映画『海賊とよばれた男』狂気の選択の意味(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

映画『海賊とよばれた男』狂気の選択の意味(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

今日の映画感想は海賊とよばれた男です。

個人的お気に入り度:4/10

一言感想:ナンセンス!(山崎貴監督が)

あらすじ

1945年の敗戦直後の東京にて、石油会社・国岡商店を率いる国岡鐡造(岡田准一)は日本の復興ため、独自の行動力をもって事業を広げていった。
やがて欧米の石油メジャーは、国岡商店を排斥するため、その石油輸入ルートのすべてを封鎖してしまう。

『永遠の0』『寄生獣(2部作)』の山崎貴監督の最新作にして、同名の歴史経済小説を原作とた映画です。

劇中の会社のモデルは出光興産であり、実在する出光佐三の生涯を切り取ったエピソードもあるようです。

カネは二の次、社員を家族同然に扱い、日本の復興のために突き進む男のドラマは、確かに胸を打つものがありました。
作品そのものの志は高く、「知られざる男の一生を追った」物語としても存分に楽しめるでしょう。

しかし……本作は映画としてかなり多くの問題をはらんでいました。

山崎貴監督の悪癖が出過ぎ!

山崎監督は邦画のヒットメイカーの第一人者として名前があがる人物ですが、映画ファンからはあんまり歓迎されていないところがあります。
今回も残念ながら、以下の山崎貴監督らしい特徴……いや「悪癖」が存分に顔を出していました。

  1. 音楽がうるさい
  2. 生身の人間が言うはずもない不自然なセリフ(演技指導)が多い
  3. いろいろなことを良きこと「げ」に演出してしまう

1.はもう山崎監督のお家芸というほどに定着してしまっています。
『永遠の0』や『寄生獣』ではさほど気にならなかったのですが、今回は良さ「げ」な話が展開すると、感動的「げ」なバイオリンの伴奏がいちいちかぶさってくるのではっきりと煩わしさを感じてしまいました。
どちらかと言えば、山崎監督とタッグを組むことが多い音楽家・佐藤直紀の責任が大きいのかもしれません。

2.がかなり大きな問題で、生身の人間が言うはずもない「観客に説明するための」「あまりに演劇風な」セリフ回しのオンパレードになってしまっています。
登場人物が声を荒げて、感情を爆発させるようなシーンも多すぎです。オーバーな演技の連続になってしまうので、逆に感情移入が阻まれてしまいます。

3.は1.の音楽と絡んでくるポイントです。
主人公の国岡鐡造は人格者というだけでなく、若い頃から“海賊”と呼ばれてしまうほどの無茶な行動もしていますし、終盤ではある“狂気の選択”に迫られてしまいます。
そうであるのに、音楽は1.に挙げたようにすべてが良い話「げ」なものになっているのです。
実際は狂気をはらんだエピソードでも、単なる美談のように見せてしまうという演出と音楽は、逆効果なのではないでしょうか。
個々のエピソードは怖さも感じさせてちゃんとおもしろいのに、単なるイイ話っぽく演出してしまうので、すごく居心地が悪くなってしまうのです。

※このあたりについては、批判覚悟で以下にも書きました↓
『海賊とよばれた男』が“イイ話”ではない理由 | シネマズ by 松竹

というよりも、美談「げ」に見せてしまうことで、観客をアンビバレント(相反する要素が共存している)な気持ちに追い込んでくれないのが残念なんですよね。
「え?イイ話っぽいけど、相当ヒドい状況だよね?コレ?」っていう観客の感情を、この映画の演出および音楽が「イイ話」の1点に絞ってしまっているのが残念なのです。

主人公の行動は狂気的なところもあって、作中にはそのことを指摘する人物もいるのですから、やはり感動「げ」に一辺倒な演出はしてほしくなかったかったなあ……。

この音楽の使い方で思い出したのは、狂気のパパラッチを主人公にした映画『ナイトクローラー』でした。
どちらも(ほぼ)ブラック企業の社長が良さ「げ」なことを時に良さ「げ」な音楽がかかります。
『海賊とよばれた男』の良さげな音楽は悪い意味で「やめてくれ」と思いましたが、『ナイトクローラー』の良さげな音楽はいい意味で「やめてくれ」と思っいました。

あと、昔の日本の会社のキッツい仕事も良きことのようにして描いているところもあるので、「(ブラック企業に文句を言っているような)若いもんはこの映画を見習え」と宣う老害が出てこないことを祈ります。
原作小説ではちゃんとそこに冷静な批判を入れているので、百田尚樹さんをちょっと見直しました。

老け顔メイクがよくできているのに!

