
[酷評ネタバレ感想]『ドラえもん のび太の新恐竜』多様性の訴え方が間違っているスーパー根性論映画
今日の映画感想は『映画ドラえもん のび太の新恐竜』です。
※コメントで素晴らしいご意見・反論を多数いただきました。合わせてお読みください。
※改めて長文の批評記事を書きました。本ブログ記事と重複している部分もありますが、「のび太というキャラクター」についても再考しています。本ブログ記事の最後にさらに弁明を書き加えました。↓
【ネタバレ】「ドラえもん のび太の新恐竜」のスパルタ教育と根性論 誤った“多様性”の危うさを考察 (1/3) – ねとらぼ
個人的お気に入り度:2/10
一言感想:ドラえもんでこんな気持ちになりたくなかった…
あらすじ
のび太が双子の恐竜を育てます。
※この記事では基本的に酷評をしています。映画を気にいられた方は不快に感じる可能性があります。ご了承ください。
初めに告げておきますと、本作の評判は8月10日現時点で映画.comでは4.0点、Filmarksで3.9点とかなり好評です。
アニメーションとしてのクオリティは高いですし、見せ場の連続でアドベンチャーとして楽しく、子供から大人まで大好きな恐竜がたくさん登場しますから、親子で観れば概ね「あー面白かったー!」で劇場を後にできる作品ではある、ということを前提として、お話をさせてください。
自分はこの映画を観終わった時に怒りに満ち満ちたんですよ……!本当に許せないぞと……!
当初は、これはドラえもんという作品への、そして『のび太の恐竜』への冒涜とすら思ったくらいですから。
その後に小説版を読むとかなり溜飲は下がりましたが、それでも物語の構造に致命的な問題がある、脚本を書いた人の考え方および伝え方が間違っていると断言します。
その理由を以下に詳しく書いていきます。
今回は初めからネタバレ全開です。以下は鑑賞後にお読みください↓
- 『のび太の恐竜』の大切な過程をすっ飛ばし
- コミュニティの価値観を批判しないのか?
- しずかちゃんのセリフまで欺瞞に思えてしまう
- 『君の名は。』的なセカイ系にしたことで生まれた大きな問題
- 多様性を訴えているようで多様性を否定しているように見える
- あのファンサービスをどう受け止めろと?
- ラジオ感想でもぶちまけました
- 小説版を読めば溜飲はある程度下がります
- ねとらぼの記事への弁明
『のび太の恐竜』の大切な過程をすっ飛ばし
今回の映画の元ネタである『のび太の恐竜』が偉大な作品であることは言うまでもありません。あの『E.T.』にも影響を与えているくらいですから。
リメイクである『のび太の恐竜 2006』も大好きな作品ですし、今回は新たな物語に挑戦するという試みそのものはとても良かったと思います。
でもね……今回の『のび太の新恐竜』、もう序盤から許せなかったんですよ。箇条書きで記します。
- のび太が卵の化石を見つけるのは博物館の「化石掘り体験」ができる場所のそば(つまづいたのがそれ)。その辺に落ちてただけ。
- のび太は「タイムふろしきを出してよ!」とドラえもんにすぐ言って出してもらう(まあこれはまだいい)
- タイムふろしきをした卵を部屋に放置してのび太はご飯を食べる
- タイムふろしきで時代が遡った直後、すぐに卵がかえる
いやいやいや、待て待て待てと。
『のび太の恐竜』では、のび太は自ら化石がある場所を調べようとしていて、それをドラえもんが褒めていたじゃないですか。自分で地層でがんばって化石を掘ろうとしていたじゃないですか。
今回は「つまづいて見つけた」だけですか、そうですか。
『のび太の恐竜』では、のび太は何日も布団の中に入って卵をあたためていたじゃないですか。タイムふろしきで時間が遡るまでの時間もその場でじっと見ていたじゃないですか。
今回は部屋に置いたまま放置してメシを食って、タイムふろしきの直後すぐ生まれるんですか、そうですか。
(始まりは口から出まかせだったとしても)生まれようとしている恐竜のために一生懸命になるという、のび太の良いところをいきなり切り捨ててるじゃないですか!
上映時間が限られているとしても、せめてダイジェストでいいからそこは見せるべきでしょう!
フォローしておくと、今回ののび太も寝るときにタイムふろしきで包まれた卵を抱きかかえていますし(小説版だとさらに卵を愛おしく思う気持ちが書かれている)、その後にキューとミューを育てるにあたって図書館で調べ物をしているし、生まれた後のキューとミューへの子育てはしているので、「後で」納得できるようになっていると言えばなっているのですが……この序盤を見ている間はため息をつくしかなかったのです。
しかも、後ほどさらに詳しくディスる脚本担当の川村元気さん、インタビューで「卵をのび太が孵化させるところまでは『のび太の恐竜』と一緒なんですけど〜」とほざきなされているんですよね。一緒じゃねえ!
コミュニティの価値観を批判しないのか?
中盤、ついに仲間の恐竜たちがいるところに到着するのですが……上手く飛ぶことができないキューは、そこで大きな恐竜にいきなり殴られ傷つきます。
そこでのび太は、「飛べないから…?体が小さいから…?尻尾が短いから…?いいよ!飛べるようになればいいんだろ!」と、すでに傷ついているキューを何度も何度も飛ばせようとして、さらにキューはすり傷だらけでボロボロになります。
こんなのび太見たくなかったよ!
傷ついている子にこんなスパルタ教育をさせる、根性論でどうにかしようとしているのび太なんてイヤだ!
それを見ているしずかちゃんとドラえもんも、のび太のその行動を止めようともしないし!
ここでのび太は明らかに間違った教育をしているのに、最後までその価値観が覆ることもないんですよ。
せめて、のび太には「自分も一緒にキューが飛べるための工夫を考えながら教える」「傷つかずにすむ手段も考える」という方法でキューと接してあげて欲しかった……(ドラえもんに落ちても痛くないクッションとか出して貰えばいいじゃん)。
そもそも、コミュニティの中で一方的な暴力を振るってきた相手の価値観を変えようとはせず、「暴力を振るってきた相手のいるコミュニティの中に入るために、さらに傷つきながら努力する」という方向への転換が納得できません。
話が通じなかったとしても、ここで「ともチョコ」をそいつに使えばいいじゃん!
