『ラ・ラ・ランド』夢追い人に乾杯を(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

『ラ・ラ・ランド』夢追い人に乾杯を(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

今日の映画感想はラ・ラ・ランドです。
※2/25:ラジオレビューを追加しました!
※3/11:シネマズ by 松竹の記事を追加しました!

個人的お気に入り度:7/10

一言感想:夢をみていた(まさに)

あらすじ

オーディションに落ちてばかりの女優志望のミア(エマ・ストーン)は、ピアノの音色に誘われてジャズバーに入り、ピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)と出会う。
ミアとセブは、互いの夢の話を聞いているうちに惹かれ合い恋に落ちていく……。

『セッション』のデイミアン・チャゼル監督による最新作です。

監督が若干28歳にして作り上げたこの作品は世界中で大絶賛されたものの、音楽(ジャズ)に対する姿勢が偏狭的すぎて(そこが面白いところだけど)、ジャズ演奏者をはじめ一部から批判の声が挙がったりもしていました。

そして、本作『ラ・ラ・ランド』は、チャゼル監督による、『セッション』のアンサー!!!(by鬼教師)のような内容になっていました。
なぜアンサーなのか?それを以下にたっぷりと紹介いたしましょう。

映画愛に溢れすぎ!

本作で何よりも特筆すべきは、映画、特にミュージカル映画へのオマージュ(愛)に溢れていることです。
どれだけ過去の名作のオマージュがあるのかは、こちらにまとめました↓
これを観ておくと『ラ・ラ・ランド』がさらに楽しめる!10の映画 | シネマズ by 松竹

恐ろしいことに、本作から連想する映画はこれ以外にもありますからね……
色鮮やかな衣装や美術も、50年~60年代のミュージカル映画によく見られるテクニカラー(カラー映画の彩色技術)の再現だったりもします。

さらには、イングリッド・バーグマンの大きな絵画が、女性主人公が寝ているベッドのすぐそばの壁にかけられたりもいます。どんだけ好きなんだ……。

さらに、チャゼル監督は「古今東西、あらゆる映画を観まくった」と公言しており、本作については「『レイジング・ブル』の表現主義的なカメラワークに影響を受けた」と言ったり、「レコーディングを『オズの魔法使』や『雨に唄えば』のスタジオでできて超うれしい!」と喜んだりしています。すげえ映画オタクだ!(もちろん褒めています)

俺はこの音楽が好きなのに!

チャゼル監督は学生時代に超厳しいジャズバンドに所属しており、そのときの経験が『セッション』の最低鬼教師への描写へ反映されました。
この「音楽において超嫌なこと(完璧さ)を強要される」というのは、チャゼルが脚本を手がけた『グランドピアノ 狙われた黒鍵』にもめちゃくちゃ表れています。

つまり、チャゼル監督は現実のイヤなことを自身の作る映画にぶつけているんですね。
それでいて独りよがりな内容にならず、極めてエンタメ性のある作品に仕上げているのがチャゼル監督の偉いところです(上から目線)。

チャゼル監督が本作『ラ・ラ・ランド』の元となる作品のアイデアを思いついたのは、ハーバード大学での卒業制作(監督デビュー作)だったのだそうです。
でも、そのときに出資者から「主人公が愛する音楽をジャズではなくロックに変えろ」と求められて、苦い経験をしたのだとか。

で、「ラ・ラ・ランド』の本編では案の定、「俺の大好きな音楽をなんでさせてくれねえんだよ!」という叫びが、「男主人公がバーの支配人に要求されても、やっぱり自分の好きな曲を演奏してしまい解雇される。その後はまったく気が乗らないロックミュージックをプールサイドで演奏する」という形で思いっきり表れておりました。
いやはや、ここまで自身の人生が作品に反映されているというのは……潔いですね(語弊のある表現)。

『セッション』で描いたこととは正反対?

『セッション』を観たとき、ジャズのことを何にも知らない自分は「ジャズってこんなに怖い音楽だったのか……」と勘違いしていました(実際にジャズを演奏されているお方から「みんなでジャズでセッションする楽しさも知ってほしいです」とまっとうなご意見をいただきました)。

でも、チャゼル監督が『セッション』で描いたことって、前述したように「自分の嫌な経験」なのです。
だから、『セッション』において「こんなのジャズじゃない!」という指摘は、ある意味ではチャゼル監督の叫びそのまんまなんです。

そんなチャゼル監督が本作でどうしたかと言うと……男主人公に思いっきり「自分の好きなジャズ論」を語らせていました
もう彼の言葉だけで、チャゼル監督がジャズに対してどういう思いでいたか、『セッション』で描いたジャズがどんだけ嫌いだったか(笑)、その「答え」がここにあります。
※追記:以下のインタビューによるとチャゼル監督は「男主人公が語ることに僕自身が必ずしも同意しているわけではなくて『それは違う』と思うこともあるんだ」と語っており、監督の意見そのままとは必ずしも言えないようです↓
『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督が語る、ジャズと映画の関係 | Real Sound|リアルサウンド 映画部

これはもう、『セッション』が好きな方はもちろん、嫌いだったという方も必見でしょう。
「監督はこういうことが言いたかったのか!」という新たな気づきがあるはずです。

共演者のエピソードも反映されていた!

