なぜ町山智浩は『映画 聲の形』のヒロインが中指を突き立てるイラストを描いたのか?

なぜ町山智浩は『映画 聲の形』のヒロインが中指を突き立てるイラストを描いたのか?

映画の感想や評価は、人それぞれです。
たとえ酷評でも、1つの作品に多様な見かたや考えがあるのだから、明らかな事実誤認以外であれば、それにとやかく文句を言うなんてことは本来はナンセンスであると思います。

それでも、これだけはどうしても受け入れらないこと、許せないことを、この場で申し上げます。

映画評論家・町山智浩さんが、自身の有料音声ダウンロードショップ「映画ムダ話」にて、『映画 聲の形』のヒロインが中指を突き立てるイラストを掲載したことです。


※不快感を煽るイラストであるので、画像は加工しました。

映画(または原作)を観た方には言うまでもないですが、ヒロインの西宮硝子は、他人を傷つけることを何よりも重く受け止めてしまう性格の持ち主です。
そんな彼女が、敵意むき出しなF◯CKポーズを決めているなんて、彼女のキャラクターを鑑みればありえないことです。

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

F◯CKポーズももちろんですが、表情もキツイものがあります。
このイラストの西宮は敵意、憎悪、失望が入り混じったような目で睨みつけています。

『聲の形』を知らない方は、『ドラえもん』のしずかちゃんや、はたまた好きなアニメのヒロインがFUC◯ポーズを決めてゲッソリした表情でこちらを見ている感じと思ってください。
『聲の形』という作品と西宮というキャラクターが大好きな自分は、本気で悲しくなりました。
たとえ作品を知らなくても、このイラストは不快だったでしょう。

なお、このイラストは映画『愛のむきだし』の満島ひかり演じるヒロインのオマージュであり、以下の画像を観ながら町山さん自身が描いていたそうです。

(C)「愛のむきだし」フィルムパートナーズ
(C)「愛のむきだし」フィルムパートナーズ

しかし、『愛のむきだし』と『聲の形』は、ヒロインの目的や考え方、作品の主題もまったく違います。
自分の好きな作品のシーンやヒロイン像を、まったく違う作品に当てはめてしまうことも、歓迎はできません。

そして、自分がTwitterでこのイラストのことをつぶやいたために、関係のない人をも傷つけてしまいました。
イラストについて「聴覚障害者に対するヘイトですよね。即刻削除してください」と町山さんにメッセージを送った方がいたため、一般の聴覚障害者の方をも巻き込んでの論争がTwitter上で起こっていたのです。

なお、町山さんのツイートを確認し、「映画ムダ話」の音声ファイルをすべて聞いたところ、町山さんに聴覚障害者を貶めたりする意図は一切ないことを明言しておきます。
実際はそのまったく逆で、聴覚障害者のみならず、町山さんは世のマイノリティに向けてのとある明確な「意思」があるべきだと主張しています。

ただ、町山さんのこのイラストがそのような誤解を生んだことも事実です(そのため、現在はイラストの横に注釈がつけられている)。
そういった意味でも、やはりこのイラストは受け入れらません。

↓以下からは、核心的なネタバレは避けていますが、『映画 聲の形』の小さなネタバレに触れています。ご注意ください。

ヒロインが「弱いまま」でいてほしくなかったという主張

本題に入りましょう。
町山さんが、「映画ムダ話『映画 聲の形』」で実際に話された内容および、あのイラストを描いた理由をまとめると以下のようになります。

  1. ヒロインの西宮硝子が純粋無垢な聖人のように描かれている。
  2. その西宮の姿は、『フォレスト・ガンプ』の主人公のように「障害者は純粋でやさしい」という固定観念を生みかねない
  3. 実際の聴覚障害者の方も、社会や他人に対する憤りを感じているはずだ。
  4. だが、西宮はその怒りや本音をぶつけることなく、映画が終わってしまった。
  5. 西宮のようにただ辛いことを笑って耐えて、弱者のままでいることは「戦っていない」ことだ。
  6. だから西宮には本音をぶつけてほしかった。その気持ちをあのFU◯Kポーズで表現した。

つまりは、町山さんはヒロインの西宮硝子がただ無抵抗でいたことが気に入らなかった、彼女に感情移入できなかった、という不満点を語っているのです。
それは世にいる障害を持つ方たちが「弱いまま」でいる危うさをも示していいる。だから、どこかで彼女に戦ってほしかったと……。

弱い者が弱い者のままでいるべきではないという主張自体には、まったく問題はありません。
実際に『聲の形』という作品でヒロインの西宮のことが好きになれない人は多いですし、その気持ちも否定するべきではないでしょう。
聴覚障害者やマイノリティが強くなることで救われてほしいという希望には、町山さんのやさしさが存分にあふれていました。

それでも、作品の主題からすれば……この論理展開にも重大な問題がありました。

ヒロインの「本音」とは

町山さんの「映画ムダ話」評の内容には、以下の2つの大きな問題があります。

  1. ヒロインの西宮硝子の「(誰かを恨んだり怒っているという)本音」が、作中で表れていないまま終わっていると断言していること。
  2. その「本音」が現れることで、西宮が救われると思っていること。

まず、西宮の本音は作中でちゃんと表れています

  1. 小学校時代の西宮が、いじめっ子の石田将也に突っかかって「これでもがんばってる」と言ったこと。
  2. 石田の写真をネットにばらまいてしまった結絃に「(手話で)あんたなんかいらない」と言うまでに怒ったこと。
  3. 観覧車の中で、植野に「わたしはわたしが嫌いです」と言ったこと。
  4. 長束に「わたしが壊してしまったものを取り戻したい」というメモを渡していること。

1.は聞き取りにくいのでスルーしてもしかたがないですが(劇中でも石田はこの言葉に気づいていない)、2.は回想シーンとはいえ西宮は怒った表情をしていますし、その手話の意味は結絃からちゃんと言葉で語られています。