※以下のご意見にも大納得しました。原作ののび太の性格を知っている方ほど納得できないと思う。↓
『映画ドラえもん のび太の 新恐竜』感想 – はなバルーンblog
今井一暁『ドラえもん のび太の新恐竜』|おまかせなのだ|note
しずかちゃんのセリフまで欺瞞に思えてしまう
仲間であるはずの恐竜に暴力をふるわれ、のび太のスパルタ教育によりさらに傷だらけになったキューは逃げ出します。完全に嫌がっていますよね。
それで「自分のダメなところ」も卑下するのび太へ、しずかちゃんはこう言うんですよ。
「のび太さんはキューちゃんの気持ちがわかっている。痛みや苦しみもわかっている」って……。
いやいや、ここでキューは訓練から逃げ出している、つまり「もうイヤだ!」という気持ちでいたってことじゃないの?
ここでののび太はキューの気持ちがわかっているんじゃなくて、自分の自己否定的な気持ちを押し付けて、それを無理やり克服させようとしている、親のエゴの塊なんじゃないのか?と。
小説版を読むと、ここでキューは逃げておらず、のび太が川へ離れて行っても、キューはその場でまだ練習を続けていた、となっているからまだ良いのですが(それでもイヤだけど)……映画では「キューが逃げた」という事実があることで、しずかちゃんの本来はのび太の良いところを褒めているはずのセリフが、ひどく欺瞞的に思えてしまうのです。
しかも、しずかちゃんに「傷つているキューちゃんの気持ちがわかっている」と肯定されたのび太がキューの元へ行くと、逃げたはずのキューはあれだけ傷ついてもまだ訓練を告げていました。
前述したのび太のスパルタ教育根性論が肯定されたように見えて最悪な気持ちになりましたよ……。
『君の名は。』的なセカイ系にしたことで生まれた大きな問題
本作の終盤、隕石が落ちてきてみんなが死んでしまうかもしれない!力を合わせて守るんだ!という展開で、『君の名は。』を思い出した方も多いのではないでしょうか。ていうかまんまですよね。
まあそれも納得というか、『君の名は。』をはじめ多くの作品をエンタメに仕上げ大成功させてきたプロデューサーの川村元気さんが、今回の『のび太の新恐竜』の脚本を務めているわけですよ。
『君の名は。』が支持を集めたのは(また賛否両論を呼んでいたのは)「セカイ系」であること。
パーソナルだったはずの物語が、実は世界の命運に繋がっているというスケールの大きさを含めて、エンターテインメントになっていました。
そして、夢の中で入れ替わった相手に恋をすることと、隕石が落ちて死んでしまうみんなを助けたいと願うという気持ちが繋がってるからこそ、彼らを応援できたし感動できたんですよね。
しかし……『ドラえもん のび太の新恐竜』では、キューが(根性論で)飛べるようになることと、恐竜が鳥へ進化するということを無理やり繋げているようにしか思えなかったんですよ。
1匹の生き物が「飛べるか飛べないか」、ということは生命の連続性の結果としてある「進化」とは直接的に結びつかないのではないのか、と。
それよりも、個人的な一番のムカつきポイントは、生物の進化のためという大義名分まで持ち出して、やっぱり「飛べなきゃダメ」という画一的な価値観を押し付けているようにしか思えなかったこと。
飛べるようになること=生物の進化として正しいことという風に問答無用で肯定されるため、「飛べなくてもいい」という風な価値観は否定されているというわけですよ。
最後にキューが飛ぶことがエモーショナルなはずのクライマックスは、その価値観の押し付けと同時に、前述したのび太のスパルタ教育根性論までもを完全に肯定してしまう。最悪です。
小説版を読んで初めてわかったのですが、ここでキューは他の仲間の「恐竜らしい滑空するだけの飛び方」と違って、「(後に進化する)鳥と同様の独自の飛び方」をしていたそうです。(映画でも「あの無様な飛び方は、鳥たちの羽ばたきの前兆だったということか」と言われてはいるのですが)
これでなら、まだキューの飛び方という「個性」を尊重しているからまだ良いのですが……いや、でもなあ。
それに重なる形で、「のび太が努力して逆上がりができた」ことを最後に見せるのもイヤでした。
これも、1人だけ逆上がりができなかったのび太が、大衆の価値観=(逆上がりができて当然)に迎合できて良かったねっていう風に見えるんですよ。
もちろん、これも本来は努力をすることそのものの尊さを説いているとは思うのですが、その前に画一的なものの見方があるために、素直にそう受け取れないのです。
多様性を訴えているようで多様性を否定しているように見える
繰り返し語ってきましたが、
キューは飛べるのがいちばん良い、
のび太は逆上がりができるのがいちばん良い、
という、まるで1つの価値観しか認めていない印象が本当にイヤだったんですよ。
努力、もっと言えば根性論までを用いて、他のみんなと同じになろうとする、というのはむしろ多様性の否定にしか思えないのです。
しかし、脚本を書いた川村元気さんの意向としては、本作のキーワードはむしろ多様性そのものだったりするのです。以下のインタビューでもわかります↓
『君の名は。』『世界から猫が消えたなら』などを生み出した川村元気の物語の作り方<『映画ドラえもん のび太の新恐竜』特別インタビュー> | テレビドガッチ
多様性って「弱者と共存しましょう」みたいな話になりがちな気がして違和感があったんです。恐竜や生物の歴史などを調べていくと、多様性というのは綺麗事ではなく、生物がサバイブするための必須条件だということがわかるんです。
なるほどなるほど、先ほどの暴力を振るってきたほう恐竜じゃなくて、弱者の努力のほうに問題があるんだと責任転嫁している理由がわかりましたよ。
弱者=(飛べないキュー)がそのままコミュニティの中で共存しようとすることそのものを良しとしないと、はっきり言っているんですから。
すみません、その考えマジで嫌いなんですけど。
「君はそのままでもいいんだよ」という視点が全くないどころか、弱者はコミュニティの中で大衆に迎合するための努力をしろと言っている。それこそ多様性の真逆だろ!