そんな風に『ラ・ラ・ランド』ではチャゼル監督の人生が反映されているわけですが、実は俳優やスタッフとミーティングをして、それぞれのイヤな出来事も聞いて、作品に取り入れていたりもしています。

具体的には、女主人公がオーディションに臨むも、明らかに審査員がやる気なさげで、演技を見ようともしないというキッツいシーンがありますよね。

実は、これは男主人公を演じたライアン・ゴズリングがオーディションで泣く演技に挑むも、キャスティングディレクターに電話に出られてしまい、「どうぞ、続けて」とマジで言われたという経験が元ネタなのです。
チャゼル監督にとっては、人生の苦い経験は、最高の映画のネタなんですね(笑)

夢いっぱいの楽しい映画じゃないよ!

ここまでで、何となく本作の物語そのものはぜんぜん楽しくないという察しがつくでしょうか。

これはハリウッドで、自分の望まない仕事を続けるしかなく、夢が破れそうになっている男女の物語なのです。
最初から最後まで超ハッピーな映画!を期待すると、それは裏切られてしまうかもしれないですね。

ミュージカル映画の魅力が詰まりまくり!

でも、そんな暗めの物語に、華やかなミュージカルが花を添える……どころじゃないですね、まさに「映画の魔法」と呼ぶしかない、映画でしかできない、映画だけの魅力がスクリーンに展開するのです。

エマ・ストーンとライアン・ゴズリングのほか、劇中の歌は吹き替えなし。
ゴズリングは実際にピアノを3ヶ月練習し、本物のピアニストに迫る技術を見せていたりします。

そして、アッと驚くオープニングは100点満点で500億点、エンディングは100点満点で1000億点の出来!
この「こんなの見たことない!」という時点でこんだけの点数を叩き出していんだから!(個人的な見解です)もう観るしかねえだろ!

そうそう、本作の「サントラを欲しくなる度」は半端ではないので、入手困難になる前に、早めに確保しておくことをおすすめします。

実に普遍的なテーマを持った映画だ!

本作が何よりも尊いのは、「本当にしたい仕事をしようとしてもうまくはいかない」「本当は別の夢があるのに、望まない仕事に就くしかない」という、世界中の誰もが思う普遍的な人生の悩みをテーマとしていることです。

実は、チャゼル監督は本作について「自分が観たいものを作ったんだ、世の中に受けるかどうかはわからなかった」と答えいていたのですが、それが監督が気づかないほどに、多くの人の琴線に触れる内容となっていたのです。

これこそ、クリエイターのあるべき姿勢なのではないでしょうか。
「大衆に受けるもの」「時代が望んでいるもの」などのマーケティングなどを考慮せず、まずは本当に作りたいものを作る。それは今の世の中が求めているものでもある……。
しかも、運命的なまでに、このチャゼル監督の作品作りは、本作の「理想の夢を追い求める」物語ともシンクロしているのです。

また、チャゼル監督のほか主演のエマ・ストーンやライアン・ゴズリングは、言うまでもなく映画界で大成功している方々です。
そんな彼らが作ったこの映画が、偉ぶることもなく、すべての「夢追い人」に届ける作品を作ったというのが、また素晴らしいよなあ……。

すべての人生に、祝福を

チャゼル監督は、本作についてこう語っています。

「愛や夢を追うような内容の映画でも、壮大な経験を提供できるんだという可能性を示すことができたと思う」

本作はスーパーヒーローなど登場せず、派手な爆発やアクションもありません。(ハリウッドでなくとも)どこにでもいそうな男女の姿を描いています。
それでも、これほどまでに人生は愛おしく、また壮大な「心の動き」はあるかを、「ミュージカル」という煌びやかな手法で描いてくれるのです。

ジャンルは違いますが、『映画 聲の形』もアニメーションならではの演出により、「大したことがないこと」を壮大に、感動的に魅せた作品でした。
同じように、『ラ・ラ・ランド』は、誰でも経験しているような、普遍的な人生を壮大に(ミュージカルで)描くことで、その人生そのものに祝福を捧げるかのような作品なのです。

ちょっと気になるポイントも……

そんな風に作品の精神性や音楽が素晴らしいと思う反面、個人的にはどうしても気になったポイントがあります。
それは、ある1点において女主人公を少し嫌いになってしまったことです。

詳しくはネタバレになるので↓に書きますが、これ以外にも主人公2人は「価値観が固定化されて柔軟性がない」「周りが見えていない」という明らかな欠点があったりします。
もちろん、それは作品において必要なものなのですが、あるシーンではその女主人公の「自分勝手さ」が過度に出てきてしまい、何より「反省」しないのでモヤっとしてしまったのです。

あまりにも「2人の世界」ばかりが描かれるきらいもあります。
(男主人公のほうには冷静な批判が入れられたりしているのですが)これでは主人公の2人を好きになれない方がいても、致し方ないと思います。

そのほか、夢を追うための「努力」がほとんど描かれないことに難色を示す方もいるかも。
個人的には「あえて省いた」こととして納得はできました。

1人で観るのもおすすめ?