そして、3.では、なんでも言いたいことを言ってしまう女の子・植野が「(わたしはあんたが嫌いという)本音」をぶつけて、西宮の「本音」も引き出そうとしていました。
しかし、西宮の回答は「わたしはわたしが嫌いです」でした。
この言葉は植野の求めるものではなかったですが、この「わたしはわたしが嫌い」こそ西宮の本音なのではないでしょうか。

『聲の形 公式ファンブック』でも語られていますが、西宮は「わたしのせいでみんなの関係が壊れてしまった」と思っている、加害者意識が極端に強い女の子です。
その加害者意識があるからこそ、彼女は「なんでわたしがこんな目にあうの?」という被害者意識を持たないのです。

そうだからでこそ、植野と西宮は会話がかみ合わないままなのです。
だって、西宮は本音をはっきりと口にしているのに、植野はそれを本音じゃないと思い込んでいるのですから。

そして、町山さんも同様に、この西宮の言葉を本音であると認識しておらず、西宮に「◯◯のことが嫌い!」という言葉をぶつけてくれるだろうという「期待」をしています。
つまりは、町山さんは、西宮の性格を「絶対にこうあるべきだ」と都合よく決め付けている、作中の植野というキャラクターとまったく同じことを考えているのです。
逆に言えば、植野は「西宮はいつも怒らなくてニコニコしていてイライラする」という、町山さんのほか多くの人が持つであろう気持ちを代弁するキャラクターなのですよね。

そして……町山さんはその「絶対にこうあるべき」という主張を、嫌悪感たっぷりのF◯CKポーズのイラストで表現した、というわけです。
つまりはこのイラストは、そのイラストのみの不快さもさることながら、西宮というキャラクターのことを理解しないまま、自分の希望だけを描いたことになるんです。


※西宮は演じていないよ!あれが「素」なんだよ!

町山さんが主張する「西宮というキャラクターの光(良い部分)だけ見せて、影(悪い部分)を見せていない」というのは、間違いであると断言します。
だって、彼女は自分が嫌いという「悪い面」を主張しても、理解されない。それが西宮なのですから。

町山さんが「怒ること」「弱いままでいないこと」「本音を言うこと」のみを「良し」としていることも問題です。
なぜなら、『聲の形』で訴えられているメッセージには、「変わらなくてもいい」ということもあるのですから。

実際、もう1人の主人公の石田が、橋の上で怒りにまかせて「本音」をぶちまけた結果は、どうなったでしょうか?
怒らない、弱いままでいる、本音を言わない、そのほうがいいことだってあるんです。


※西宮にとって一番の救いになるのは、本音を言うことではなく、こちらなんですけどね。

また、西宮は長束に「わたしが壊してしまったものを取り戻したい」というメモを渡しています。
これは、西宮が問題に立ち向かえるようになった、ポジティブな本音と考えるべきでしょう。
町山さんは、西宮がほとんどメールを使わない、まるで知的障害があるかのようにコミュニケーションが取れていないのが不自然だ、ということも評していますが、こうしたシーンで文字でのコミュニケーションもしっかり使われていますよ。

障害者のいやな部分を描くべき?

また、町山さんはファレリー兄弟の監督作(『メリーに首ったけ』など)を例にとり、現実に障害者にも嫌なやつがいる、映画でそういう障害者を描かないのは不自然であると主張しています。
それは正しいですし、自分もファレリー兄弟の「障害者と健常者を明確に線引きして語らない」作風が大好きです。

しかし、今回の評で語られている「障害者は社会や他人に対する不満を持っており、それを必ずさらけ出すだろう」ということこそ、勝手な障害者へのイメージではないでしょうか?
人間の多様性の素晴らしさを訴えるのであれば、「障害者には他人を攻撃するやつもいるが、西宮のように自分を加害者とばかりに感じる人もいる」という論じ方であるべきでしょう。

まとめ

ちょっと長くなりすぎたのでまとめましょう。
問題は、このイラスト自体が『聲の形』が好きな人にとっては(あるいは作品を知らなくても)不快であるということと、そのイラストを描く過程において「キャラクターの不理解」があることです。

もちろん、作品のキャラクターの「IF」を描くこと自体には問題はありません。
世にある同人誌だってそういうものですし、そこに作家の「希望」が絡んでくるのも、また当然なのですから。

ただし、その「IF」を描くのに、作品やキャラクターの不理解のために、F◯CKポーズという明らかに不快になる表現を使ったイラストを公開するのは、はっきり言って不誠実です。

また、『映画 聲の形』のラストシーンは(ネタバレになるから詳細は書かないけど)、本当に感動的です。
だしかし、このイラストは、そのエンディングで訴えられたメッセージそのものを壊してしまっています。
事実、このイラストを見た後に、本作を劇場でもう一度鑑賞したのですが、ラストシーンで思い出したくもないのにこのイラストが頭に浮かんでしまい、素直に感動できなくなってしまいました。

自分は、この『映画 聲の形』が、オールタイムベスト1位で大好きな映画です。

でも、その作品が酷評されたりしても、声を荒げたりはしません。
「そういう見方もあるんだな」と思えますから。

だけど、このイラストはあまりに強いイメージを残していたため、この大好きな映画を、純粋な気持ちでは、これから観ることが叶わなくなったのです。
ただただ残念ですし、悲しいです。

また、文章以上に、「(キャラクターの印象をねじまげてしまった)イラスト」は、これほどの影響力を持つのだと、驚きました。
イラストではなく、言葉で「西宮がF◯CKポーズをしたらいいのに!」と言っていれば、ここまで不快に感じることはなかったでしょう。

町山さんも不安に思っている

たくさん苦言を呈してしましたが、初めて今回購入した「映画ムダ話」の内容自体はものすごくおもしろかったです。
作品が好きになれなかった理由について、『白痴』などを例にとって、膨大な知識をもって論理立てて語っており、それはとても納得できるものでした。
有料(200円)ですが、『聲の形』という作品が好きになれなかった人ほど、この評を聴いて欲しいです

ただ、やはりそれを聴くためには、あのFU◯Kポーズをしている西宮のイラストを見なければならないので、やはりおすすめできません。
また、「町山智浩・告知用」のTwitterのトップにこのイラストが載っているので、聴く気がない人もこのイラストを見てしまう可能性が大です。