そもそも、多様性を肯定する方法として、生物がサバイブするための必須条件=(キューが飛べること)を持ち出しているというのが、やはり問題です。
それは個々人が大切にしている多様性とは全く別のこと、それどころか「飛べる(飛べるようになった)者だけが生き残って進化できる」という優生思想的な考えにも近いのでは?
これも『君の名は。』的なセカイ系の作劇にしたからこその問題です。目に見える形で、飛べなきゃ滅んでしまうんですから。
(そう言えば、近ごろ優生思想的な発言で炎上したアーティストがいたような…)
キューが飛べなくたっていいじゃないですか。
飛ぶことが苦手なキューが、他の優れた自分の才能を見つけるなり、同じように飛ぶことが苦手な仲間を見つけるなりして、コミュニティの中で生きていく術を見つけていくという選択肢があってもいいはずです。
そういう視点がなく、飛べるということ、逆上がりができるということ、根性論が良きことのように見せているから、自分はすごく不快だったんです。
ピー助登場
まあ色々と言って来ましたが、まだまだ言い足りませんよ。ファンサービスにもモヤッとするとは思いもしませんでしたから。
今回ののび太たちはピー助のことを完全に知らないのに、なんでピー助が出てくるの?
なぜピー助がここにいるのか?という理由がない、というか設定がおかしい、「ファンサービスのため」という接待にしかなってないのがイヤだったんです。(序盤から海の中で気泡が出てくる、それをのび太が感じる…という伏線はあったけど)
川村元気さんは「ピー助ではなく、双子のキューとミューが生まれるところからはパラレルワールドが始まる」って言ってんですけど、パラレルワールドという設定だけでは納得できませんって。
(このピー助の登場は好意的に受け止める方も多く、その気持ちももちろん大切にしてほしいのですが……)
あと、今回のラストの熱風で、あのジオラマに入れなかった恐竜はみんな死んだってことだよね。
だったらピー助も死んだってことになるよな!?
最後に霧の向こうに去っていくピー助の姿を申し訳程度に見せていましたけど、なんで生きているのかの理屈も全くない。なんなんだもう。ファンサービスだけやってればいいってか!?無神経の極みじゃねえか!
そう言えば、前の作品のキャラクターがサプライズおよびファンサービスとして出てくるというのは、これまた川村元気さんがプロデュースした『天気の子』と一緒ですね(しかもボイスキャストも…)。
もう1つ無神経なことと言えば、悪者かと思っていた奴らが実はタイムパトロールでした!って展開がありますよね。
じゃあジャイアンとスネ夫が中盤に見つけていた、基地に隠してあった恐竜の剥製はなんだったの?ミスリーディングにしかなってねえ!
これまでのシリーズでは問答無用で「クライマックスで助けてくれる」存在だったタイムパトロールを、こんな扱いにするのもイヤだしな……。
ラジオ感想でも怒りをぶちまけました
本作についてはしのさんと一緒に語り合った音声レビューもアップしてみました。
上記と重なっている部分も多いですが、基本的にキレている自分と、冷静な意見を述べるしのさんとの対比が聴きどころだと思います。8分ごろからネタバレ全開です。
※以下のしのさんのモヤりポイントにも納得。
『映画ドラえもん のび太の新恐竜』自分が一番引っかかったのは、やっぱり○○○○○○○展開なんだよね。よかったよかった……いいのか?っていう https://t.co/lPfRmK7uHk
— しの (@mouse15278) August 8, 2020
小説版を読めば溜飲はある程度下がります
そんな訳で結論としましては、
『のび太の恐竜』の大切な過程をすっ飛ばし、
根性論で押し通しているようにしか見えず、
多様性を訴えているようで多様性を否定しているようにすら見える…!
さらにはファンサービスもむしろ腹が立つという……
世間的な評判が良い中で申し訳ないけど、個人的ドラえもん映画のワーストに決定しました。
それでも、初めに掲げたように、川村元気さんの脚本を元に涌井学さんが書き下ろしした小説版を読めば、けっこう納得できることも多かったんですよね。
具体的には、しずかちゃんが以下のようなことを言っていますから。
「のび太さんは、たけしさんとはちがう。スネ夫さんともちがうでしょ?」「…………」「もちろん、わたしともちがう。でも、それでいいと思うの。大切なのは、同じであることじゃなくて、自分の良さを伸ばすことだもの。キューちゃんだって、みんなと同じにはできなくても、きっと、自分のよさを見つけられるわ」
藤子・F・不二雄,川村元気,涌井学. 小説 映画ドラえもん のび太の新恐竜 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1683-1686). Kindle 版.
完全に正しく多様性を訴えた、素晴らしいセリフじゃないか……!
でも、このセリフが完全に映画ではなかったよね?
