、その過程にあるのは世界の秘密を知るお喋りなキャラと出会って、その人と「3つのお願いを叶える」という約束をしていたから協力をしてもらうというもの。
そうか、この映画で言っているのは夢を叶えるために必要なのは努力じゃなくコネであり、大事な約束をしたという言質を取ることなのかな?
いや、それは確かに現実で大きな夢を叶えるために必要なことかもしれないけど、僕はすげーイヤだ!
またここで「夢への向き合い方」そのものに違和感を覚えるわけですよ。夢って、そんなふうに世界を変えないと実現できないものか?と。
確かにそのような場合もあるし、それで社会に変革を起こすこともあるだろうけど、それもまた特殊な例ですよ。逆に言えば、夢をそのようなものだと信じている人にとっては、良い映画なのかもしれないけど……
そんなわけで、夢の向き合い方がマジで徹底的に自分の価値観と合わずに「not for me」……いや、はっきり嫌いな映画でした。
他のダメ出しポイント
言いたいことがまだまだ止まらないので、もうここからは箇条書きだ!
- 説明的なセリフが多すぎ。世界観を絵で判らせるアニメとしての魅力を信じていないように見える
- 「えっ?今それ言う?」な不自然なセリフも多い。具体的には序盤でルビッチがゴミ人間のプペルを助けなきゃ!→来るなゴミ人間!お前のせいで落ちる!→友達になろう?と言ったりする(一応ルビッチがその前に友達を欲しがっていることは提示されるんだけどそれでも変)。異端審問官が「父が死んだ理由」を母に告げるシーンがあるんだけど、そこで言うのもおかしい。
- 設定も要所要所で変。例えばルビッチの父親がものすごくガタイがいいのに、なぜか喧嘩ではすげー弱いのだけど、そのことの理由づけはなし
- 「腐るお金」という概念が「お金の奴隷から解放されよう」なプロパンガンダ的に思えてすごくイヤだった。これが物語上は全く必要ない。
というわけで、普通に脚本の出来が悪いと思います。
良いところもたくさんある映画
そんなわけでディスりまくりましたが、この映画『えんとつ町のプペル』は掛け値なしに褒めるべきところもとても多かったりします。
- STUDIO4℃によるアニメは質がものすごく高い。美術は美しく、細かいところまで描き込まれている
- キャラクターデザインも良い。特にゴミ人間のプペルの造詣はその不憫さも含めて魅力たっぷり
- 伏線が(若干わざとらしくもあるけど)効果的に使われているところもある。「親子愛」という夢とは別の物語の軸を用意していて、それがちゃんと着地しているのは素直に感心した
- ボイスキャストが完璧。窪田正孝、芦田愛菜、伊藤沙莉、藤森慎吾などなど、全員が超マッチ。マジで本業声優を使わないアニメ映画史上でも最高の出来だと思う。
また、廣田裕介監督はこれが劇場初監督作品なのですが、2015年のアニメ映画『ハーモニー』では演出とCGI監督を務めていました。そのクリエイターの実力が本作で証明されたのも良かったです。
その『ハーモニー』は調和がされすぎた世界の気持ち悪さを描く内容でもあり、奇しくも本作とは好対照ですね。感想記事はこちら↓
アニメ『ハーモニー』近年まれにみる鬱映画だった(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)
総じて、本当にスタッフはそれぞれ最高の仕事をしているんですよ。
西野亮廣が関わっているところ以外は本当に素晴らしい内容だと結論付けられます。
また、散々これまでイヤだとか不快などと言ってきましたが、これは夢においていろいろな複雑な事情を知ったからの感想であって、本質的に伝えているメッセージは真っ当なので、子どもに見せるぶんにはたぶん問題はないんですよ。
劇中の価値観が、「うん、まあ、いいんじゃない」程度には肯定もできなくはない。だからこそ、この映画はめんどくさいとも言えるんですが…。
脳のリソースを費やしたくない方にはお勧めしない
本作を観たのは昨年末だったんですが、モヤモヤがあまりに多すぎたために、約1ヶ月に渡ってこの映画のことを毎日のように考えてしまいました。考えたくないのに、考えてしまうことが、すごくまたイヤだ!それものすごく不健康だよ。
結論としてこの映画『えんとつ町のプペル』は、「西野亮廣の信奉者」と、「大きな夢を否定された経験がある人」のみにオススメであり、その他の脳のリソースを費やしたくない方には、全くオススメしません。
逆に言えば、そういう人たちにとっては皮肉でも何でもなく、本当に良い映画だと受け入れられると思います。僕はそういう大きな夢へ駆け上がれるような性格や人生ではなかったため、やっぱり「not for me」なんです。
そして、こうやってこの映画を批判したところで、劇中で言うところの、幼い子どもの夢を否定する、星を見ようともしない愚かな大衆であり、ボコってくるガキ大将的な子どもや異端審問官になってしまう構図がまたあるんです。
だから、こうしてバーっと批判を告げても、この映画を信じている人にとっては痛くも痒くもないわけ。
批判を先回りして封じ込めているようなこの構造は、『R100』に通ずるところがありますね(さすがにそこまでは露骨でもないけど)。
※『R100』の感想記事はこちら↓
究極の自己満足映画?「R100」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
この記事で何とか言いたいことを言語化できたので、もう僕はこの映画『えんとつ町のプペル』のことを考えずに生きていこうと思います。
おすすめの批判的なレビュー↓
映画版『えんとつ町のプペル』の出来そのものは良いからこそ厄介という、かなり面倒くさい話|CDBの七紙草子|note
アニメ映画『えんとつ町のプペル』感想。「作者と作品は切り離して考えるべき」は無理無理の無理 – 社会の独房から
私が『えんとつ町のプペル』を子どもに読ませたくないと思う理由|宇郷レペテ|note(原作絵本のレビュー)
また、上映中の『キル・チーム』という映画が、奇しくも「同調圧力」と「親子愛」を描くという意味で『えんとつ町のプペル』に通じていました。こちらは良い映画ですよ↓
殺人に至る最悪の同調圧力を描く映画『キル・チーム』が、決して他人事ではない理由 | ハーバー・ビジネス・オンライン
(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

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chat_bubbleコメント
素直に楽しめない残念な大人って感じの人なんですね
別に西野さんとかどーでもいいけど長々と自分ではなし得ないことをしている人の酷評をするのは楽ですし、真っ当なこと言ってる風にはみえます。。。
そんな駄文を書いてる暇があれば他にやる事あるのでは?