ていうか、FUC◯ポーズもしてなく、あんなトラウマものの表情でなく、西宮がかわいくプンスカ怒っているイラストであったら誰も傷つかなかったんですよね。

なお、町山さん自身も、明らかに自身の評について不安に思っています。
初めに「(聴いている人と)作品の内容を一緒に考えていきたい」と言っていますし、追加された音声では「何か失敗をしたり、人を傷つけたときに、自身の罪悪感のことだけを考えて、相手の気持ちにならないことが、(作中の石田同様)僕自身にもよくある」と語っています。

町山さんに、以上の自分の意見を聞いていただけることを、そして考えていただけることを、願っています。

(余談1:音声評で町山さんが「石田は西宮が教室に入ったときから、彼女に『好き』という感情に似た興味を持っている演出がある」というのは明らかな誤り。映画で石田は教室に入ってきたばかりの西宮について「興味ねーし」と言ってる)

(余談2:結絃を性同一性障害ではないかと語っているのは「可能性」の話であるので問題なし。ただ女子の制服をふつうに着ていることから、そうではないと考えるのべきだとは思うけど)

(余談3:町山さんが、自分の名前が作品に使われているんだよ~と愚痴ったのは、ほぼ間違いなく漫画『DEAD Tube ~デッドチューブ~』のせい。でも、この漫画の原作者の山口ミコトさんは、5巻のあとがきにて「僕の尊敬している映画評論家の方がこの漫画を認識しているらしい……」と書いており、決して町山さんを貶めるものではないですよ!あの主人公は変態なので町山さんの気持ちもわかるけど!)

(余談4:町山さんは原作漫画も読んでいるし、原作者のインタビューもチェックしているけど、ほぼ間違いなく『聲の形 公式ファンブック』は読んでいない(たぶん映画も1回しか観ていない)。こちらで作者の意図を読めば西宮の「本音」が作中で現れていることはちゃんとわかるでしょう)

(余談5:町山さんはこの作品を「加害者の贖罪だけで終わっている」と評していて、それは間違いなく正しいです。ただ、石田は最後に「他人の意見を聞くことができるようになった」ので、後に西宮とも対話できるようになるのかなという希望を持てます。その後の可能性を広げる終わり方なので、これでいいのではないでしょうか)

(余談6:町山さんは今回の騒動に対してイラストに注釈を加えたけど、それは「このイラストに文句がある人もいるでしょうが、音声評にはイラストを描いた理由を書いていますので、お金を払って聞いてください」ということなので、イラストについて怒った人に対して不誠実だと思う……)

※自分も今、以下の川井と同じ気持ちでいっぱいです。原作者の大今さん曰く、これは川井の純度100%の涙であり行動なのだそうですよ。

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  1. 通りすがり より:

    君塚監督については好きな人がいるかもとか考慮しないで好き勝手な
    不満を書いてたりコケにしてたりしますよね
    自分がそれを書くの抑えきれないんなら他人に期待すんのも無駄じゃないですか

  2. マクフライ より:

    今回のヒナタカさんの意見ですが、申し訳ないですが自分は正直「不快だから消してくれ」という主張には疑問が残ります。

    ヒナタカさんが町山さんの書いた西宮さんのイラストに対して批判したり、不快だと意見するのは全然いいと思います。しかし、だからといってそのイラストを削除してくれというのは流石にエゴではないかと思います。

    ヒナタカさんは様々な映画を評価し、時にはボロクソに批判したこともありますけど、仮にもしそのボロクソに叩いた映画を好きな人から「あなたの映画評は不愉快だから記事ごと消してくれ」と言われたらヒナタカさんはその意見に素直に従いますか?
    今回ヒナタカさんが主張してるのはそれと同じだと思います。

    自分も今回町山さんの聲の形評を購入して聴いたのですが、町山さんの評論で言いたいことはよくわかりますし、町山さんが書いたイラストを批判してる人たちの意見もよくわかります。しかし今回町山さんが書いたイラストは西宮さんがこういう人物であればいいのになという、ある意味町山さんの批評の一部だと考えています。

    ヒナタカさんの今回の批判も納得できるのですが、「削除しろ、他のイラストに変えてくれ」という意見は流石にどうなのかなと思い、自分の意見を書いてみました。不快に思われたらごめんなさい。

    • hinataka hinataka より:

      マクフライさん、誠実なご意見をありがとうございます。
      ただ「イラスト」というものに強い影響がありすぎることがわかったので、音声はともかく、このイラストは変えた方がいいと思ったのです・・・・・・。
      しかし、おっしゃる通り、自身のエゴであるご指摘はもっともです。該当部分を削除します。

      • マクフライ より:

        返信ありがとうございます。厳しい事を言ってしまいすいません。

        町山さん自身もヒナタカさんの意見を読んで真摯に受け止めているみたいなので安心しました。

  3. ダーク・ディグラー より:

    ヒナタカさん

    >そもそも「聖人のような人物」であったら、自殺は考えないでしょうし。

    これも変な話で「聖人のような人物」だからこそ、周りに迷惑感じて自殺するって言う選択肢選んだと言う町山智浩さんが指摘したドストエスキーの『白痴』のような人物像だから自殺と言う選択肢選んだんじゃないかと思います。

    そもそも植野さんがある意味可哀想だと思いますよ。

    好きな男の子の将也くんに振り向いてもらえないばかりか、自殺のせいで将也くんを死なせかけた梢子ちゃんは植野にしてみれば許せないし本音で語っていればこんな事にはならなかった気がするんですね。

    マクフライさんが言ってたよう事と重なるのですがヒナタカさんも気に入らない映画批評で作品ボロクソ叩いたり僕のツィートや文があれば消したりツィッター・ブロックするじゃないですか?