元の脚本から削られたのか、もしくは涌井学さんが小説にするにあたって加えたのかはわりませんが(たぶん後者)、なぜこれを入れなかったんだ……
読んでほしいのでここでは書かないでおきますが、他にも小説版では映画では伝わらなかった、多様性について多角的に論じている部分があります。
これを読んでかなり怒りのボルテージを和らげることができたのは本当に良かったですよ……
次回作はおそらく『のび太の宇宙小戦争』のようですね。期待はしています?(疑問形)
ねとらぼの記事への弁明
『ドラえもん のび太の新恐竜』の記事(特にYahoo!に転載されたほう)にものすごく反響・反論をいただいているので、自分から長文で弁明を…(以下超ネタバレ)
記事で「スパルタが何重にも肯定されている」と主張したのは、自分の主観が入りすぎていると反省しました…むしろスパルタを否定しているという意見もいただきましたから。
でも、自分はスパルタの過程は完全否定していないし、やはり「肯定しているように見えてしまう」と思うんです。
以下、記事で書いていなかったこと、書けば良かったと後悔していることを捕捉。
・キューは一度逃げた後に自発的に練習している
これも個人的にはのび太のスパルタのやり方を、一度はやめたけど、やっぱり肯定。に見えてしまったんですよ。
もちろん、やらされる→自発的にで、スパルタを否定、という意見もわかります。
でも、のび太はこの時に「自分も逆上がり」を見せていたけど、それもやはり「工夫なく頑張ること」を見せているだけなので、本質的には根性論スパルタから脱却していないと思いました。「一緒に頑張っているという事実を見せる」だけだもの。キューが何度も飛ぼうとして高いところから落ちるという訓練方法そのものは一緒だし。「他とみんなとは違う飛び方ができた」ということを明確に見せる、根性論およびスパルタからの脱却をするのであれば、絶対に「工夫」が必要だったと思う。
・のび太がキューに謝るシーンがある
それは「なんでみんなと同じにできないのって言ってごめん」ということで、スパルタについて謝っている訳ではないんです。しかも、この後にキューは「飛べる」ようになる。
結果的にキューは鳥のような「みんなとは違う」という飛び方はしているけど、「飛ぶ」という大きな事象では同じ(これが本作にイヤな印象を得てしまう一番の理由だと思う)。ここでも大局的に見ればスパルタ教育は否定されていないのでは……。
そして記事で書いていなかったことで、これはフェアじゃなかったと深く反省したのは、最後にキューがのび太を助けるために飛んだということ。「大切な人のため」「飛びたいという意思」のおかげで飛んだということが言えるため、今までのスパルタや根性論が間違っている、否定しているという論理が通る。「さようなら、ドラえもん」のような「他者のために頑張る」にも通じている。
これを抜いて書いたのは本当に良くなかったです。ごめんなさい。
でも、のび太がスパルタ教育をしているということは事実、その絵面が幾ら何でもショッキングすぎるというのが最大の問題だと思うんですよね。傷ついたキューを手当てもせずに……。やんわりと否定ではなく、そのショックを完全否定するくらいのものじゃないと、幾ら何でも後味が悪すぎると思うんです。
ただ、いただいた意見で「川でのしずかちゃんのセリフがやんわりとスパルタを否定している」というのはなるほど!と膝を打ちました。小説版には映画にはないセリフがあり、こちらだとさらに「良いところを見つけられるわ」という、多様性の肯定、スパルタからの脱却らしさを感じますね。
他にいただいた意見で反論。
・原作の『走れ!ウマタケ!』『強い〜イシ』も否定するの?
『走れ!ウマタケ!』こそ「やりすぎなスパルタはだめ」という話では。のび太は確かに満身創痍になりながら竹馬に乗れるんだけど、そこで「なんだ、こんなかんたんなことが、なぜ、いままでできなかったんだろう」と言う。一方で気性の荒いスパルタ方向のウマタケ はジャイアンの家で大暴れしたというオチ。だから、「そんなに傷だらけにならなくても良かった簡単なこと」に気づくまでの物語だと思うんですよ。後、ドラえもんの言う「人にできて、きみだけに. できないなんてことあるもんか」というのも、まあ「初めからできないと決めつけるな」と言う意味では正論なんだけど、これは個人的にモヤるかな。ちょっと「できること」を一般化しすぎているから。
『強い〜イシ』はもっとわかりやすく、やりすぎなスパルタは良くないという話でしょう。最後にのび太が「教訓がわかった。強いイシは身を滅ぼす」と言い、ドラえもんが「ちっともわかってない!」とツッコむというオチ。のび太は道具のおかげでランニングをやり遂げた、それ自体は素晴らしいけど、それでいいの?という、1つの押し付けになっていないんですよね。そして何とものび太らしい。
1つの作品にこうして多様な意見が出てくるのも良いことだと思います。そしておそらく作り手にも記事が届く状態になってしまっているけど……おそらく藤子・F・不二雄スピリットを持っておられる、エスパー魔美ももちろん読まれていると思うので、「あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!」の精神でいてくれると願っています。
あと、ねとらぼの本記事のほうで、「いいたいことは解らなくもないんだけど記事書いてる人ちょっとナイーブすぎやしないかいとは思った。」というコメントをいただいているんだけど、僕も本当にそう思います。おっしゃる通りすぎる。
でもね…ドラえもんが、ドラえもん映画が大好きで、今までなんども救われてきたからさ…やっぱりこの『新恐竜』で提示された価値観は悲しかったんですよ…ナイーブになっても仕方がないじゃない…。
あ、そうそう、今に公開されているファミリー向け映画としては以下もぜひ!
本作と同じくロボットが主人公!こっちのほうが成長物語としてもハートフルですよ!(マジで)↓
狂気の映像兵器「がんばれいわ!!ロボコン」をきみは見たか コロナ禍で撮影された映画の新時代の幕開け (1/2) – ねとらぼ
(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2020

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chat_bubbleコメント
初めまして。作中の多様性の描き方に歪つな所があるという点では概ね同意しますが、どうしても気になる所があったのでコメントさせていただきます。
文中で、他のみんなと同じになろうとするのは多様性の否定だと仰られています。
しかし別の箇所では、相手の価値観を批判し、変える方が良いという旨の内容が書かれています。
私としてはこれこそが多様性の否定であるように思えてならないのです。
新恐竜には新恐竜の価値観・ルールが存在し、それは尊重されるべきものであり、
暮らす時代も文明レベルも種族すら異なる現代の倫理観で新恐竜を批判し、多様性の在り方を説いて教えて歪みを正してあげよう…なんて
それこそ我々の価値観にあわせろという、自身の仰る多様性の否定と同質の物のように思えます。
そもそも多様性とは社会規範の上に尊重されるものであり、極端な例ですが現代の人間社会においては「私は物を盗んでしまう癖がある」「私は人を○して焼いて食べるのが好きだ」などと言っても肯定される事は極めて少ないでしょう。
新恐竜が移動・狩猟といった生活上の行為においてその飛行能力を多用しているのは自明です。
そのコミュニティに飛行出来ない個体を招き入れない事は、本当に多様性の否定なのでしょうか?