言葉の選び方もサブカル崩れって感じで厨二病かなって思う。
いいところもあります。
文章まとめるのが上手だなと思いました。
↑
どーです?
似た構成であたなのこと書きましたけど
いや、1ヶ月間もモヤモヤを残す映画って、普通に考えれば数年に一度見れるか見れないかくらいの傑作レベルじゃんw
ラピュタだって30年以上前の作品だし
真似してない完全オリジナルなものなんて、この世の中にはほぼないと思うんですよね。
ラピュタとか色んな作品にインスパイア受けて作ったら悪いんですかね?
俯瞰で書いてる様に見せて主観が強すぎません?
観たくない、嫌いになりたい。
そういう理由を一ヶ月かけて探し回っていたんですね
西野さんの事嫌いだけど、なんか本当はイイヤツで滅茶苦茶頑張ってるやつなのかも?
いやいや、俺は騙されないぞ
ってモンモンしてる感じがしました。
好き嫌いは置いといても
頑張ってる人を否定するのは、最後は損しそうだから、そうなくなるといいですね。
そういえば松本人志も本書いたり映画つくったりしてるから西野は同じ吉本の先輩である松本の影響も少なからず受けているのかもしれない
絵本の出来は良いと思ったけど、映画を観る気は全くないです。
例えば高齢者がよく言うように家庭仲良く皆が元気に過ごすことが夢であり、毎日叶っているという人もいるのに、まるで自分の夢を実現する応援をしないヤツは愚かだ妬みだと断定するような。
西野さんのは夢ではなく野望、野心でしょう。
夢を見る人を決して否定はしないから、幸福の科学のように信者内で勝手にやっててくれ。
野心、野望それすごいしっくり来た。
全く同じ意見です。
私は初日の12月25日12時から観ました。
感想も「西野亮廣信者しか観ないな〜」とツイートしました。
「自分の夢のためなら他人の意見なんてどうでも良い」と言う考え方は大嫌いです!
「夢追い人」が人口の10%を超えたら、おそらくその国は崩壊します。
「夢の仕事じゃないけど、やれる事をやれる範囲で頑張っている」人達で国・人類は成り立っていると思います。
夢追い人は「ほーーーーーーーんの極々少数」で良い!
全人類西野亮廣になったとき人類は滅びる!!
好き嫌いはあるので、嫌いなら嫌いで良いと思いますよ。
自分は、純粋に思ったより面白かったです。
話はすっごくベタな内容ですが(笑)
①
この映画を観ている観客は、言うまでもなく現実の「星は存在している」という普遍的な事実を共有しています。つまり、「主人公を否定する人たち(星を信じないこと)は愚か」という構図が初めから見えてしまっているのです。
⇒「えんとつ町は長い間ずっと煙に覆われていて、星を見た事がある人間がいなくなってしまった『閉ざされた環境』」という設定ですよね。現実世界の人間が「えんとつ町の空に星があるのは不変的な事実」と思ってるってなんであなたがわかるのですか?神様ですか?
②
「こうやって誰かの夢を否定するような奴も、本当は星を見たがっているんでしょう?羨ましかったんでしょ?だったら、もう素直にこっちに同化すればいいんだよ〜You Say~?」と言われているようなもんなんですよ。
⇒「本当は見たがっている人」もいるし、「周りに同調して否定してるだけの人」もいるし、「何も考えてなくて周りから言われたことを信じてる人」もいるって物語ですよね。アントニオ君だけを見て「夢を否定する人=本当は見たがっている」と決めつけるのはあまりに短絡的ですね。煽りたいが為に敢えて曲解してるんであれば好きにすればいいですけど。あと、「You say~?」のところ、めちゃくちゃ面白くないから、逆に笑えますねw
③
「個人の夢に他人を巻き込まないでくれます?」と思ってしまうんです。そもそも、夢って個々人で全く違うものですし。
⇒「星=夢」とあなたは言っていたのに、「星を見ることを夢にしろ!と巻き込んできている。」と勘違いして話してませんか?w 自分で書いてて理解出来てないですよね。また、あくまでメッセージは「夢を見ることを否定して『欲しくない』」という願いであって、強制はしてないですよね?w 映画見た上で嫌なら従わなきゃいいし、被害妄想も甚だしいですねw
④
「絶対的に誰もが綺麗だと思う星」というモチーフまでをも使って!