    ヒナタカさんのやってきた事や僕に対してやった事と重なりますよ。

    それでイジメよくないと言うのはおこがましいと重なりますよ。

    『聲の形』の町山智浩さんの評で思いだしたのは『心が叫びたがってるんだ』ですね。

    トラウマ少女を心を開かせる過程が人間扱いされてなくてなんかペット扱いされてて演劇のドタキャンもペットが逃げ出したみたいで最後は相手役が彼女ふりますがそれも別の男にペットとして譲渡するみたいで少女を人間扱いしてねぇだろう!って思いました。

    『聲の形』も将也くんがあまりに恋愛に鈍感過ぎるのと作者が恋愛感覚は重要ではないと言うのがありますが町山智浩さんが指摘したようにある種の感情が見えなければ一歩間違えば町山智浩さんが言うようにペットやボランティアみたいな感じになると言うのがあり町山智浩さんがさらに指摘したのは将也くんがあまりに贖罪に捕らわれて周りが見えてないとも指摘してました。

    僕としては将也くんの気持ちわかるし植野もそんなに悪くないのに梢子ちゃんは受け身が大きいがゆえに悲劇になったんだな~って梢子ちゃんも大きく感情爆発させるってのが『心が叫びたがってるんだ』で宇多丸さんが言うような部分にも通じて難しいなって感じました。

    いくつかヒナタカさんにキツイ部分がありましたがこれも一つの意見ですのでどうかよろしくお願いいたします。

    • hinataka hinataka より:

      >>そもそも「聖人のような人物」であったら、自殺は考えないでしょうし。
      >これも変な話で「聖人のような人物」だからこそ、周りに迷惑感じて自殺するって言う選択肢選んだと言う町山智浩さんが指摘したドストエスキーの『白痴』のような人物像だから自殺と言う選択肢選んだんじゃないかと思います。
      このご指摘もおっしゃるとおりです。該当部分を削除しました。

      • ダーク・ディグラー より:

        ヒナタカさん。

        無礼だと思いつつも僕の意見を受け止めてくれてありがとうございます。

        アニメって基本好きな時は時にのめり込みますからね。

        18年前に『おジャ魔女どれみ』シリーズにハマってそこで同人誌会場やコミケに出向いてぶるまほげろー先生と言うアニメライター兼漫画家兼評論家の人と友人になるくらいの繋がりになりましてそこから細田守が『おジャ魔女どれみ ドッカ~ン』の演出回「どれみと魔女をやめた魔女」を演出するって繋がりで細田守ファンの人ともつながりが出来ましてそれはそれで楽しかったしエロ同人誌も出るのも「ヲタの領分だからしょうがねっぇなぁ~」って健全本は買ってエロ同人誌には行かなかったって経緯があるんですね。

        まぁ好きなキャラが凌辱されてたらいい気分はしないでしょ?

        それでも表現の自由だからヲタの領分はわきまえて「しょうがねぇな~」と思うのですがヒナタカさんも『聲の形』の梢子ちゃんがお気に入りだからある種怒るのはファンの心理だから痛いほどわかる。

        僕も切通理作先生の掲示板でとある人に「『どれみ』は子供のモノ!細田守も子供のモノ!ヲタは帰れ!」みたいなこち言われてカチンときたよ!

        「何言ってるのアンタ?あなたも大人でしょ?」

        ってねぇ…まぁそれはどうでもよくて、僕も『放課後のプレアデス』って深夜アニメに好きで関連のSF大会やオフ会に行ったりします。

        このアニメで得られたと事は大切だし、その前に『ジュエルペット てぃんくる☆』に出会わなければ『放課後のプレアデス』にも出会えてません。

        ヒナタカさんも領分犯されたと怒るよりも一度SF大会やアニメファン向けのオフ会やイベントに行けば見方が変わるとは思います。

        僕は細田守ファンの人や佐藤元さんと言うアニメーターの人に出会い色々とアニメの事教わったのでヲタに悪意がある人はまぁ『どれみ』ファンの人には色々と悪意の人がいましたが見識広めるのもいいかもしれないですね。

        ちょっと余計なおせっかいかなと感じますがよろしくお願い致します

  4. 毒親育ち より:

    創作する側になったら「がんばったで賞をください」からガッカリ感が続く人なのですが・・・。
    さすがにコレは評論家としてどうなんだ・・・です。
    本作は観客への加害・被害経験に突き刺さる部分が強いと思うのですが、それが映画のオタクの悪い性を刺激した結果の失言(?)と言った所でしょうか。

    個々の登場人物の思想、思考、言動、行動に納得行かない気持ち自体は解りますけど、これは町山さんの「西宮さん!怒れよ!?」というこう有って欲しい西宮硝子像でしかないと思います。
    余談ですが、自分はソックリなクズから加害を受けた事があり、またそれにソックリな言葉を吐かれた経験から植野直花が大嫌い・・・どころか憎悪すらしています。観賞中は出てくる度にあの開き直った面にバットをフルスイングしたい・・・と思う程でした。(正直、再観賞を躊躇うのは植野の面を観たくないのと、今も燻ぶるアイツへの怨みの再燃が恐いからです)でも。その感情を表現するなら私自身が植野の顔面をバットでフルスイングしている絵を描きます。
    それでも西宮さんが植野にそんな事をしない理由も理解出来ました。「ああ。この人は自分(聴覚障害者)という異分子が入り込んだ事で、それまで上手くやっていたクラスを壊してしまったし、植野が自分を加害した理由も自分なりに考えてるんだな」と。

    観覧車の中で町山智浩が西宮硝子へ「西宮さん!怒った時はこうするんだよ!!」と怒っていて、そんな町山君を困った顔で見つめる西宮さんなら良かったのに・・・。

    >2.その西宮の姿は、『フォレスト・ガンプ』の主人公のように「障害者は純粋でやさしい」という固定観念を生みかねない
    これも決して障害者を聖人として描いたのでなく、フォレスト・ガンプという人の人生を描いた物語なんですが・・・盛大に誤解されていて、その誤解が弊害を生んでいると感じていまして、非常にモヤモヤする名作です。
    『聾の形』も同じ轍をたどってしまうのかなあ・・・と不安です。おそらく今日本では最も著名な評論家がこんな調子では・・・と。町山さんには評論家の責任をもっと自覚して欲しいですね。