アカデミー賞で史上タイ記録の14部門のノミネートを果たし、すでに本国で大ヒットしている本作。
日本でも全国200館以上で公開され、上映回数も多いもののすでに各回で満席が相次ぐなど、歴史に残る特大ヒットをすることはほぼ間違いないでしょう。
デートでも、家族とでも、友達とでも、観る人を選ばない作品であるので、こりゃあもうオススメするしかありません。
(ただし、人生の酸いも甘いも経験したオトナのほうが、より感情移入できるかも)

また、個人的には本作は1人で観るのもけっこうおすすめです。
この映画にあるテーマは、1人で受け取って、その気持ちを「しまっておく」ことも、映画館を出た後に心地よい余韻を残してくれるでしょうから。

「1人◯◯」において、映画はもっともハードルの低い娯楽の1つでしょうし、本作で1人映画館デビューしてみるのもいいと思います。
2度目を観ると(それ以上でも)新しい発見ができる映画でもあるので、後で1人でリピート鑑賞するのもありですよ。

ラジオレビューを公開!

本作についてche bunbunさんに語ってもらったラジオレビューを公開しました!15分40秒ごろからネタバレです。
※録音ソフトの不具合で、チェ・ブンブンさんのトークにエコーがかかっています。ごめんなさい。

ラ・ラ・ランドの意味って?

タイトルのLa-La Landの意味についても触れておきましょう。大きくわけると、以下の2つになります。

  1. ロサンゼルス、特にハリウッド
  2. 陶酔、恍惚、我を忘れた状態

なぜ「ラ」なのかというと、「Los Angeles」の略語が 「LA」だから。
例えば「In la la land」 とすると「(長く住みすぎて)ロサンゼルスに染まった」という意味になるのだそうです。

しかし、この言葉には悪い意味も含んでいるそうです。
「我を忘れた状態→おとぎ話の主人公のように『夢見がち』だ」
というふうに、ロサンゼルス(ハリウッド)は誰もがスターに憧れて訪れる場所であるからこそ、皮肉っぽい言葉でもあるんですね。

このタイトルがどんな意味を持つのかは……映画の最後にわかることでしょう。

ともかく、これはもうオススメするしかありません。
この作品で体験できる感動は「映画館でこそ」。
「DVDでいいや」などと思わず、ぜひ劇場へ足を運んでください!

以下は結末を含めてネタバレです。鑑賞後にご覧ください↓

野暮な不満点

※気に入らなかったところを書いているので、映画の欠点なんか知りたくないよ!という方は読み飛ばしてください。

ミアはセブと映画を観る約束をしていたけど、その日に先約をしていた会食のことを忘れていた→しょうがなく会食のほうに行く→途中でスピーカーから(聞こえるはずのない)セブの弾いた曲が流れてきて、ミアは「ごめんなさい」とその場を去る→ミアは映画館のスクリーンのすぐ手前(しかも上映中)にやってくる→ミアとセブが映画館でキスをしようとする、という流れが、どうしても好きになれませんでした。

会食と映画をダブルブッキングしていたのはミアの落ち度であるし、たとえ謝っても会食を途中で抜け出すのは失礼極まりないですよね。
それだけならまだしも、スクリーンのすぐ前に立って出てくるミアは「(観客にとって)邪魔だよ!」としか思えませんでした。
(あと映画館でイチャつくカップルってやっぱりイヤだよ!映画を観ろよ!フィルムが燃えてイチャつきがキャンセルされたけど)

※この件について以下の意見をいただきました。
ミアがスクリーンの前に立つシーンなのですが、ジェームズディーンの「理由なき反抗」での冒頭ディーンが酔って猿の人形と遊んでいるシーンの際にミアはスクリーンの前に立っています。理由なき反抗の冒頭での猿の人形と遊んでいるディーン
は幼児的なことをする子供の象徴であると聞いたことがあります。ですのでこのシーンでのミアは地に足着いていない子供ということをスクリーンの前に立って体現しているのと感じました。

このミアがスクリーンの前に現れるのは、セブが言っていた「スクリーンで会おう」という皮肉が本当になった、というシーンではあるのですが……。
もう少し、ミアが反省したり、この行動が糾弾されるシーンがないと、どうにもモヤっとしてしまう、ミアのことが少し嫌いになってしまうのです(後でセブに「赤ん坊」と怒られるのも、この件とは関係ないですしね)。

また、この映画の全体に、過度に監督の保守的な音楽感が表れすぎている、実は映画をリスペクトしているのか疑わしい、大衆を「下に見ている」ような印象を持ってしまいました。
↓こちらの意見がとても的確だと思われますので、モヤっとした方はぜひお読みください。

↓自分もこちらに言語化してまとめてみました。
『ラ・ラ・ランド』を“好きになれない理由”を考えてみた | シネマズ by 松竹

オープニングの長回しがすごすぎる!