⇒全員が綺麗に思ってるって、なんであなたが知ってるんですか?ブラックホールを全員が綺麗と思ってるんですか?同調圧力ですか?あなたが同調圧力嫌いじゃないんですか?ww
⑤
現実で誰かの夢を否定する人だって、その夢の厳しさをわかっていたり、その人の将来を心配しているから、といった真っ当な理由があると思うんですよ。「夢をあざけ笑う」なんて、かなり特殊な例ですよ。
この時点で、現実の夢に関わる複雑な問題を、作り手の都合がいいように「寓話」にねじ込んで、一般論のように肯定するのが本当にイヤなんです。
⇒夢を見ている本人にとって「厳しいか否か」は他人にはわからないですよね。そのうえで諦めることを「提案」するのであればいいと思いますが、諦めることを「強要」するのは違いますよね?それもあなたが嫌いな同調圧力だということは理解できますか?w また、「かなり特殊な例」と言っていますが、過去にキンコン西野さんは「日本中から」同じ目にあっています。それでも「かなり特殊な例」と言いきれるのであれば、あなたはとてもワールドワイドな意識の持ち主なんですねw ・・・あ、だからさっき「You say」とか言ってたのか。すぐに理解出来なくてごめんなさいw
⑥
そんなに世界は単純じゃないですよ。例えば、「えんとつ町から独自に抜け出して、その人なりの幸せや夢を探す」みたいなキャラクターがいたら、まだ納得できたんだけどな……。
⇒2時間弱の映画で全ての人間を語り尽くさないといけないということですか?ムリですよねw あ、また同調圧力ですか?w
⑦
いやいや、現実の公害問題は、そんなふうに誰かの夢を潰すためにやっているわけでなく、あくまで他の目的があって、副次的な要素で人々に被害が及ぶようなものですよね。これは「世界観が雑すぎ」という、さらに冷めてしまう原因になっていました。
寓話として作るのだったら、ちゃんと納得できるだけの世界観を作ってほしいものです。
⇒「えんとつ町を閉ざされた環境にして、争いごとを無くすために煙を炊いている」という相反した正義があることも映画内で語られてますが、聞いてませんでしたか?それとも理解できませんでしたか?w 「ボク理解力ないから、ボクに分かるようにもっと細かく丁寧にゆっくり説明して~!」ということですか?w
⑧
夢を持たないでいる人だっているし、そういう人も社会に必要だし、尊いはずですよね。『トゥモローランド』と『えんとつ町のプペル』には、夢を持たない人が自己肯定できるようには全く作られてはいない、それどころか「他の夢を持つ人の足を引っ張るなよな!」な感じの蔑視と嫌悪が見えすぎる、というか大衆を見下しているようにさえ見えるというのは、はっきり良くないです。
⇒「夢を持たないでいる人」と、「夢を否定する人」は別だし否定してないですよね。「夢を持たないでいる人=夢を否定する人」と決めつけてあたかも否定されているように見せるのは、はっきりいって良くないですよねw あなたのキンコン西野さんに対する蔑視と嫌悪が見えすぎるのは良くないですよねw
⑨
でも、この『えんとつ町のプペル』では、何度も言うように「星を見る」ということを「大衆の夢のはずだ」と押し付けてくる感じがしてしまいます。
⇒自分で「感じがします。」って言ってしまってるやん。完全に個人の主観やん。自分、分かっとるやん。それをみんなに強要するなや。と、僕は感じますw
⑩
その場所に行くための努力をしてるっちゃしているのですが、少なくとも「完全な努力のみで夢を叶えられた」という物語にはなっていないわけです。
⇒夢は1人で叶えないと否定されるべきだということですね。・・・そんな世界、僕はすげーイヤだ!w
⑪
夢って、そんなふうに世界を変えないと実現できないものか?と。
⇒あなたは持つ夢を多くの努力をしなくても叶えられるんですね。素晴らしいポテンシャルをお持ちなのか、見てる夢がちっぽけなのか。まぁ、本人の主観なので本人が幸せならそれが正解ですねw
⑫
というわけで、普通に脚本の出来が悪いと思います。
⇒その後に「キンコン西野さんのマインド以外」について褒めちぎっているところを見ると、本当にキンコン西野さんが嫌いなんだなぁと改めて思います。あなた親でも殺されたんだっけ?w 人をそこまで嫌いになれるのが不思議でしゃーないw
そんなわけでこの記事をディスりまくりました(長すぎて全部触れられん、もう飽きたわw)が、褒めるところも・・・ないですねw
ただただキンコン西野さんを否定したいがための記事で、それをすることによってビューが稼げることも理解している姑息な記事だなぁと思う次第です。あ、この場合の姑息とは・・・記事をご覧下さいw
最後に、この記事のビュー数に貢献してしまって申し訳なかったです。
この記事のコメ欄読んでたらすごく長いコメント出てきてびっくりしました!個人のレビューに対してこんな長文打てるなんて凄いですね笑
レビュー主さんも記事をつくった甲斐があると思います笑
まぁまぁ長い
まず、前提としてこれは絵本から映画になってるよね。
SNSが普及して、他人を傷つける人間がそれまで届かない距離から攻撃できるようになったからっていうメッセージ性もあるんじゃないかね。
描写が臭いのは西野自身の性格だろうし、夢を実現する手段がテロなのは爆弾ってインパクトくらいないと今の世の中変わんないよ?って事でしょう。総じてぱっと見で分かりやすくしているだけだろう。そもそもこれは絵本なんだから。表現が露骨でいや大袈裟って桃太郎とか読んだ事ないんかそれを捻くれて夢を持たない人や協力しない人disってますやん!!!って、そりゃ〜西野が嫌いなだけで作品を落とそうと必死なだけじゃない?