    >3.実際の聴覚障害者の方も、社会や他人に対する憤りを感じているはずだ。
    町山さんは障害者差別の酷さにふれ過ぎて彼らの被害意識を自分のものと感じ過ぎるようになってしまっているように感じます。一歩間違うとそれは、あの優しさと思いやりに満ちた地獄へ通じる道ですよ・・・。

    >イラストの削除の是非
    自分は残して置くべきだと思います。確かに映画のテーマを素直に受け取った人からすれば不快極まるものでしょうが、これは町山智浩という一人の人間の一部であり、それを不快というだけで消してしまえというのはそれこそ映画のみならず創作の根幹である言論表現の自由という人権の侵害になると思います。
    それに残して置く事で町山智浩は過去にこういう事をしてしまったという恥の証拠であり、消してしまうのは返って隠蔽にすらなると思いますし、また不快な思いもヒナタカさんのようにそれは違う!と言ってくれる人達の意見も目にする事で相殺出来ると思います。

    • hinataka hinataka より:

      毒親育ちさん、真摯に、長々とご意見をくださってありがとうございます。
      ご経験上、植野さんが嫌いな気持ちもよくわかります。

      >>2.その西宮の姿は、『フォレスト・ガンプ』の主人公のように「障害者は純粋でやさしい」という固定観念を生みかねない
      >これも決して障害者を聖人として描いたのでなく、フォレスト・ガンプという人の人生を描いた物語なんですが・・・盛大に誤解されていて、その誤解が弊害を生んでいると感じていまして、非常にモヤモヤする名作です。
      自分もフォレストガンプについては、障害者全体を純粋無垢としているというのは考えすぎじゃ?と思っているほうです。ふつうの人間の奇妙な一生を描いた作品と受け取りました。

      >>イラストの削除の是非
      このご意見が本当にうれしいです。まったくおっしゃるとおりです。
      誰かが自分のような気持ちになってほしくないな、という気持ちが先立って「消して欲しい」と書いてしまったのは早まった行為でした。
      自分も、大いに反省するところがあります。酷評レビューでも、傷ついている人がいるかもしれないですもの。

  5. いいこま より:

    なんていうか、原作もファンブックも未読で観てしまった身で言うのも烏滸がましい気はするものの一言で言って「虐められっ子にも虐めっ子にも図らずもなってしまった感のある自分にとって物凄く救済だった」というのが作品の対する個人的感想なのですが今回の町山さんのイラストはその想いすら粉々に打ち砕いてくれてしまってる感がしました。「嫌なら見なければいい」のですが見てしまった後だと取り返しは付きませんし…。
    いくら『IF』だとしても、いくら人の意見が十人十色でも、硝子のように人を図らずも傷つけてしまう自分が嫌いな人間があんな表情で中指立てるとは少なくとも自分なら考えられないです。それでも「うーん…聴覚障害者の方々を貶める意図なんて町山氏の表現にあったか…?」とも感じましたが。
    >ヒロインが「弱いまま」でいてほしくなかったという主張
    >>町山さんの意見もわからんでもないっていうか確かにそこだけ切り取れば一理あるとは自分も感じますがそれでも「人を図らずも傷つけてしまう自分が嫌い」旨は本音でしょうから「本音をぶちまけてないってのは違うのでは?」と感じてしまいますし他の方も仰ってましたが「本当に純真無垢な人間だったら自己嫌悪の末に自殺未遂なんてしないわな」って感じです(尤も、ダーク・ディグラーさんも仰ってるように逆にそういうものなのかもしれませんが)。
    それにPD持ちの身としても「障害者はきれいごとばかりで成り立つようなもんじゃない」と思いますし社会や他人に怒りを感じる方もいる(っていうか自分もそんな感じですし…)とは思いますが「抱えてるはずだ」というのは引っ掛かりを感じてしまうところです。健常者にせよ障害者にせよ悪い輩もいればいい輩もいるでしょうし。
    あと飽くまで個人的な思いとしてですが、辛いことを笑ってやり過ごすのもある種の「強さ」「戦い」ではないかなと感じます(少なくとも自分の場合やろうとしてもやれるだけのメンタルがないですし…)。
    >まず、西宮の本音は作中でちゃんと表れています。
    >>しまった、ほとんど失念してました…。
    >そして、町山さんも同様に、この西宮の言葉を本音であると認識しておらず、西宮に「◯◯のことが嫌い!」という言葉をぶつけてくれるだろうという「期待」をしています。
    つまりは、町山さんは、西宮の性格を「絶対にこうあるべきだ」と都合よく決め付けている、作中の植野というキャラクターとまったく同じことを考えているのです。
    逆に言えば、植野は「西宮はいつも怒らなくてニコニコしていてイライラする」という、町山さんのほか多くの人が持つであろう気持ちを代弁するキャラクターなのですよね。
    >>直花や町山さんみたく本音と認識できない人がいても何らおかしいことではないとは思うのですが、それでも「こうであってほしい」という「期待」を越して「こうあるべきだ」と決めつけた挙句今回のような様になってはなあ…。
    >もう1人の主人公の石田が、橋の上で怒りにまかせて「本音」をぶちまけた結果は、どうなったでしょうか?
    怒らない、弱いままでいる、本音を言わない、そのほうがいいことだってあるんです。
    >>本気で気の置けない仲なら話は変わるのかもしれませんが大概「親しき仲にも礼儀あり」ですし怒りのあまり本音をぶちまけて気まずくなったことが何度もある身としてはそれは感じてしまうところです(論点はずれてるかもしれませんが、或いはやるとしてもオブラートに包むなりした方が)。
    >また、町山さんはファレリー兄弟の監督作(『メリーに首ったけ』など)を例にとり、現実に障がい者にも嫌なやつがいるし、映画でそういう障害者を描かないのは不自然であると主張しています。
    >しかし、今回の評で語られている「障害者は社会や他人に対する不満を持っており、それを必ずさらけ出すだろう」ということこそ、勝手な障害者へのイメージではないでしょうか?
    >>そもそも自分が謂わば「障害者の中の嫌な奴」なところがあるだけに自分もその主張は間違ってはいないだろうと感じますが先述したように「健常者だろうが障害者だろうが悪い輩もいい輩もいる」と感じる口として「町山さんのやってることこそ意見の押し付けになるのでは」という思いもまた拭えないものです。
    >イラストではなく、言葉で「西宮がF◯CKポーズをしたらいいのに!」問題提起をされていれば、不快に感じることはなかったでしょう。
    >>ただ自分の場合「それでも引っかかるところは否めなかっただろうなあ…」って思います。それはそれでエゴと感じつつも「ホントに作品で描かれてる意味合いが分かってたらその発想自体出ないのでは…」と感じてしまうので。
    >町山さんは障害者差別の酷さにふれ過ぎて彼らの被害意識を自分のものと感じ過ぎるようになってしまっているように感じます。一歩間違うとそれは、あの優しさと思いやりに満ちた地獄へ通じる道ですよ・・・。
    >>論点がずれてたら申し訳ないですが、そもそもどう思ってるかなんて他人じゃなくて当人が言えばいいことというのもありますしホントそれはありますよ…。