我々の倫理観からすれば弱者を弾く様は残酷とも言えますが、太古の野生に生きる彼らからすれば当然の事かもしれません。
自分の長所を見つけ、生きていく術を見つけるだけの余裕は、(特に隕石落下を受けた後の)野生の世界では厳しいでしょうし…。
(あくまで古代の野生を生きる新恐竜の話であり、現代で何かの不自由を抱える人間が迫害されるべきという主張ではありません。念の為)
むしろ、体は小さく、尻尾は短く、無様とも呼べるような他とは異なる飛行の仕方であろうとも、飛行能力を獲得したキューが彼らのコミュニティの一員となれたこと。
これこそが綺麗事ではない多様性の肯定であると、私は思います。
その一方でしずちゃんが現代の人間的な倫理観から見る多様性の在り方を説いているのは、新恐竜と人間、どちらにも偏らないバランスのためにも必要なシーンですね。
「人間だけが進化させてきた他者を思いやる感情」とは、まさにこのことでしょうから。
しかし、生活上必須とも言える新恐竜の飛行能力を 小学生の逆上がりという生活上特に問題のない事と対応させているせいで
最初に書いたように多様性の描き方が歪つになっている事は非常に残念な点だと思います。
長文失礼しました。
■前半のすっ飛ばしについて
新恐竜のシナリオ構成からみて、前半部分はどこか削らないといけない。となると、やはり、
卵から孵る前と後では、前のほうを省くのは仕方ないかと。
「のび太が自分で発掘」というのは、今の東京の住環境からは無理がありすぎますし
(そもそも無許可で人の土地を掘るのは現代ではまずい)、
むしろ、のび太がそんなに簡単に自分で発掘というシナリオにしてしまうと、むしろ
そっちのほうがプロへの冒涜になるような気がします。
■キューの飛び方について
少なくとも自分は、キューが「ほかの恐竜とは違う飛び方をするみにくいアヒルの子」だということは、
映像を見てはっきりわかりましたし、TPの博士?もかなりはっきりとそのことに言及していたように思います。
少なくとも、監督や脚本の方は、そういうつもりでシナリオを描いているように見えました。
この点は、どちらかというと、評者の方が、最初に怒りを感じたせいで、すべてを
悪くとらえるというバイアスに支配されてしまっているように見えます。
■のび太の態度について
生物が生き延びるために、最低限のことはできなければいけません。
このへんは、生物系のドキュメンタリー番組や書籍を見ればすぐにわかることだと思います。
翼竜が飛べないというのは、人間で言えば「文字が読めない」に匹敵するくらい生死に
直結する事態だと思います。そこで「文字なんて読めなくていいんだよ」と諭すのが
優しさとは思えません。
また、のび太は決して「運動なんて(勉強なんて)できなくていいんだ」というキャラでは
ありませんし、むしろ素直に「できなくて悔しい」と思うキャラですので、そこでのび太に
「できなくていいんだよ」という言動を期待するのはお門違いという気がします。
少なくとも自分は、この映画から「逆上がりができないとコミュニティの一員になれない」
というようなネガティブなメッセージは感じませんでした。むしろ、
「苦手なことでも、努力で克服することができる」という強いメッセージを感じました。
■ピー助について
自分もピー助については必要ないと思いましたが、まあこれは登場を望むファンもかなり多いでしょうから、
仕方ないかなと。確かに、最後のワープは陸上でしたから、そこで救出されたわけではないでしょうが、
最初からあの島にいたと考えれば別におかしくないのでは?
ブログ記事とYouTubeの動画音声を拝聴しましたが、全く同感だとともに、劇中の展開は少し前に流行った「お前が貧困なのは、お前の努力が足りないからだ!」ムーブメントを思い出し、非常に気持ち悪い印象を受けました。川村元気氏は実績は申し分がない優秀な人物だとは思いますが、本人が脚本を担当した本作を観ると「川村元気って弱者に対する共感性が欠けてるのか?」と感じたので少し怖いです。
いやいや、あくまで【ドラえもん】は子供向けのアニメ・漫画なので大人の価値観をどうこう問うのは間違いでしょう。
確かに大人も楽しめる昔からある作品ですが、基本は子供なのです。
ぐちゃぐちゃ言わず楽しみましょう!
失礼いたします。
多様性に関する描写に関しては概ね同意いたします。
キューの飛翔とのび太の逆上がり、キューの飛翔は生きていくために必要なことなので、せめてのび太が逆上がりができないパターンていうのも用意しておけばいいとは思いました。あれでは逆上がりが出来ない子どもが見た後落ち込んでしまうのではないかと少し心配しました。
その他にも細かいツッコミどころは多数あるのでしょうが、個人的には極上のエンタメを見た感じがしてここ数年のドラえもん映画の中ではベストなものでした。
冷静なレビューも出されるとのことで楽しみにしております。
この作品は解釈の罠が結構ありますよね。キューは空を飛ばないといけないって解釈しがちだけど、実はキューは空を飛べなくてもいいのです。理由は単純で「キューは空を飛べなくてもいいという可能性と選択肢」が常に存在しているから。そんな都合の良い話があるわけないと思うかもしれない。これは私たちの話になりますがサルにとって四足歩行で歩き、木を登ることは必須であるはず。でもサルの一種である私たちは何故か木登りが不得意でしかも二足歩行で歩いていますよね。相対的に見ればその姿はまさにキューと一緒。つまり羽毛恐竜であるキューは空を飛べなくても自分の出来る何かを見つけ、その後、子孫を残して飛べない鳥という種を生み出したかもしれないということ。もちろんこれは可能性の話しですが、その可能性の延長線上に私達は存在している訳です。ちなみに飛べない鳥は実際に存在します。なのでこの記事で仰っていることは正しいとも言えますね。おそらく脚本の意図としては「他者と劣っていることは決して悪いことではなく寧ろそこから転じる良いものがたくさんある」ことを表現したかったのでしょう。その表現の仕方が正しいか間違っているかは自分には分かりません。それでも「命と多様性の大切さ」という真実はのび太達や私たちにとっても変わることはないんじゃないかな。
ドラえもんで思想論植え付けようとしてるってその考えが既にステレオタイプだと思いますよ
いつも楽しくレビュー見させてもらっていますが、厳しい指導=虐待って捉えてしまっているようで、昨今の影響を受けてしまっているのかなと思ってしまいました
確かにあまりに理不尽な物や酷い暴力をするものは論外ですが、さすがに恐竜たちの世界で生きる為に空を飛べるよう厳しくする=虐待はちょっと言いすぎな気がしました。
弱いままでいていいんだよなんて申し訳ないですが個人的にはただ甘やかしてるだけか優しい虐待に思えてしまいます。
多分のび太は全てをわかっていたのだろう。なぜのび太はこのままだと化石のまま生まれることも出来ない恐竜の卵を復元したのか。なぜのび太は雄のノビサウルスから自分が生み出したキューが迫害を受けた時、雄に文句を言わなかったのか。なぜ翼竜にとって狩りをしたり天敵から身を守るために絶対に必要な飛び方をスパルタに教えたたのか。
のび太はこの映画内で一回もただ寂しいからという単純で自分勝手な理由でお別れしたくないと言ってません。
のび太「キューは飛べないんだ!、このまま恐竜時代に返しても生きていけないよ!。」
ドラえもん「いつまでもこの時代に置いとく訳には行かないよ。」
のび太「わかってるさ そのくらい。」
このセリフだけでのび太は何も考えてないと言う訳では無いと
思えます。
自分の優しさで生み出したものの責任をはたそうとしてる
立派な大人にしか自分は見えません。
[…] そして全体的な感想としては、正直去年の「月面探査記」と比べたら雲泥の差で、個人的にはあまり高く評価したくない映画でした。 長々と批判意見を書くのは趣旨と異なるのでこのへんにしますが、「個性の尊重」とか「多様性」とかいうメッセージの伝え方がどう考えても悪い方向に作用してしまっており、理解力の備わった年齢の子供には見せたくないレベルでした。 まあ個人的に感じた違和感はこちらのブログで文句の付け所なく言語化されていたので、このへんにしときます。 […]
映画館でみる白の演出が光が強すぎてストレスでした。
後半は問題なくみれましたが、タイムパトロールが出張ってきて子どもに大人の格好悪いいざこざを見せつけるのは昔のドラえもんと変わってしまったなぁとショックでした。
制作担当が大きく変わってしまったのでしょうかね
ピー助最後生き残ってましたよね?