主人公役の岡田准一の老け顔メイクが素晴らしい出来なのですが、なぜ同年代の染谷将太を老け顔にしていないの?
染谷将太は20代のときも50代のときも変わらずお肌がツルツル。岡田准一のほうは青春時代と老年時代でしっかり見た目が変わっているので、違和感が半端ないです。

※こう思いました。

原作からの改変はそんなに悪くないかも

今回の映画版で上手くできていると感じたのは、原作から構成を変えて、主人公の現在の行動と、昔の青春時代のエピソードを同時並行して描いたことです。
原作にはいない(おそらく原作の「長谷川喜久雄」をアレンジした)染谷将太のキャラクターには重要な役割が与えられていますし、とある「写真」の演出にはハッとさせられるところもありました。
主人公の現妻の姿を見せなかったのも大正解。政治的すぎて映画として映えないであろうエピソードの取捨もできています。
総じて、2時間超の映画に納めるための工夫は十分に凝らされていました。

ただ、やはり詰め込みすぎである、各エピソードがぶつ切りすぎで(ダイジェスト感がありすぎて)盛り上がらない、というのは否定できない欠点です。
現在公開中の『聖の青春』は映画化に際して主人公の最期の数年のみを切り取っていたのですが、『海賊とよばれた男』は要所要所のエピソードを満遍なく抜き出していったという塩梅。エピソードを濃く描ける前者のほうが、映画としてはやはりおもしろいのです。

たとえば、映画で描かれた「ラジオ屋のエピソード」はそれ単体でおもしろいので大好きなのですが、「戦後日本を支えた男」という主題に対しては、「脇にそれた」話なんですよね。
やはり「映画化に際しての取捨選択」はベストとは言えない、というのが正直なところです。

でも山崎監督も学習しているよ!

全編にわたって「生身の人間はこんな言い方はしないよ!」とうんざりしてしまうシーンのオンパレードなのですが、山崎監督がそれを顧みていたようなシーンもあります。
登場人物の表情の変化をアップで見せて言葉で語り過ぎないところがあったり、うるさく喚き散らすだけじゃなくて静まり返るシーンでメリハリがついているのは感心しました(上から目線)。

そうであるのに、なんで音楽の使い方は前よりもさらに悪くなっちゃうんでしょうね。

いいところもあるのでちゃんと褒めよう

さんざんディスりましたが、テンポがよく各エピソードが展開するために2時間25分という長い上映時間でも飽きずに観られましたし、全体的にはそんなに悪い映画でもないと思います。
主演の岡田准一を始め役者陣がみんな熱演されていますし、巨大企業の圧力にも屈せず、類まれな情熱を持ち行動し続けた男の人生を垣間見られるというのは貴重な体験になるでしょう。

戦後の日本の支えた男がいたこと。彼がいなかったら今の日本の暮らしはなかったかもしれない。
そうしたことを思い起こさせてくれる作品でもあるのですから。

『永遠の0』でも思ったのですが、左翼だとか右翼だとかの一方的な主観が入らず、1人の男の生涯を(時には批判を交えて)中立的な視点で描いているのも好みです。

そういえば、「戦後すぐならではの(歪んだ)価値観」が顔を出しているのは、『この世界の片隅に』と共通していますね。
『この世界の片隅に』が気に入って、もう1つくらい「戦争もの」を観たいという方には存分におすすめします。

以下は結末を含めてネタバレです。鑑賞後にご覧ください↓

テロップでやりやがったな!(野暮な不満点)