    あと余談ながら直花に関してはフルスイングしたくなるほどの憎悪まではいかなくとも自分も口を開くたびにムカムカが募ってました(ましてや彼女の所業が将也にブレーキかけさせた感がしたので尚更)。とりあえず「君、もう少し口にチャックしなさい」と。
    それでも自殺未遂後の硝子にぶちまけた際の発言はアリでしたしラストで距離が縮まってたのは素直に良かったと感じましたが。

    なんか同じようなことを何度か書いてしまった気がしますがこんなところです。他の方のコメントへの便乗が多いうえに事実誤認があったらすみません。
    消せとは言いませんし「このまま載せたままにするか、それとも消すか」の判断が町山さんにあるのは否定しないですが、町山さんが世に出す前に「ホントに世に出して大丈夫か」考える猶予を持っていたとすればこのような事態は避けられたかもしれないことは町山さんに肝に銘じていてもらいたいところですし自分も肝に銘じないといけない、というのが取り敢えず思うところです。

    • hinataka hinataka より:

      いいこまさん、毎度、本当に長々とありがとうございます。

      >「虐められっ子にも虐めっ子にも図らずもなってしまった感のある自分にとって物凄く救済だった」というのが作品の対する個人的感想
      自分もそうなんですよね。そこが大好きだったんです。

      >>>イラストではなく、言葉で「西宮がF◯CKポーズをしたらいいのに!」問題提起をされていれば、不快に感じることはなかったでしょう。
      >>>ただ自分の場合「それでも引っかかるところは否めなかっただろうなあ…」って思います。それはそれでエゴと感じつつも「ホントに作品で描かれてる意味合いが分かってたらその発想自体出ないのでは…」と感じてしまうので。
      それもそうですよね。その発想自体が、理解できないものでした。

      >あと余談ながら直花に関してはフルスイングしたくなるほどの憎悪まではいかなくとも自分も口を開くたびにムカムカが募ってました(ましてや彼女の所業が将也にブレーキかけさせた感がしたので尚更)。とりあえず「君、もう少し口にチャックしなさい」と。
      ブログの記事にあえて書かなかったのですが、植野は石田のことが好きだからあんな行動を取るんですよね・・・。
      原作を読んでみると、少し彼女のことが理解できるかもしれませんよ。

      >消せとは言いませんし「このまま載せたままにするか、それとも消すか」の判断が町山さんにあるのは否定しないですが、町山さんが世に出す前に「ホントに世に出して大丈夫か」考える猶予を持っていたとすればこのような事態は避けられたかもしれないことは町山さんに肝に銘じていてもらいたいところですし自分も肝に銘じないといけない、というのが取り敢えず思うところです。
      もうこのご意見が本当にありがたいです。「消して欲しい」と書いてしまった自分も同じ穴のムジナだなあと・・・。本当に感謝です。

  6. ゴリリン より:

    聲の形が好きな自分にとっては不快以外のなにものでもないイラストですね…
    なにも知らないでイラストを見た人はただただ好きな作品を貶められてるとしか思えないでしょうに
    なぜわざわざイラストを世の中に出してしまったのかが疑問です

  7. ネイン より:

    わざわざトゥゲッターのコメント欄にまで出張って「あのイラストは私を不快にさせたから罪なのです」は無いと思いますよ。他人を責める前に自省されては如何か

    • hinataka hinataka より:

      togetterは、自分がこの騒動の一端になったので、やはり意見を描くべき……だと思ったのですが、確かに攻撃的になっていることは否めないので、もうこれ以上はやめようと思いました・・・。

      • 義明_togetterから出張 より:

        togetterは元々ああいうトコロです。
        あのまとめ自体が、「ポリコレ棒で殴りかかる人」を挙げ晒す意図があるモノですし。
        (まとめ主が他にまとめた内容を見れば瞭然)
        自分の文章が攻撃的かどうか、を反省することは悪くないですが、
        それで自重したところで口さがない連中は構わず好き勝手に言いたい放題ですので、
        反論する必要があると思えばどんどん書けば良いと思いますよ。

  8. Gubbish より:

    ブラウザを変えたらこちらに書き込めるようになったので、こちらにコメントさせて頂きます。
    togetterの方で返信頂いたGubbishと申します、返信ありがとうございました。
    私は映画を見ていないのでヒナタカさんのブログを読ませて頂いた時に「私は私が嫌い」という言葉が果たして西宮の本音なのか?
    という疑問を感じました。それは西宮が現状を吐露しただけであって西宮の本音は「私は私が好きになりたい」であり、植野の言葉の意図を知った上で西宮が「私は私が嫌い」と返したのだとすれば、それは西宮なりの植野に対してのささやかな拒否であり植野には心を閉ざした状態のままだったりしないのかなと。また西宮という人物は全て自分が悪いんだから虐められても仕方がないと被害者意識を持たない人物のようですが、虐めも肯定している人物として描かれているんでしょうか、気になります。とはいえ自分が必要とされる事で西宮が自分を少しは好きになれる希望を持って終焉を迎えるのであれば救いはありますね。