根本からおかしいんですよ
何故映画もレビューもおかしいかと言うと古代恐竜の話を現代社会の価値観で語ってるから。その点において川村元気もあなたもおかしいんです。
ピーキューアールさんが詳しく語られてますが、生物の多様性と人間社会の多様性は別物です。生物はのっぴきならない生存競争の果てに獲得した多様性で人間の多様性とは自然の中で生まれたのではなく人間社会によって生み出されたものなんです。古代恐竜の世界では五体不満足で生まれた個体や飛べない個体は間違いなく死にます。その意味でキューは飛べなくては話にならないのです。他のコミュニティだの飛べなくてもいい生き方なんてやってる暇はありません。そんなんしてたら死にます。それが野生生物です。
翻って人間は環境を変えられる生き物です。障害者や弱い個体が社会で生きられるように環境の仕組み自体を変えて生き延びてきました。だから、逆上がり出来なくとも良いのです。逆上がり出来なくても生きていける環境があるから。
キューは違います キューが飛べない=それ即ち死という厳しい自然環境なんです。だからキューがなんとしても跳ぼうとするのは正しい。
しかし川村元気はこの厳しい自然界の多様性=人間社会の多様性という誤った認識をして作品を仕上げてしまいました
恐らく筆者が一番納得出来ないのはこの点でしょ
川村元気のどうかしてる多様性観は確かに優生思想に近いのでしょうし。
でも、筆者も筆者でどうかしてる川村元気を否定する為にこの自然界の多様性=人間社会の多様性という土台無理な構図から反論する為見当違いなスパルタ叩きになってるんですよ。
人間に行われるスパルタ教育と飛ばなければ死ぬしかない生物が必死で身につける努力はそもそも本質的に別物なんです。努力と本能くらい別物。キューが飛ぶことは赤ん坊がハイハイして立ち上がるのと同じですよ、あなたは健康な赤ん坊が中々立ち上がるのに苦労してるのを見てスパルタ教育だ!と思いますか?
自転車に乗れなくても困らないけど人間だって歩けないのは困るでしょう そのレベルの話です。 しかもキューには障害もないわけだし。
まず批判するなら下手な代案を立てるより素直に川村元気の歪さを問題視した方がいいですよ。
この映画が狂ってるのはそもそも川村元気の考え方の問題なんで。ドラえもんやのび太くんの問題ではなく藤子F以後のドラ製作者のスタンスが問題だと思います
初めましてこんにちは。
ねとらぼ記事を拝読し、なるほどそういう見方もあるのかと面白かったです。
確かに今作ののび太に対してはそれどうなんだという点がいくつかありましたね。
ただしずかちゃんのお父さん評によって爆上がりしてる最近ののび太への評価には日頃から疑問を持っているので、のび太は別にもっとクズでもいい、それがのび太だと個人的には思っています。
記事の中で一つ気になったのが
「“体が小さい”という特徴を持つキューに、「みんなと同じく飛べるように強要する」ということそのものが残酷に感じられる。」
ここで”体が小さい”ということがデメリットのように書かれていますが、小さい鳥がなぜ滑空ではなく、”羽ばたいて”飛べるかというと「体が軽いからだ」と鳥類学者の川上和人先生が言ってました。
体が小さいのはダメなことのように見えて、実は生き抜く上で有利な点でもあったのです。「体が小さいからこそできた全く別の飛び方で生き残れた」というのは、一見すると劣っていることでも実際そうではないという優生思想の否定ではないでしょうか?