なにかと裏があると考えたり、被害者意識を勝手に持つ方が気持ち悪いと思うけどな。
「西野亮廣の信奉者」と、「大きな夢を否定された経験がある人」のみにオススメであり、その他の脳のリソースを費やしたくない方には、全くオススメしません。
↓
私は信奉者でも、否定された人でもありません。
家族で見る映画がこれくらいしか無かったから
見に行っただけで、単純に面白かった。
脳のリソースを費やしたくない方には、全くオススメしません。?悪かったな、脳のリソース費やさない人間で!
変態的な記事やな。
一人ひとり考え方、感じ方が違うのは当たり前。単純に一つの意見として面白いね。
健全でいいんじゃない。
私はこの世界に星があることは分かっていますので、記事に納得致しました。
長文コメントのお陰でさらに面白かったです、ありがとうございます笑
サブスクで来たら見てみようかな笑
読むに耐えない記事だったけども、You Say~?まで読んだ自分は寛大な心を持ってるなと自覚できた!
そういう意味ではとっても感謝してます✨
西野気の毒やな。
事細かに批判されて。
夢うんぬんかんぬん作者の自由や。
どんな趣向に作ろうが、それが表現者の権利や。
お前ら作ってみろ‼️時期的に強豪作品乱立の中でも結果を残している最中進行形や。
オイラからはもそっとナレーション簡潔子ども向けに……ってぐらいやで。
お前ら作ってみろ!!
あーあ、ラストワードじゃねーかw
批判、いや批評を許さない「表現者」なんていねーよ、甘えんな
この映画とっても好きです。大好きです。二度観て二度とも号泣でした。
好きな人は好きな映画。
嫌いならそれでよし。
日本は平和だ。
作るのも自由。
好きな事言うのも自由。
西野さんに野心があるのも自由。
西野さんが気にしないのも自由。
私がどう想うかも自由。
私は面白かった。
西野さんを始めとして関係者に感謝したい。
二回目を見に行くとする。
そもそも映画って作りての強いメッセージを込めるものだし。偏ってる映画なんてたくさんあると思うんだけど。そんな事細かにつっこんでいったらどんな映画もつっこめちゃうと思うし。
なんか、最初っからこういう記事書きたくて否定的に見て、一生懸命こきおろそうとしてるように見えて別に西野が好きとかじゃなくてもあんまりいい気持ちしない。
西野のこと嫌いなのかもしれないけど、映画の批評を通してそのことを読み手に押し付けてるよね。
「そもそも映画って作りての強いメッセージを込めるものだし」
という思想の押し付け
落書きをする子供のような
衝動だけで完成された名画も山ほどある
それはすべての芸術(と言われる)作品に言える
メッセージって言葉は
時おり都合よく使われるね
今週家族で行きます!めっちゃ楽しみです!夢が無い人には苦痛なのですね?そのへんも理解しながら見てみます!ありがとうございました!私は今の日本が嫌いなので西野さんが何か変えるキッカケを作ってくれる事を望んでいます!そして子供にこのままの日本を託したくないとも思っています。
私、映画レビューサイトの高評価(星4.3くらい)に騙された人間です
「二度観て二度とも号泣」だの「二回目を見に行くとする」と語る方々が占拠していた当初の話です
単純に、鉄コンのスタジオの新作アニメが大傑作なんだと思い込んでしまいました
西野さん界隈の事情を知っていれば余計な出費も避けられたんだけど…
アラの多い作品を出来が悪いと言って何が悪いんだろう
細かく突っ込むと西野さん個人への誹謗中傷にみえてしまうのか?