    因みに私は町山さんのレビューは聞いていませんが、F◯CKサインのイラストに関しては不快感など感じませんでしたし注釈を付けるのもどうかと思います。ヒナタカさんもこれが特に思い入れのないアニメのキャラで描かれていたなら不快感は感じなかったんじゃないでしょうか?町山さんが注釈を付けてからtwitter上に沢山のF◯CKサインを決める映画や俳優などの画像や動画を上げておりますが、大人気ないなぁと思いつつも言わんとしている事は分かります。映画やマンガ、アニメの中でF◯CKサインを決める事と、現実にアメリカなどで赤の他人にF◯CKサインをする事には明らかな違いがあります。映画や漫画でF◯CKサインを決めるのは大抵主人公の決めシーンや親友同士のじゃれ合い的なシーンで登場します、漫画のワンピースなんかでも中指立ててたキャラがいたような?町山さんは格好良い決めポーズとして描かれたんだと思いますが(古いしダサいとは思いますが…)不快感を煽るとか敵意剥き出しや嫌悪感たっぷりに等の表現にはいささか自分の好きな映画のキャラクターを汚されたというヒナタカさんの私怨を感じてしまいました。とは言え私はそうは受け取りませんでしたが、あの絵じゃ作品自体にF◯CKサインを出していると誤解する人もいるかも知れませんね、町山さんが大人気なくしてまた別の映画でF◯CKサインを出している絵を描かないよう祈ります。

    • 義明_togetterから出張 より:

      むこうでも書きましたが、観ていない段階でもっともらしく考察するより、ちゃんと観てからの方が良いと思いますよ。

  9. Gubbish より:

    あ、今回の事をきっかけにこの映画見てみようと思いました、ありがとうございます。

  10. 走れフランケンウィーニー より:

    町山さん自身、ヤクザの在日韓国人を父親にもち、人生を通して差別そのほか親の破産等で辛い経験をてたりで、
    確かに町山さんは西宮のようではないですよね。反抗的で、発言・発想・行動は過激で、
    熱さもときにちょっと壊れぎみというか。
    でもだから理解出来る「物事・世の中の別の側面」というものがあるのだと私は感じています。

    町山さんも娘さんがいらっしゃって、町山さんが有料ラジオでおっしゃっていたことというのは、
    西宮に対する愛なのですけどね。自殺したりしないで、周囲を恨んでも周囲にやつあたりしてもいいから
    サバイブして強く生き抜いてほしいっていう。加害者意識って他人を恨む辛さから逃れるためだったりもしますし。
    でもそこから逃げないで自分を成長させて乗り越えたほうが、やっぱり本人は豊かになれる気が私もします。
    誰かを恨むってすごく辛くて、ものすごいエネルギーを使うものなので。
    何かを「すること」ではなく、「しないこと」で乗り切ろうとすると、器が小さくなってしまうものなのですよ。
    加害者意識で自分を守るのも一つの戦い方だし、FUCKポーズを決めて戦闘態勢をとるのも、戦い方の一つで。

    好きな女の子がFUCKポーズ決めたら心が折れちゃう、みたいなのも、
    この女の子が戦っているもの自体のヘビーさからするとちょっと貧弱だと思います。

    私自身は『声の聾』は素晴らしい映画で子供なんかに特に観てほしいとも思うけど、暗い映画だなとも思います。
    もっと逞しく、自分の不幸を笑い飛ばすように、生き抜くスタイルもあるし、
    そういう問題提起の仕方もあります。

    特に日本は環境が優しいからこれで済むけど、アメリカなんかで移民がサバイバルするには
    もっとガッツがあって強い言葉や発想が必要に思います。

    町山さんのイラストのFUCKポーズは、『愛のむきだし』のものですが、
    町山さんは『愛のむきだし』が大好きで、私もかなり好きな映画です。
    ユウもヨーコも不遇な環境からある意味病んで一度はめちゃくちゃになってしまう(変態になったりレズビアンになったり)、
    でも再生の物語。人と人、特にまだ未熟な若者が互いに影響しあいながら、自分の道をみつけていく。
    町山さんの「変態になってもレズビアンになってもいいんだよ」、というのも人間愛なんです。
    そこにそもそも人間の弱さへの愛があるから、『愛のむきだし』だし、この映画は多くの人を惹きつけるのだと思います。

    それじゃダメだ、汚くても汚れてもいいから強く生きろ、と言ってしまうのは若い世代への愛情だし、
    いろいろな経験を生き抜いた後の親心なのですよね。結局、そうやって、サバイバルしていくものだから。

    耳の聴こえない神様のような性格の美少女、みたいなものを主人公に背負いこませて、
    それを若い男性が熱烈に支持して、年齢層も経験も違う町山さんが同じようになれというのは、
    状況が違いすぎて無理なのは仕方ないことですし。

    どのみち、どれくらい辛い局面を生き抜いたことがあるか、そこから来た経験を
    どう昇華して中年を迎えたか。そこでこういうモノの感じ方が分かれるのは仕方ないことに思います。

    ヒナタカさんが娘の生き残りを祈る親の世代になれば、町山さんの気持ちがもっと直感的に
    わかるかもしれないし、日本の恵まれた子供から恵まれた大人になり、やっぱり
    苦しい環境の人間はしょせん物語の中の他人ごとかもしれず、
    日本人の場合は、どうなるかわからないかもしれないですが。

    私も偶然、若いときに2回自殺未遂したことがあります。
    その前後で自殺未遂と同じくらい辛い経験を長年経験しました。
    西宮の気持ちは普通にわかるけど、やっぱお姉さん的に「将来はそこからはもっと成長しないとね」と思います。

    その後いろいろと成長して今のポジティブで広い視野を得たこと、
    楽しい人生を送っていることを気に入っていますが、
    やっぱり、もっともっと逞しいガッツのある視野を持てないと、
    なかなか自由になれないし、幸せになり辛いのですよね。
    強さって軽やかさでもあるから。