高速道路を借り切って撮影された、つぎつぎに車が人々が出てきて、軽やかに歌って踊るオープニングはもう最高!

しかも、よく見るとカットなし(切れ目がない)「長回し」なのです。実際は3ショットで撮られているのですが、全く「つなぎ目」がわかりません。
ちなみに、この時のライアン・ゴズリングの「仕事」は「クラクションを鳴らすことだけ」だったのだとか。でも鳴らし忘れるとやり直しなのでプレッシャーが半端なかったそうです(笑)。

で……このオープニングが一体何か、といえば、主人公の2人以外であっても、すべての人がミュージカルにできるような夢を持っている、ということを象徴していると思います。
高速道路で渋滞していても、実は大きな夢を秘めていて、「Another Day of Sun」に希望を見出している……そんな風に、すべての人を鼓舞するようなオープニングから、映画が始まっているのです。

演技だった!

ミアが涙ながらに電話をしている……というシーンでは、後ろから関係者が出てきて、それが「演技」であることがわかります。

だけど、映画観ている側は、これがオーディションであるとは明確に知らされていないので、このミアの電話が演技であるとは初めは気づかないようになっています。
※以下の意見をいただきました。
一つ疑問なのですが、感想の「演技だった」という章でミアが最初は演技だということに気づかないと書かれていますが、映画を見るとカメラでミアを映しているカットが入り、ミアの電話の演技が始まっているので前のシーンとのつながりからも、最初から演技をしていると分かるようになっていると思いました…

この「騙し」で示せているのは、観客が「本物」と勘違いしてしまうほどに、ミアの演技が優れていることです。
だけど、実際のミアは客とぶつかってコーヒーを服にこぼしてしまって散々で、オーディションの担当者はその演技を見ようとしていない(それどころか邪魔をしている)のですね。
ここから、「本当に優れているミアの演技がちゃんと評価されていない」という事実がしっかりとわかるようになっているのです。

別の私

セレブレティが集まるような派手なパーティに向かう前、ミアと女友達はカラフルな衣装に身を包んでいました。
その後のパーティでは、男女は抱き合い、プールに服を着たまま飛び込むなどの「楽しい」光景がありましたが……ミアは1人、「そんな誰かしか見ていない」「いつかどこかで別の私に会いたい」と歌っていました。

ミアは、女友達のような玉の輿に乗るようなことはいっさい考えておらず、「自分と価値観が同じ人」を探していたんですね。
その人物(セブ)に、彼女はすぐに会うことができます。

黄昏時

ピアニストのセブはバーの支配人と交渉をするものの、「ジングルベル」などのクリスマスにふさわしい曲しか認められませんでした。
(この支配人が、『セッション』の鬼教師ことJ・K・シモンズなのがまた……)

しかし……彼はどうしても、「自分の弾きたい曲」を演奏してしまい、解雇。その後にプールサイドで明らかにイヤイヤながらキーボードを弾いていました。
再会したミアとセブはお互いに嫌味をぶつけ合いますが、黄昏時(マジックアワー)の景色を観て、いっしょに踊りだします。

言っていることと、「胸踊る恋心」が芽生えたことがまったく違っているという、ツンデレっぽさを示すシーンでもありますね(笑)。

余談ですが、この前にミアが「たくさんあるプリウスの鍵」をセブに取ってもらおうとするシーンも秀逸ですね。
プリウスはみんな持っているので、高級に見せかけて「普通」な象徴。それでもミアは「緑のストラップ」をつけて「個性」を出そうとしていたんですね。

さらに余談ですが、ミアが「自分のことばかり語っている脚本家」との会話を明らかに嫌がっていることも笑ってしまいました。
ミアは「成功者」への嫉妬をしてしまうタイプなんだろうなあ……。

ジャズの本質

ミアが「ジャズは嫌い」という乱暴なもの言いをすると、セブはその夜にジャズバーに連れて行き、「ジャズはニューオーリンズで生まれた。言葉の通じない彼らのコミュニケーションの手段だったんだ」「ジャズは耳だけでなく目で楽しむんだ」「彼らの演奏は1回ごとに違っている、だからセッションはエキサイティングなんだよ!」と力説しまくります。
ああ、チャゼル監督が言いたかったのはこういうことなんだなあ……。