そういうところが「巻き込まれたくない」なんですよね
最初に言っておきますが、西野信者ではないです。
私は大人になってから夢を持って、周りに否定されバカにされてもめげずに夢を叶えた者です。
この映画はそういう人、夢とか大げさな事じゃなくても日々努力している人には100%刺さります。
この方は人の夢を否定するのは、厳しい事がわかっていて心配しているからと言っていますが、だからそれこそが、諦めずに努力している側からすると足を引っ張る行為であり偽善であり迷惑でしかない事なんです。
その一文だけでも、この方がそっち側の人なんだとわかります。そしてこの映画を観てなお、夢を観るのは子供だけと思ってらっしゃる。文章の端々に固定概念が見えるので、そりゃこんな感想になるわなって思いました。
子供を持つ親からしたら、全世界の子供達に見て欲しい!と思っちゃいますね。9歳の息子と号泣しながら観ました。3歳の息子も「また見たい!」と言ってます。現代のいじめはもっと酷いと思います。今の子供達のリアルに近いのではないでしょうか?そして、そのガキ大将のアントニオ達と同じ事してる事に気付いてますか?自分が気に入らなければ暴力をふるう…西野さんが気に入らないからと誹謗中傷だらけの記事で、自分がこれ以上の物を作れないくせに、何を言ってるんだろう…と思う内容でした。西野さんに対する嫉妬?わざわざこんな書き方しなくても…。まぁ、でもこんな記事を書かれたところで、西野さんは気にされてないと思いますが!笑
うちは絵本が出た時から大好きだったので、こんな偏った意見の記事を読んでも、2回目も見に行きたいし、DVD出たら買いたいくらいくらい大好きです!
その書き方じゃあんたも一緒だろうよ
3歳の息子に親はこんな事やってるよって言えんのか?
西野の味方するわけじゃ無いけどそんなのばっかだから宗教って言われてんだよ
それならあんたのこのコメントも同じ様なもんだろう。
子供にこの事脚色なく言えるの?
西野は嫌いだけどそういう無駄に攻撃的なのがいるから余計に気持ち悪がられてるのがわかんないのかな。
記事の冒頭だけ読んでも否定意見なのは分かるし、映画が好きな人への注意喚起までしてんのにこんなコメント書く人が現実のイジメは〜とか言うかね
僕は西野さん好きですが、映画を観た後に何か違和感を感じていました。
こちらの記事を見せていただいて、同じようなことを感じましたことに気づきました。
文字に起こせるってすごいですね。
物事の捉え方が似てそうなので、また他の記事も見せていただきます。
映画を観に行った時点であなたの負けです。何にもあなたの話は心に響きませんでした。私は観てません。あなたの負けです。
ならこのコメント書いてる貴方も負けだよね?
西野亮廣氏が大嫌いで彼が成功するなんて耐えられないと思ってる事はよく分かりました。
自分は面白かったです。
ニコ生で「何故、西野さんは自ら映画監督をしなかったのか?」を解説したものです。
私も「R100」を用いて、西野さんへの取り組みを解説しました。
本レビューはなかなかの文です。今後の活躍にも期待します。
Twitterおいときます。
@eiga2020
この映画自体に全く興味ないけれど、記事に上がっていたのでレビュー読みました。
で、何より感じたのがここのコメ欄にすでに同調圧力者が湧いているのが最高に笑える。
ザッと見た感じだけれど、
『批判する前提で記事を書いている』『見方が穿っている』『素直に見ない前提で見ている』
というのが結構ある。
西野のTwitterに直接書き込んでるでもなく、普通に見た感想をレビューとして投稿する分には自由でしょ。
映画の感想なんて100人いて100通りの感じ方がある。
批判的な記事に対して、全力で『間違っている』と言ってきている時点で作者のレビューに信憑性がある気がする。
なので、今後私がこの映画を見る事はないだろう。
賛同的な意見しか許さない映画なんてどう考えても映画見て面白そうではないし。
映画は人によって賛否はたりまえで、その上でヒタナカさんは「自分には合わなかった」「好きな人は読まない方がいい」と前置きしてるのにわざわざ読んで「あんまりいい気持ちしない」「気持ち悪い」とかボロカス叩くその情熱に恐れ入る。
「感動した」「素晴らしい作品」「一度見れるか見れないかくらいの傑作レベル」「全世界の子供達に見て欲しい」等々と褒めたたえるその口で、受け入れなかった人間には容赦なく攻撃する矛盾&寛容性の無さ。作品から何を学んだのだろうか。。
あとどのコメントもプペルが具体的にどう凄いかで反論していないのが笑える。
家族が西野さんのファンで、私も絵本を見ましたが映画はみていません。
この記事を読むと、絵本ではなかった部分が結構付け足されているだなとわかりました。
絵本を読んだだけではそんなに不快には感じませんでした。
映画を見たら変わるのかな?
確かにちょっとありきたりな感じはあったけど、この記事を書いた方はかなりひねくれ者な気がします。
あなたこそ西野さんをあざけ笑っていませんか?
良記事やん
とりあえず言えるのは、自分は西野くんみたいな方法で稼ごうとする人間のところにお金が行ってほしくないから映画の内容に関係なくチケット買ったりせんかなあということくらい
この記事の著者は再三「not for me」と言っているのに…
礼賛&批判コメントからは皮肉にも「自分の信じてるものは素晴らしい!それを批判するのは悪だ!」という思想が見える
「そういう人も居るんだな」と思えないものか
長過ぎて最後まで読む気にならない。
入り込めない記事。
内容はなんとなく批判してるな程度の感想。
年末に映画を見た元サロンメンバーです。コメント主様と同様、この映画の夢の描き方がいやらし過ぎてある種の嫌悪感を覚え、サロンをやめました。
おっしゃる通り、映画は夢を諦め、折り合いをつけた人を悪役として描き、主人公の夢だけが不自然に尊重され、都合よく進みます。
まず世間を夢を語る人と、妬みで邪魔してくる人の2種類しかいないというのが童話とはいえ、いただけない。
星の存在を知らない人、見たことがないという設定なのに、あんなにムキになって邪魔するのも不自然です。
で、最後、テロ行為によって、リスクも構わず自分の夢を実現すると。あれ?争いの絶えない外と隔絶するための煙だったのでは?