「あなたは体が小さいから無理に飛ぶのはあきらめて別の生き方をすればいい」と決めつけてしまうことも、他者が勝手に生き方を決めて選択肢を排除する優生思想に繋がってしまうように思えました。生まれ持った体によって、みんなができることを諦める必要はありません。
あるコミュニティで排除されたときに必要なのは親以外の、自分を信じてくれる人だと思います。自分のために一緒に戦ってくれる友達がいるというのは何よりの支えになります。キューが飛べたのも、のび太が逆上がりできたのも努力の成果ではなく、自分を信じてくれる味方いるという自信からだと私は感じました。途中のび太とキューは友チョコを食べていました、あそこから二人は親子の関係ではなく友達になったのではないでしょうか。
キューとミューの玉子が「ただそのへんに落ちてただけ」なのを批判されていますが…。
手塚治虫のブラックジャックに「デベソの達」というお話があります。
大きなヘソを持つデベソの達という少年は勉強も苦手で友達もおらず周りに馬鹿にされていますがある時地面をいじっていて奇妙な石を見つけます。それを学校の先生に見せると貝の化石であることが分かり「偉いじゃないか」と褒められます。その後クラスメイトに「先生に何を褒められたんだ?なんでえただの石っころじゃないか」と言われてケンカになったりしますが、先生はデベソの達に熱心に化石の話をしてくれ、達はやがて化石掘りの名人になり巨大な恐竜の骨の発掘に挑みます…。
デベソの達も、初めに見つけたのは「ただそのへんに落ちていただけ」の化石でした。しかしそれを「ただの石っころ」ではなく「何か他と違う」と思ったから貝の化石だと分かったのです。キューとミューの玉子も「誰でも簡単に見つけられた石」だったかもしれません。しかし近くに化石掘りができる地層があり、のび太が「ひょっとしたら恐竜の玉子なんじゃないか」と思わなければ「ただの石っころ」として見過ごされてしまったのではないでしょうか。
ピー助の玉子は確かにのび太が苦労して見つけ出したものです。しかし、『のび太の恐竜』での「苦労して見つけ出したのだから恐竜の玉子に違いない」というのはただの希望的観測に過ぎません。のび太の恐竜を初めて見た時、私はタイムふろしきで恐竜の玉子が出てくるまで「これただの石っころなんじゃないかな…。」と思いながら見ていました。
「努力して手に入れたものこそが素晴らしいんだ」というのは、スパルタ礼賛主義とさして変わらぬ努力礼賛主義に過ぎません。
「ありふれたそのへんに落ちていただけの石」を「ひょっとしたら恐竜の玉子の化石なんじゃないだろうか」と発想するのび太のひらめきこそ評価されても良いと思います。
苦労して見つけ出した物が思ったより価値が無かったり、身近にあった貴重な物の価値が分からずに捨ててしまう事が多々あるのが世の常なのですから。
序盤でのび太がつまずいたのはそこら辺に落ちてたただの石じゃなくて、のび太が怒って化石掘り場から投げてた化石では…?
あと、終盤で右下の方にピー助っぽい後ろ姿があったと思います(一瞬しか見えなかったので確信は持てませんが)
自分も先日見てきたので、コメを書かせてくだされ
まず、別に発見等の序盤はあれで良いと思います
というのも、物語の根本は「生まれた恐竜との日々や、恐竜時代へ行ってからの出来事」にあると思うので、最初の経緯はあれぐらいで良いかな
逆に後半が適当になったらそれこそ駄作です
あと、あなたが酷評してる「スパルタ教育」ですが、なぜ「スパルタ教育=悪い事」のようになってるんですか?
多様性とか個性とか言うなら、スパルタ教育や「練習してできるようになろう」とがんばるのも立派な個性であり、1つの考え方として認められるべきでは?
傷つく事や苦労する事を、無条件に「虐待だ」と決めてしまうのは反対です
苦労や傷つく事を乗り越えなければ、人間も動物も成長しません
「傷つきながら成長する」ということも、人間や自然界では必要な事です
むしろ「痛みも苦労も無い状態で練習させるべき」というのはあなたのエゴであり、価値観の押し付けでしかありません
「必要以上に手を出さない」というなら、過保護も良くありません
何でもかんでも「かわいそう」と甘やかしてるだけでは、本当の意味でその子のためになりませんよ
現実では、飛んで魚を取れなければ野性では生きられません
群れに入れてもらえなければ子孫は残せません
なので「認められるように努力し、傷ついても特訓を繰り返して成長しなければならない」というのが彼らに必要な試練だと思います
あと「コミュニティを変えようとせず~」とのことですが、それって「お前らが俺に合わせろ」でしかありませんよ?
それこそただの身勝手です
実際の生き物でも、強くなければ群れに入れてもらえないというのはよくあります
それをドラえもんの道具で「弱くても良いよ」に変える方が、人間の身勝手です
しずかちゃんの言葉云々に関しても、普通に「辛くても諦めずにがんばる事が大切」という流れを描いてるかと
極論ですが、どうもあなたは「練習する事を『虐待同然の悪い事』と決め付け、努力する事を最初から否定してる根性無し」にしか見えません
正当性云々に関しては、ならドラえもん達が「私情でルールを破りました」の方が良かったですか?
ルール違反扱いにし「かわいそうだ」でそれを許せと言うなら、それこそただの身勝手であり、それを許す方がおかしいと思います
あなたは「価値観の押し付けだ」と批判してるけど「飛べなくて良いと認めろ」とわめくのも、価値観の押し付けですよ?
なぜ「飛べるように努力する事(スパルタ)」を最初から悪としてるんですか?
同じ事書きますが、それこそあなたの価値観を相手に求め、押し付けようとしてるだけです
現実は、飛べるように努力する事は大事(必要)ですし、ルールを破る事こそただの身勝手でしかありません
結果として、ドラえもん達がルール違反にならないように物語が作られて良かったと思います
あなたの言い分は「ルール違反を認めろ」でしかないですしね
もっと言えば「何でもかんでも『多様性』を持ち出し、認める事を強要する』のにこそ反対です
根性論を悪としてるあなたの言い分だって、あなたの価値観の押し付けですよ
多様性を尊重するなら、スパルタや根性論だって認められるべきです
つまり、多様性を持ち出して「決めつけだ」という人こそ、多様性を否定し、自分の価値観だけで物事を決めつけてるんですよ
「できなくても良いじゃないか」なんて、それこそ「ただの甘やかし」であり「成長を諦めているだけ」でしかありません
あなたが自分の成長を諦め、努力しないのは自由です
しかし、他人の努力を「スパルタだ」で否定し、悪のように言うのはおかしいと思います
あと、現実的に考えて「飛べなければ餌も取れず、敵に襲われて死ぬだけ」ですよ
「強くなければ生き残れない」が現実ですからね
つまり「生き残らせたいなら、特訓して飛べるようにしないと、次の日にでも食われて死ぬだけ」です
ピー助登場はファンサービスみたいなもんと考えれば良いでしょ
ピー助の登場が物語を壊す要因にはなってませんし、子供は「ピー助も生き残ってた」と喜ぶかもしれませんよ?