素晴らしいのは、この後にセブが「City Of Lights」を歌うシーンで、彼がシルクハットを拾い、黒人の老夫婦に届けることです。

この時、セブは夫人と踊っており、その後に老夫婦も手を取り合って踊るんですよね。
ジャズは、過去に「黒人音楽」として排斥する動きもあったんですよね。

しかもこの「City Of Lights」、後でミアとセブが2人で歌ったりもしているんですよね。
「音楽(ジャズ)はコミュニケーションの手段」というセブの言葉を体現したシーンでした。

若者が熱狂する音楽だけど……

『理由なき反抗』の劇中に出てきたグリフィス天文台で、2人は「天にも昇る心地」になり、その恋は成就します。

しかし……セブはせっかく誘ってくれたジャズ仲間が、電子音楽(エフェクター)を取り入れていることに怪訝な顔をしてしまいます。
セブは仲間から「ジャズは未来なんだ。過去を見ていてもしょうがない」と告げられ、昔ながらのジャズに固執するセブの価値観は「偏屈な厄介ものだ」と批判されました。

結果として作り上げられた「Start A Fire」の演奏は、若者に熱狂的な支持を得ることができました。

セブも観客に笑顔を送っていましたが、ミアは「若者が前にどんどん出て行く波」には乗れませんでした。

レコードは止まる

ミアは、「Start A Fire」の演奏について、「あなたはあの音楽が好きなの?」「私は好きだけど、あなたはそうじゃないかと思って」と聞いてしまいます。

ミアは、ただセブが好きな音楽を続けられることを望んでいる、だけどすでにセブは理想通りにはできないことがわかっている……。
セブは「大人になろう」と言い、彼らの気持ちはすれ違っていきました。

秀逸なのは、ここでセブがかけていた「レコード」の音楽が止まってしまうこと。
言うまでもないことですが、レコードは1枚ごとの収録時間が短く、取り替えたりしなければ次の曲は演奏されません。
そうした「昔の音楽が止まる」ことが、セブが古き良きジャズを諦めた姿と重なるようで……

オーブンに入れた料理が焦げて台無しになってしまうことも、修復不可能な彼らの関係を象徴しているようで、何とも切なくなってしまいました。

大人と赤ん坊

ミアは小さな劇場で芝居をしますが、楽屋では自分の悪評を聞いてしまい、実家に帰ってしまいます。

しかし、その演技を見たキャスティングディレクターは絶賛し、セブへ連絡を取ってくれました。
自信がなくなってたミアは、どこの誰かが言ったもわからない悪評だけで、夢を諦めてしまっていたのですね。

そんなミアは、「これでダメだったらもう立ち直れない」と消極的だったため、セブは「何だと?」「納得いく説明をしろ」「君は赤ん坊だ!」と激しく声を荒げます。
確かに、せっかくのチャンスを初めからダメだと決めつけているミアは、「大人」になったセブからしてみれば、赤ん坊と言われても仕方がないですね。

余談ですが、セブが雑誌のカメラマンに「音楽を止めて」「唇を噛んで」「ちょっとサングラスを下げて」「今度は弾いて」と、めちゃくちゃな要求をされるシーンにも笑ってしまいました。
これもセブが「大人になった」ことを示しているのですが……その時にセブが弾いたのも、あのバーで弾いて「しまった」あのメロディなんですよね……彼は大人になったけど、本当はまだ自分の望む音楽を弾きたいんだろうなあ。

物語

最後のオーディションで、ミアには「スポットライト」が当たり、自分の過去を語りつつも、「夢追い人に、どうか乾杯を」とも歌い上げました。

このオーディションでは、「実際の」ミアは自分の物語を語っているのでしょう。
だけど、その心のうちでは、これから夢破れるかもしれない自分を含め、すべての夢追い人に乾杯をしてほしい、という願いがあるのではないでしょうか。

ミアとセブは「黄昏時」に出会ったあの場所に戻りますが、今度は真昼間。まるで「夢から覚めたような光景」でした。
セブが「最低な風景だな」と言ったのは、これから心地よい夢を見るのではなく、「現実」の物語がこれからも続くからなのでしょうね。

なぜ「春」「夏」と言ったように「季節」が表示されるの?