主人公は結局、何の成長も努力もしておらず、すべての人物は作者の主張の代弁者でしかない。他者の視点や対話する姿勢がなく、物語に深みと多様性がない。
要するにカリスマ社長が自分を投影した俺の夢、正義を押しつけてくるプロパガンダ映画です。こんな他人の視点への理解なく、たった一つの価値観を押し付けてくる、自分さえ良ければみたいな話、子供にも見せたくない。
映画の内容関係なく西野さんに心酔する西野ファンと、自分の夢に酔える人、自分語りが好きな人は、俺の夢を笑うな!のメッセージに感動できるのかもしれません。
しかし、そもそも夢って語るものですか? 黙々と行動すればよくないですか? みんながみんな星を見つけるようキラキラした夢を持たないといけないんですか? その辺の押しつけがもうダメ。
要はこの映画、世間を、キラキラした夢を見る俺たちと、夢を諦め嫉妬から邪魔してくるアンチの2つに分ける分断映画なのです。「えんとつ町」は西野サロンの構造そのものです。
無条件の夢肯定→リスクを取って行動しろ!→購入か労働力の提供のセットメニューで成り立っていますから、世間はアンチだらけと煽り、夢追人が増えたほうが儲かるのでしょう。
ですからルビッチ気取りの異端諮問官が少しでも映画に異を唱えようものなら「アンチだ!」「心が汚れている!」「お前なんかには一生星は見えない!」と人格否定してくる。魔女狩りを否定した映画で、魔女狩りしてくる矛盾。
自分の夢を叶えるためなら多少のリスクはお構いなしという姿勢だから、映画レビューサイトの工作・荒らし、アクセスランキング1位という意味ない数字、拍手強制に、マルチまがいの転売、コロナ下での全国行脚強行とやりたい放題。
お友達の芸能人たちは忖度だらけで、誰も苦言すら呈さない。文化人とか映画人とか、誰か……。
サロンビジネスがすべて悪いとは言いません。しかし、社長のイエスマンしかいない組織はそれなりに危なかっしく、その悪い面が今回もろに出ています。
映画という娯楽作品を、社長への忠誠度を測るための商材や若者の自己実現のための道具に変えてほしくなかった。
いつから日本はみんなが夢を見ないといけない社会になったんでしょう? 夢を語れば笑われるとか自己陶酔入ってますけど本当にみんながみんなそんな経験あります? そもそもあなたたちの言う星ってとどのつまりなんですか、お金それとも承認欲求?
数字がすべて。そのためには他人に迷惑がかかろうと手段を選ばない。異なる意見には人格攻撃も厭わないという生き汚い行動を見ていると、そんな人たちはお金と数字に取り憑かれた「鬼」としか思えません。
プペルの前に鬼滅を見て感じた、昔の日本人は美しかったという気持ち、人の世の儚さ、美しさ、そして強さという感動が完全に台無しです。
おっしゃるようにプロの仕事により、映画の中の「えんとつ町」はそれは美しく描かれていました。しかし、現実の「えんとつ町」はより奇怪な姿だったようで……。
長文大変失礼しました。ブログの文章に深く共鳴を受けた故と、お許しください。
こちらの意見に感銘を受けました。まさしくおっしゃる通り、
「自分を投影した俺の夢、正義を押しつけてくるプロパガンダ映画」
「キラキラした夢を見る俺たちと、夢を諦め嫉妬から邪魔してくるアンチの2つに分ける分断映画」
「映画という娯楽作品を、社長への忠誠度を測るための商材や若者の自己実現のための道具に変えてほしくなかった」
ここが自分もイヤだったのだと改めて気付かされました。映画は作家の正しさを証明するためのツールじゃない、それでさらなる断絶を生んでどうするんだ、と。しかもこの多様性の価値観が叫ばれる時代に。
また、他の方からもご指摘をいただきましたが、終盤明かされる煙は「争いの絶えない外と隔絶するための煙」でした。「星を見させない(=夢を潰すこと)」ことが直接の理由ではなかったですね。間違っておりました。お詫びして訂正をいたします。
感謝を申し上げます。ありがとうございました。
別に西野さんのことは嫌いではなくむしろ芸人として好きなほうだけど、映画は観ようとは思わないですね。むしろなんで皆さんがここまで躍起になってこの映画を観に行こうとしているのか理解できません。相手はマーケティングのプロですよ? 語った時点で掌の上です。「夢を叶えようとしている人間をバカにするな」というメッセージが多量に詰まっているということは予告やら西野さんの普段の行動から察するにある程度の予測は付いてました。
つまりは普通に考えたら劇場に足を運ばないでしょう。
鬼滅の刃や銀魂の方がよっぽどエンタメとして楽しめる。映像綺麗と言うのなら鬼滅観に行きましょう。鬼滅を見ないか、杏寿郎。鬼滅を語れ。夢を見るやつがいてもいいし、夢をバカにする奴がいてもいい。それを可哀想だなんて断じるな。飯食ってぐーたらして酒でも飲んでくたばっていこうぜ。楽しいぞ。
とても読みやすく、様々な記事を見る中で感じていたプペルという作品に対する違和感の出処がわかり、スッとした気持ちです、明文化してくださった事、感謝いたします。
歪んだ同調圧力の構造。なるほどな、と。先回り封じ込めがお上手なんですね。
コメント欄を見てみれば「あくまでも自分の感じた意見です」というスタンスで論じられているにもかかわらず、まともに文章も読めないお歴々()の痛々しいお気持ち表明が並び、全てを察しました。一周回って凄い……尊敬する……
個人の意見を元に批判(感じたことを発表)することも許されない映画とか宗教かな?