実際の恐竜も、直後に全部が死んだとは限りません
生き残りが居たからこそ、恐竜の子孫と言われる鳥や一部の爬虫類・両生類等が現代に居るわけですしね
ピー助の生存に関しては「熱風到達時に水中に居れば、空気中の熱風を避けられる」「のび太を追いかけ、ドラえもんのジオラマに入っていた」等の可能性は十分に考えられます
事実、海の生き物の中には、実際に大絶滅を免れた生き物もけっこう居ます
だからこそ、今現在海を始め、地球上に多くの生物が存在してるんです
本当にジオラマ内の生き物以外全滅してるなら、地球に生き物はほとんど居ませんよ
「生き残れない」というのは「ドラえもん達が居たあの周辺で」の話でしょう
話が少しずれるでしょうけど、スパルタに関しては「完全に否定」しないとだめなんですか?
それって「完全に自分と同じ意見じゃないと許せない」になってるだけでは?
スパルタだって良いじゃないですか
のび太とキューが自分の意思で練習してるのに、それを「スパルタ肯定だ」と批判してるなんて「諦めて練習をやめ、だめなまま相手の思想を捻じ曲げ、だめな存在を認めさせるべきだ」という身勝手でしかありませんよ
スパルタでも成功・成長できたならそれが1番ですし、甘やかして成長しないままが正しいとは思えません
「努力して、それまでできなかった事ができるようになる」っていうのは、素晴らしい事だと思います
ルール云々も「進化の歴史に組み込まれていた」でちゃんと納得できる正当な行為になっているため、ただの自分勝手な行為ではなくなっており、むしろ気兼ね無くドラえもん達を応援できると言った幹事でしたよ
そういう意味では、自分はこの新恐竜の映画を最高だと思いましたし、何の不満も無く楽しめました
「がんばって、もう1度だ」「できたじゃないか、おめでとう」
そんな風に努力し、成長していくのを見られるので、道具で解決するよりずっと良い話だったと思います
道具で自然の摂理や相手の考えを捻じ曲げていたら、それこそただの身勝手でしかなく、見てて不愉快にしかならなかったでしょう
どう感じるかは人それぞれですから、あなたが不愉快に感じるのも自由です
しかし、自分には、あなたの意見こそ「ただの身勝手」にしか思えません
けど、多様性と言うなら、あなたを否定する意見も含め、全部の意見を尊重するべきですよね?
なら、スパルタナ考えがあっても良いじゃないですか
「スパルタを否定しなければならない」というのであれば、その時点で「多様性」とは言えませんよ?
今回の話は「努力してできるようになる事も大事」「そういう考え方もある」で良いじゃないですか
それが「成長」というものです
こんにちは
既に様々な意見が出ているのであまり長々と書くことはしませんが、一点だけどうしても気になったのでコメントさせていただきます
> キューは他の仲間の「恐竜らしい滑空するだけの飛び方」と違って、「(後に進化する)鳥と同様の独自の飛び方」をしていたそうです。
この部分ですが、これは映画内でもしっかりと台詞で説明されていました
鳥たちの羽ばたきの前兆〜という台詞の前後にそういった旨の発言があったと思います
既に同じような指摘をされていたらすみません
小説版を全く読んだことがないのですが、この説明は記憶にあったのでおや?と思いまして…
私はこの映画をほぼ手放しで楽しめ、且つドラえもんのことはあまり詳しくないというレビュー主とは真逆の立場の人間ですが
こういった違う視点からの感想を見てまた自分なりに考えを巡らせてみるのも映画の楽しみの一つだと思っているので大変興味深くレビューを読ませて頂きました
今日映画を見てきて、このコメントも読ませていただいて、いろいろいっぱい考えて・・・。
こんなに、皆で多くの多様な意見を交わすことが出来て、これこそが「多様性」だと思いました。
この映画も、筆者の意見も皆の意見も、私にとって大事です。
ちなみに、大事じゃないという反対意見も多様で良いと思います。
色々な意見を聞いて、考え続けていくことこそ、多様性な気がしました。ありがとうございます。
多様性に関しては正直微妙なラインですよね。映画見終わってそういう風に感じる人もいるだろうなぁーって思いましたから。ただ自分は飛べるようにすることを多様性の否定、と捉えるのではなく飛べることによる、「できる」の拡張、オーバーに言えば個性の拡張のように感じました。みんなが出来るからお前も出来る、ではないんだけれども、のび太くんは頭が悪くて伝え方も悪くて、みんな飛べるのになんで飛べないんだ、というような根性論的な伝え方しか出来ずそれ故に落ち込む描写があったのではないでしょうか。逆上がりの練習のシーンももっと効果的なやり方あったように思いますが、のび太くんにとってはあのやり方しか思いつかないんですよねきっと。のび太くんの個性がキューを育てるわけですけれど、その個性が、みんなと一緒じゃなくていいんだけど、みんなと比べることをやめてもキューは飛べると思ってるのび太くんの伝え方、教え方に影響してるのではないかと。
飛べないからコミュニティに入れない→飛べるようにする、の流れも自然だったように感じます。ただそれまでのび太くんはいつかは飛べるようになるよ、と飛べないことを楽観視していますが、ある種楽観視していた自分に対する責任もあったのではないでしょうか。飛べるようにしてあげないといけないけど、教え方が分からなくて強く当たってしまってそんなこと伝えたいわけじゃないんだけど言葉でうまく言えないから行動で示して。最後の逆上がりに関しても大衆に同化したのび太くん、ではなく、また一つできることが増えたのび太くん、と僕は考えています。
ここから蛇足
映画を見るのは子ども大人様々で意見も様々です。しかし映画の中では周りの意見を一切無視して登場人物の動くであろう感情の様子を正確に映さないといけません。ここまで書いて一つ思ったのは製作陣のドラえもん愛です。のび太くん達がどういう感情を抱きどう行動にするかをベースの性格から崩さず無理なく推移させて行ったのは流石だと思います。
特にのび太くんの言った、「飛べないから」はもう声優さんあっぱれとしか言いようがありません。飛べなくてもいい、と思っていたところにトラウマもんの厳しい現実を見て、飛べる必要なんてないのに何故というのび太くんのベースの考え、飛べるようにしなかった自分の責任なのかという罪悪感、受け入れてくれないコミュニティへの怒り、悲しみ、数え切れないほどの感情の詰まった、それでも小学5年生らしさをしっかり残したあのセリフは泣けましたね。(何の話)