そういえば、本作の作中では「春」「夏」と言ったような「季節」がテロップが表示されていました。
しかし、劇中ではずっと夏のようで、風景では「四季」を感じさせません。
それもそのはず、ロサンゼルスは日本の春や夏に似た、1年中暖かく過ごしやすい気候であるので、そもそも季節感がないところが舞台なのですから。

それでも「春」「夏」とテロップが表示されるのは……季節が主人公2人の気持ちを表しているからなのではないでしょうか。

オープニングからの「冬」では2人は寒々しい冬のように人生のどん底で。
「春」に2人は出会い。
「夏」に激しい恋に覚れ
「秋」にはすれ違いが起きて……

最後の「5年後」もまた「冬」なのですが、その時に映し出されたヤシの木が「ただの絵だった」という演出がありました。
この時に2人はともに夢を叶えているのですが、その実「心のどこかでは絵に描いたような空虚さがあった」のではないでしょうか。

夢をみていた

「セブス」という名のバーで、ミアとセブの2人は、「もしあの時から2人で一緒にいられて、すべての望むものを手に入れられたら」という夢を見ていました。

その夢は、現実ではバーで「最悪の出会い」をしたはずの瞬間から始まりました。
「キスをして抱き合う」という「最高の出会い」への「書き換え」がされるのです。

バーの支配人は「どうぞ」と2人を「夢の世界」の招待し、そこでは皆が幸せそうに踊り、ミアは劇場で満場での拍手をもらったり、おばのいるパリに行くこともできていました。

現実のミアは別の人と結婚して子どももいます。
だけど、「スクリーンの中」では、セブとの子どもを妊娠して、幸せそうにしていました。

その夢が終わると……。
最後に、セブは何かに頷き、ミアに笑顔を送りました。
ミアも笑顔を返し、そのまま静かに去っていきます。

セブが「1、2、3、4」とカウントをして、演奏を続けようとするシーンで、映画は幕を閉じました。

2人は「もっとこうしたかった」という夢をみていた。
だけど、現実は理想通りにはならなかった。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければいけなかった。

だけど、この瞬間だけは「夢をみていたかった」……。
2人は一緒にはなれなかったけど、ミアとセブのお互いへの愛情はこれからも続くのでしょう。
そのことが、あの「笑顔」に表れている……2人の想いが結集した、切なくも、見事なラストでした。

また、ミアは(オープニングと同様に)高速道路で渋滞に巻き込まれ、たまたま降りたところでセブのバーを発見しています。
この2人が笑顔で別れを告げるのは、まるで「運命」のようでもありました。

「夢をみていた(HERE’S TO FOOLS WHO DREAM)」というキャッチコピーは、まさに本作の物語そのもの。素晴らしかった!


※この記事はこちらの「キネマ旬報」を参考にしています。

Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate. (C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

publicShare

theatersタグ

chat_bubbleコメント

  1. うゆ より:

    初めまして、いつも感想見させて頂いております。
    私もララランドをまさにいま見たところで感想を拝見させて頂きました。
    一つ、ミアがスクリーンの前に立つシーンで。
    私も確かに「そこ立たれたら邪魔だよ!!」とは思いましたが、あの時点でミアはセブがどこに座ってるかわからなかった。だから仕方なく前に出て、セブの顔を探したのではないかと私は受け取りました。
    後ろからだとさすがにわからないし、だからと言って一人一人の顔を覗き込んで確認することもできなかった…という可能性もあるのかなと。

    • hinataka hinataka より:

      コメントありがとうございますー!

      >私も確かに「そこ立たれたら邪魔だよ!!」とは思いましたが、あの時点でミアはセブがどこに座ってるかわからなかった。だから仕方なく前に出て、セブの顔を探したのではないかと私は受け取りました。
      それもそうなんですよね……でも映画が好きなら、ほかの観客のこともかんがえてほしかったのです・・・

      • けん より:

        はじめまして。
        いつも楽しく拝見させて頂いております。
        ミアがスクリーンの前に立つシーンなのですが、ジェームズディーンの「理由なき反抗」での冒頭ディーンが酔って猿の人形と遊んでいるシーンの際にミアはスクリーンの前に立っています。理由なき反抗の冒頭での猿の人形と遊んでいるディーン
        は幼児的なことをする子供の象徴であると聞いたことがあります。ですのでこのシーンでのミアは地に足着いていない子供ということをスクリーンの前に立って体現しているのと感じました。
        的外れなことを書いていたら、すみません。

        • hinataka hinataka より:

          いつも楽しく読んでくださってありがとうございます!

          『理由なき反抗』は観たはずなのに、そのシーンをまったく覚えていませんでした・・・ありがとうございます。追記させてください。
          「君は赤ん坊だ」というセブの説教にも少しリンクしていますね。

  2. シオン=ソルト より:

    > しかし、この言葉には悪い意味も含んでいるそうです。

    あー、なるほど。

    本作はアラブでも、そのまま「ラ・ラ・ランド」というタイトルで公開されているのですが、アラビア語では「ラ」は否定詞なのです。
    原題ママとは言え、否定的な意味になるなぁ…と思っていたのですが、何となく納得した気持ちになりました。

  3. 都会 より:

    いつも楽しく拝見させていただいております。
    一つ疑問なのですが、感想の「演技だった」という章でミアが最初は演技だということに気づかないと書かれていますが、
    映画を見るとカメラでミアを映しているカットが入り、ミアの電話の演技が始まっているので前のシーンとのつながりからも、
    最初から演技をしていると分かるようになっていると思いました…多分…笑
    (リンクの動画を見ると演技から始まっているのですが…)

  4. あまなつ より:

    >ミアがセブと映画を観る約束を忘れて会食をする
    >映画を観る約束を忘れていたのはミアの落ち度であるし

    あの場面のミアはセブとの約束を忘れてないと思います。
    部屋で映画に行く準備をしている最中に彼氏?が入ってきて、「今日の夜は会食だよ。なんだ忘れてたのか?」と言われていたので、ミアはセブと映画に行くのが楽しみで彼氏とのディナーの約束を忘れていました。

    ディナーの最中終始つまらなそうな表情をしているのは、セブと映画に行く約束を破ってしまったことを後悔しているからだと思います。

    • hinataka hinataka より:

      ごめんなさい、忘れていたのは会食のほうですね・・・何度も間違えているな、自分。修正します。

  5. 毒親育ち より:

    >一言感想:夢をみていた(まさに)
    妄想でも現実でも、どちも二人の夢は叶っていて幸せなだけにモヤモヤします。

    >『セッション』のデイミアン・チャゼル監督による最新作です。
    良かった・・・ライアンとエマがJJJに「違う!そうじゃない!!」とか怒られて折檻されまくるようなお話じゃないくて!
    いえ・・・事前に「予告詐欺!」とかいう声も聞こえていたもので。
    う~~~ん!たーのしー!!だけど、ちょっと切ないミュージカル映画でした!
    チャゼル監督とゴズリングさんとシモンズさんが仲良く談笑していたらテラー君が現れて「へえ、その子は殴らないんだね?」とか言い出して周囲がザワザワしだす修羅場なアカデミー賞会場を想像してしまいお許しください!

    >監督が若干28歳にして作り上げたこの作品は世界中で大絶賛されたものの、音楽(ジャズ)に対する姿勢が偏狭的すぎて(そこが面白いところだけど)、
    >ジャズ演奏者をはじめ一部から批判の声が挙がったりもしていました。
    今回も描写に納得いかない人達がいて物議を醸しているそうですが・・・前回「わーい!たーのしー!」な大らかさがジャズの魅力みたいに言っていたのに、あんまり五月蠅く言うと何処かのクール(自称)な国の○○警察な人達みたいになっちゃいますよぉ・・・て、深夜に3%記録とディスク千枚売れたら大ヒット!と世界一の映画祭のノミネートでは「誤解」のスケールも比べ物になりませんか・・・。

    >色鮮やかな衣装や美術も、50年~60年代のミュージカル映画によく見られるテクニカラー(カラー映画の彩色技術)の再現だったりもします。
    てっきり20世紀が舞台だと思ったら「プリウス」や「スマートフォン」が出て来て混乱しました!

    >俺はこの音楽が好きなのに!
    >「主人公が愛する音楽をジャズではなくロックに変えろ」と求められて、苦い経験をしたのだとか。
    中盤のセブの境遇に『デトロイト・メタル・シティ』の根岸君を思い出してしまった私をお許しくださいジャズの神様とメタルの魔王様!

    >男主人公がバーの支配人に要求されても、やっぱり自分の好きな曲を演奏してしまい解雇される。
    絶対やるだろうな・・・と思いつつも「明日のパンの為に耐えろ!」と祈ってしまったブラック国家民でゴメンナサイ。

    >共演者のエピソードも反映されていた!
    個人的に黒歴史にして欲しくないですけどし、MJよりもグェン派として最高でしたけど!エマ・ストーンさんの代表作に打切りになった「アメイジング・スパイダーマン」を出し続ける日本の広告業界は・・・いえ、日本人が一番知ってる出演作だからなのでしょうけどさあ!

    >実は、これは男主人公を演じたライアン・ゴズリングがオーディションで泣く演技に挑むも、
    >キャスティングディレクターに電話に出られてしまい、「どうぞ、続けて」とマジで言われたという経験が元ネタなのです。
    本当に居るのかよ・・・流石に人としてどうかって以前に仕事人としてもどうかと思いますよ。

    >夢いっぱいの楽しい映画じゃないよ!
    フンダリケッタリ続きでチャンスが巡って来ても理想どおりには・・・な描写は切ないですよね。
    でもちょっとイジワルな人は出てくるけど「傷付けてやる」な悪意全開!でないのが救いでした。

    >ミュージカル映画の魅力が詰まりまくり!
    冒頭のハイウェイや2人が空を飛んでしまう所とかアニメチックで、口喧嘩はあっても暴力は無いし、子どもにも楽しく観てもらえそうだと思います。

    >すべての人生に、祝福を
    >壮大な「心の動き」はあるかを、「ミュージカル」という煌びやかな手法で描いてくれるのです。
    急に歌い踊りだしたり、空を飛んでしまったり・・・突飛な描写が自然に見えました。まさかに映画の魔法ですね!