筆者さんの意見はある側面では正しいし、ある側面では間違っていて、あなた達の意見も、私の意見もその点同様だと思うのですが……。喚く必要……ある?
いい映画なら批判も飛び越して今頃400億ぐらい積んでるんじゃないですかね、知りませんけど。
物事を多角的に捉えられない方しか喜んで見ないということでしょうか、その証左を見た気がします。
誰かの夢(考え)を否定すんなって内容なのに、絶賛してる人がこの記事を批判してるの面白すぎる。
映画からなにも学んでないじゃないですかw
いや、あの映画は
「僕の夢を否定する奴はとにかく馬鹿で悪い奴!
それか実は僕の事が羨ましくてしょーがない奴!」って内容だから
プペル信奉者が映画への批判的感想に対して
私の好きな映画を否定する奴はとにかく馬鹿で悪い奴!
とばかりに反発するのは寧ろ「さもありなん」って感じなのよ
通りすがりさんへ
同じくフラッと立ち寄った者です。
全く同じこと思いました。
映画を絶賛する面々の、心の狭さに驚愕(笑)
めっちゃ長文の批判コメントには
アタマいかれてるなこの人ぉー!?と思いました(失笑)
自分の意見を丁寧に言語化された良い記事だと思います。
しかし、作品と記事の内容のせいか対話が苦手そうな人たちが集まってしまって大変ですね。
映画としてどうか、ということをきちんと主観と客観を分けて論じているのに、
それらを区別しない人の攻撃的な反論コメントのおかげで、
作品ファン層のイメージがものすごく悪くなります。
正直、ファンですら、西野さんが作品で伝えたい思想を
きちんとくみ取ってないんじゃないか、とこういう反応で感じます。
大衆を巻き込むことはできても、コントロールはできませんね。
コメント欄が怖すぎました
1コメ目から同調圧力を体験させてくれるという皮肉がすごい
きっと西野さんのサロンも意見が違う人は亡きものにされていくんだろうからとても怖い集団だと思いました
アドバイスしてくれる臣下の進言に耳を傾けず暗君になっていく未来が想像できて残念です
映画内で肯定される精神構造が
まんま「やりがい搾取系サロン」にハマる人の精神構造を模倣してるのが純粋に興味深いですね。
既に西野サロン民になっている人や潜在的にサロンに向いてる人に刺さる、
要はある種の篩にかけている感じ。
詐欺師がまずは詐欺に引っかかりやすい人を何らかの方法で篩にかけるように。
1番目の項目読んで、長すぎて辞めました。すみません。
1番目だけ読んで辞めた理由は、主人公をゴッホに例え、ゴッホが題材の映画と連想した時点で、ちょっとこのページの記事が破綻しているかな?と言うことでした。
ゴッホは当時、人々から狂人扱いされ後世評価されました。
いま我々がゴッホの映画を観れば、いずれ売れる才能だと思いながら、後出しジャンケンの上から目線で見ます。でもそれが面白いんでしょ?と言われれば、そうなのではないでしょうか?