    町山さんが言っている逞しさというのは、生きやすさにつながっています。
    私は町山さんの経験からくる辛さや、サバイバルした人間の感覚が同士として分かるから、
    特に彼は男性だし、戦うことの大切さを強調してしまうのは、すごく分かります。

    もうちょっと修羅場を生き抜いてきた年配(or先輩)への信頼と、
    理解しようという敬意があったほうが、視野が広がって人生伸びるんじゃないかと思います。
    町山さんは真剣に問題提起しているだけで、この作品をけなしてないですし。

    町山さんの『スロッターハウス5』の有料音声解説、ヒナタカさんにオススメです。
    町山さんてこのレベルのキツさを生き抜いてきた人だから、
    『スロッターハウス5』の辛さに面と向かっていって、中に入り込んで理解することができるし、
    でもそれは、誰もができることではないです。町山さん文学的理解のレベルの高さと凄さが表れている1本に思います。
    私は有名私立大でできる教授に囲まれてアメリカ文学を学びましたが、町山さんの『スロッターハウス5』の評論は
    ずば抜けています。

  11. グスコーブドリ より:

    僕はこのブログで町山さんが書いたイラストのことを知り、不快な気持ちになりました。

    ブログに書くことで、より多くの人の目につくということは考えなかったのですか?

    この記事自体も不快な記事ですが。

  12. 名無し より:

    原作も映画も見てない論外な人間だが(まぁ壁面の落書きということで)、

    興味がない人間に対して「興味がない」と口で言うのは少なからず興味があるということです。
    本当に興味がないなら学生生活で一言も声を交わすことなく卒業します。あるいは「誰?」というぐらい存在自体を把握してない。「興味がない」とはそういうことです。
    台詞で演出してしまった時点で失敗なわけです。町山さんは物語云々より演出上の難点を言ったということに近いです。
    被害者だからこそ加害者になることを怖れるのは確かにそうだが、その前段階には必ず、加害者として振る舞いたい気持ちがあり、かつそれを自制して思い止まらせる気持ちが加害者化への怖れである。
    台詞で(手話で)「わたしはわたしが嫌い」と言わせるのなら、必ずあるということです。加害したい気持ちが。
    しかもそれは精神的苦痛による暴力です。じゃあ精神的ではない、些細な事故程度ならどうか。
    相手に苦痛を与えたいけど、そんなことしたくない。けどこの報復心をどうにかしたい。
    そうなると些細な事故を装う報復ならOKになります。肩がぶつかったり、相手の物を思いかけずを装って落としたり。勿論相手に「ただの事故」と思わせる程度の、小さな小さな報復です。加害は基本自己満足に過ぎません。自分が報復と思って為せればそれでいいんです。弱いキャラクターなら尚更その手段をするでしょう。
    端から見れば「ドジッ娘」程度。けどそれは実は報復であり、処世術でもある。それがあったかどうかの話。
    聖人と言われてしまうのはそれが無かったからでしょう。「このキャラクターはこんなことしない性格なんだよ!」って意見は同時に「だから聖人なんだよ!」ってことです。この世に聖人というほどの人間は存在しません。

    聖人でない限り、加害者に対して様々な形の報復があるべきである。そういうことではないのかなーってことです。
    壁面の落書きでした。

  13. Rickey より:

    横から急にすみません。

    原作や映画を見ていない人は、まず原作や映画を見てください。
    話はそれからだと思います。

    マスコミみたいに、話の一部分だけを切り取ってコメントされても、結局は的を射ていないことが多いですよね。

    原作を読めば「興味がない」に関しては、直接西宮に言った言葉ではなく、友達からの会話の流れで、その友達に返した言葉であり、本当にその時には興味がなかったと分かります。
    その後、興味が湧くかは別ですが。

    あと、西宮は自分を加害者だと思っている…と原作などを見れば分かるはずです。
    だから「私は私が嫌い」なのだと。
    自分がいては他人を傷つけてしまう(周りに迷惑をかけてしまう)のでいなくなってしまおう…という意味での自殺なんだと解釈しています。

    原作ファンとしては映画では説明不足な部分が多いなと思ったのですが、
    特に、原作であった自殺後の西宮の心境の変化が読み取れるシーン(だと思っています)が、映画ではありませんでした。
    映画という時間制限がある中での作品なので、原作の全てが入らないのは分かりますが、自分が一番重要だと思っている西宮のターニングポイントとなるシーンが描かれていないのがショックでした。
    重要だと思っていたのは自分だけなのかなぁ…。

    町山さんのイラストに関しては、やっぱり好きにはなれませんね。
    植野に限らず、西宮に対峙するキャラクターの何人かは西宮に対し、何らかのイライラや憤りを感じているのは確かで、それを町山さんも感じてイラストで表現したのでしょうね。
    考え方は人それぞれ……だけど…。
    このポーズの元々の意味を考えると本当に下品な表現ですよね。
    ただ、このイラストのインパクトによって有料音声を購入される人もいるのかもしれませんね。
    このイラストを原作者が見たらどんな気持ちになるだろうかと、勝手ながら考えてしまいます…。

    あと、気になったのは著作権のほうです。
    マンガなどのキャラクターの絵を描いて公の場に発表するには著作者に許可を得なければなりません。
    町山さんはこのイラストを描くのに原作者などに許可を得ているんですかねぇ……?

    最後にhinatakaさんの文章の中の「Fポーズ」に関する表記について。
    わざわざ○で伏字のようにしているのに、○で伏せている位置を変えて結局は分かるようにしているのがふざけているように見えて、ちょっと不快に思いました。

    通りすがりに思いつくまま、いろいろ書いてしまいました。
    不快に思われたらすみません…。

  14. キムジョンウン より:

    もっと単純な話でしょう
    同週公開である同胞韓国人崔洋一さんの映画「怒り」が
    公開館数半分の聾の形に興行収入で負けた事がネット界隈で
    馬鹿にされたことにはらをたてたんでしょうw

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ヒナタカ

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