    >ジャンルは違いますが、『映画 聲の形』もアニメーションならではの演出により、「大したことがないこと」を壮大に、感動的に魅せた作品でした。
    逆に本作はアニメのような描写を実写で自然に表現してくれたと思います!
    大入りの劇場はカップルばかりでしたが、若い人・・・特に小さな子達にも観て欲しいなあ。ファミリーの皆様「ど・ら・ら・らんど」も良いけど「ラ・ラ・ランド」にもようこそ!

    >ちょっと気になるポイントも……
    ミアの「ジャズ嫌い」発言にムっとするセブにちょっとオタクとして共感してしまったり。
    字幕だと「嫌い」でしたけど、セリフは「Hate」でしたから直訳すると「憎悪」てのは強く言い過ぎではと。英語で「嫌い」って、もっと適切な単語無いのかな・・・とモヤります。「憎悪」だと自分の周りから抹殺したい!くらいの強い敵意の籠った発言になってしまうような・・・。
    調べ見ると「Dislike」というのが有りましたけど。

    >1人で観るのもおすすめ?
    基本お一人様観賞です何が?べ、別に寂しくなんかないもん!
    てか、本当によく言われます「一人で観に行って恥ずかしくない?」って・・・。

    >ラ・ラ・ランドの意味って?
    なるほど!冒頭の歌と劇中歌にもそれが入ってましたね!

    >黄昏時
    >さらに余談ですが、ミアが「自分のことばかり語っている脚本家」との会話を明らかに嫌がっていることも笑ってしまいました。
    少し前に観た『愚行録』を思い出してしまいました。

    >ミアは「成功者」への嫉妬をしてしまうタイプなんだろうなあ……。
    でもコチラは楽しかった旅の思い出を語ってるだけで決して嫌みではないと思いました。
    海外旅行(リゾート)が趣味ではなさそうで興味も薄そうなミアを置いてけぼりにペラペラ話続けるのはどうかと思いましたけど。

    >若者が熱狂する音楽だけど……
    キースのバンド、私は好きです。コーラス隊やダンサーが出てくるライブは楽しくて行きたくなりました。キースはキースでジャズの未来を考えて頑張って結果を出している人で、セブにも誠意を持って自分のジャズを理解して欲しいと説得していましたし、何よりセブのピアノを本当に認めてくれているという感じが良かったです。

    >レコードは止まる
    >大人と赤ん坊
    >セブは「大人になろう」と言い、彼らの気持ちはすれ違っていきました。
    冒頭で「お見合い?」を勧める彼のお姉さんを思い出してしまいました。
    とりあえずキースのニュージャズバンドで成功を収めて、得た名声、資金、なによりファンを元にクラッシックジャズ復古を目指せば良いじゃない?と言いたくなりましたね。

    >セブが雑誌のカメラマンに「音楽を止めて」「唇を噛んで」「ちょっとサングラスを下げて」「今度は弾いて」と、めちゃくちゃな要求をされるシーンにも笑ってしまいました。
    このカメラマンもジャズには詳しくないでしょうけど決して馬鹿にしている訳でなく、雑誌を読んだ人が
    バンドに興味を持ってくれるよう考えて「大人の仕事」をしているだけなんですよね。
    ・・・どこかの国も映画業界もそうなんだろうか。とモヤってしまう私は赤ん坊でしょうか。

  6. ベースロボット より:

    はじめまして。LA LA LAND素晴らしい映画でした。
    「スクリーンの前に立つんじゃねえよ」問題ですが、
    仰られているように「次はスクリーンで会いたいね(皮肉)」の受けになっているのは当然ですが、
    何よりあれはあのエマストーンの顔に古い映画が掛かる画を撮りたかったんだと思います。
    まるで往年の銀幕大女優のような、スクリーンの中に溶け込んだような。
    すごくカッコいいビジュアルだと思いました。
    なにより暗い映画館で着飾った女性が想い人を探すって行為自体がすごくロマンティックですからね。
    それと直前の彼氏の兄弟?が言ってた「今の映画館は汚くて客のマナーが悪くて最低だ」みたいなことへのアンサーでもあると思います。
    カゲヒナタさんの思考には完全に反するでしょうが、チャゼルは映画館はおしゃべりしてキスしてもいい場所だと思ってるんじゃないかなと思いました。
    あのエリートは完全に悪役でしたからw
    この映画このレベルでかなり緻密に作られてると思いました。

コメントを残す

* が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。
メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。

著者

ヒナタカ

カテゴリ

文字から探す

レビュー点数で探す

extensionその他サイト

あわせて読みたい

この記事を読まれた方によく読まれている記事です。よろしければこちらもご一読下さい。

vertical_align_top