批判的なコメントと取られたら申し訳ございません。
しかし色々な人々の意見があり、色々な批判や賛同があります。
それに耳を傾けた上で、自分がどう考えるかが重要と思います。
よって一つの意見として耳を傾けて頂ければ幸いです。かしこ。
言語化してくれてありがとうございます。
予備知識なしで観てがっかりしたクチです。
そして個人の感想に対してこんなに石投げられるんだ…
コメント欄に恐怖を感じました。
西野さんに特に先入観なかったんですが、
おそらく信者と呼ばれる方々が
平気で投稿者さんの人格を否定する有様を見て
西野さんの印象も悪くなってしまいました。
あれ?私が映画レビューサイトで書いた事と同じ事が書いてあるぞと思ってしまいました。
マジ共感です。私もまだまだあります疑問等が
同調圧力に溢れている、ついでに言うと日本語が不自由な人のレビューもいくつか拝見できたことも含めて面白記事でした。
ワンピースのサボ、FF7のアバランチとか、いろいろ着想を得た部分はあるんでしょうね。
[…] まだまだ言いたいことがありますよ。ルビッチには亡くなった父がいて、その父は星の存在を信じていて、紙芝居でそのことをえんとつ町に知らしめようとしていたけど、結局は生前に証明することができなかった。だから、息子であるルビッチが父の意思を継いで星を見ようとするという、もう1つの物語の軸があるんですよね。それ、完全に『天空の城ラピュタ』やん。 https://kagehinata-movie.com/poupelle/ […]
>(追記:記事初出時に「煙は星を見せないため」と書いておりましたが、実際に明かされたことは「煙は争いの絶えない外と隔絶するため」のものであったとご指摘を受けました。お詫びして該当部分を削除、訂正します)
いや、星を見せないためで正しいですよ。
あれは煙によって町を隠すというよりは、星を見せない事によって外の世界の存在を忘れさせ、それによって町の情報の流出を防ぐためという回りくどーい物ですから。太陽への言及もなかったですし。
飛行技術はあるが煙が脱出を妨害していた、という訳でもありません。そうなったようなシーンはありましたけど、あれはわざと深いところへ突っ込みましたからね。
なのであれは隔絶が直接の目的ではありませんでしたよ。
第一不自然に煙が溜まってる変な場所なんて、見つかれば普通調査されるでしょうしね。
あ、あと「腐るお金」そのものについては元ネタ(にしたのかどうかわかりませんが)があります。
「自由貨幣」で調べてみて下さい。ほんとにまんまで笑っちゃいますよ。
この作品、あらゆるモノに元ネタがあります。
パクリをパクリで繋いだスッカスカの映画です。
話自体はいい話だと思いますし映像も良かったですよ。どういうメッセージを込めるかは作り手の自由ですし、それについては特質すべきことはないです。ただし、単純に映画として完成されていないとは感じました。映画に入れ込みたい思いや技術がたくさんあったのだと推察しますが、詰め込み過ぎだったように思います。一連の流れの中で間がほとんどなく、視聴者が考えたり余韻に浸る余裕がなかったことでメッセージの押し付けに感じる人がいるのではないでしょうか。
映像がとても綺麗でした。ただ、私もなんとなく周りの登場人物をわざとサゲている雰囲気に不快感がありました。主人公たちに共感できず、夢を押し付けられてる感覚が居心地悪くて、置いてけぼりにされたような気持ちでした。どんどん冷めてくというか…。主さんの言っていることは、私も理解できる気がします。
コメント欄で投稿主の人格否定に躍起になる人達…。
巧妙な西野アンチかな?
ありがたい批評記事ですね。
Yahooレビューが二分されている極めて珍しい映画だなと思い、
鑑賞の検討をしたが、色々調べてたら大変キナ臭い背景がある映画だと知れました。
信者を使ってレビューを盛ったり映画館で拍手させたり、
映画の内容以外の要素を使いまくり、レビューを装飾しまくった映画だと結論づけ、
今後は見る事も無いかと。
鑑賞するか迷っていた自分にはありがたい記事となりました。
以上。
[…] だから、息子であるルビッチが父の意思を継いで星を見ようとするという、もう1つの物語の軸があるんですよね。それ、完全に『天空の城ラピュタ』やん。 https://kagehinata-movie.com/poupelle/ […]
投稿主様は考えを言葉にするのが大変お上手ですね。
私が本作品に対して抱いていた違和感、気持ち悪さを明文化してくださりありがとうございます。
この作品に感動している人は、西野さんの信奉者もしくへ夢に対しての考え方が主人公と同じ(同じ経験をしている)人という記載がありましたが
おっしゃる通りだと思いました。
特にサロンメンバーは、恐らくプペルの絵本が製作された当初から見てきており、
それが美しい映像、有名な芸能人による声優により肉付けされ一映画作品として完成したことに感動しているのではと感じました。
生まれた時から見てきた子どもが立派に成長した姿を見ているような、、
そのためプペル製作の裏側も何も見ていない私には全く響かず、でした。
ひとつの映画の感想を、これほどまで文章化できる能力に感動しました。
絵本で「あれ?なんだろこの違和感」と思ったことが、はっきりと浮き出てきたような気持ちになれ、おかげで「わたしは見なくていいやつだ」と確信できました。
さらにコメント欄で、個人の感想を全力で否定しに来る勢力を知り、かかわってはいけない作品だとも知ることができました。
そういう意味ではここにコメントを書いてもいけないのかもしれないと思いつつ、感謝を伝えたくて残しておきます。
同意
端的に言えば
西野氏は承認欲求モンスターなんだよな
嫌いです
自分の思う腑に落ちなさを完璧に代弁してもらえて
感謝しかない
作者の意図が出過ぎて相手を思考停止させるものは
芸術とは言えないと思う。
そういう点でまずこの映画はビジュアル素敵ではあるが
芸術ではなくTwitterのような自己主張映画だった。
この記事のお陰で自分は1ヶ月も不快を引きずらずに済みそうです。
ありがとうございます。全く同感です。代弁してくれてスッキリしました。
価値観の押し付けや、ストーリーや人物像のリアリティの無さに序盤からウンザリしてしまいました。世界観がとにかく浅い。伏線も弱い。残念でした。
この映画は作品の良し悪しを観るということより、イチお笑い芸人がここまで世間を巻き込んで形にしたという業績に目を向けるべきなんでしょうね。
そして、何か発言せずにはいられない衝動に駆られるのもこの作品の意味するところなのかもしれない。これを西野さんが意図していたらマジ天才です。
面白い記事、ありがとうございます。
ここまで考察できることが凄いです。
冷静になれました。
今後映画を見るときの姿勢として参考になります。