えーとね、若いころの鐡造は石油の取引の約束を反故にされ、さらに妻のユキ(綾瀬はるか)に実家に帰られてしまうという悲劇が重なるんですね。
で、その直後、「国岡商店はその後にちゃんと満州に進出してうまくいきました」というテロップが流れました

テロップで解決すんじゃねえよ!
こういうのは老年時代のパートで誰かに一言だけ言わせりゃいいでしょうに。テロップがないほうがマシだったんじゃないかと思います。

フォローをしておくと、最後に鐡造を見送ったユキの笑顔と、少しの不安を見せる表情の変化をアップで見せていたのはよかったです。

事故を喜ぶ鐡造(野暮な不満点)

大寒波に見舞われた満州鉄道は、凍結してしまう油を使ったために車両燃焼事故を続発させてしまったので、鐡造のところに凍らない油の受注を知らせる電報を届けました。

原作では、鐡造はここで決して喜ばず、お世話になっていた満州鉄道の人々のことを想い、いたたまれない気持ちになっています。
だけど、映画の鐡造は長谷部(染谷将太)とともに電報に思いっきり喜んでいました

そういや、映画の鐡造はこの前に「(他者の油のせいで鉄道が)燃えなきゃ……困る!」ともほざいていましたね(これはいい意味で笑ったけど)。
ここは、ちゃんと原作の鐡造の性格をきっちり描いてほしかったな。

通訳の鈴木亮平(神配役)

通訳の武知に鈴木亮平を配役したのはいいですね!
実際に彼は英語がペラペラなので、そのスキルが発揮できたことがうれしいです。ガタイが良すぎてぜんぜん通訳に見えないけど。

とんでもない提案がされたときに、鐡造の憤りが伝わるように言い方を変えていたのもよかったですね。
だけど、鐡造が言った「ナンセンスだ!」を、鈴木亮平が「Nonsense」って冷静にそのまま伝えたのは笑いました。わざわざ言わなくていいだろ。

長谷部の死

この映画では「現在(60歳)の鐡造」と「青春時代の鐡造」の物語を同時並行で進めています。

現在では、戦争に行っていた店員たちが帰ってくるのですが……そこには、青春時代にいつも一緒に行動していたはずの長谷部(染谷将太)がいませんでした。
この事実と、鐡造の部屋に残された長谷部の写真を見せることで、「彼が死んでしまったこと」をその「(死んでしまう)瞬間」よりも前に提示しておくのは実に上手いものでした。

そして、鐡造には長谷部を戦地に追いやったために死なせたという負い目があるため、日章丸を撃沈されてしまう可能性があるのも関わらずアバダンに出向させるという決断が、より狂気的で、なおかつ鐡造にとって苦しいものであるかが伝わるようになっていました。

乞食にもならない

莫大な資金を援助してくれた木田(近藤正臣)は、「10年やってもあかんかったら、一緒に乞食になろうや」と鐡造に言ってくれていました。
60歳になった鐡造もまた、石油事業が上手くいかなかったら、店員と一緒に乞食でも始めるか、と言っていました。

しかし、日章丸がもし撃沈されたとしたら、鐡造は「生きてはいけない」と口にしていました。
事業が上手くいかなくても、鐡造は家族同然の社員がいれば乞食をしてでも生きようとは思う。
だけど、その家族を自分の決断のせいで死なせてしまうのでは、鐡造は絶望をしてしまうのです。
アバダンへの出向は、それほどの苦渋の選択だったのです。

ヒーローに見えてる?

日章丸の船長が、出発ギリギリまで船員に目的地がアバダンであることを知らせず、「戦場に赴くことになる」と告げるシーンがキツかった(褒め言葉)ですね……。
序盤のタンク底での作業で「戦争に比べればなんてことない」と言ったことにもゾッとしましたが、このときの「戦争で死に損なったんだから」と言う船員の言葉、「日本万歳」という言葉にも恐ろしさを感じました。

イランの人たちが喜んで日章丸を迎えてくれて、船員が「ヒーローにでも見えるんでしょうかね」と呟くのも皮肉的ですね。
個人的には、彼らはヒーローというよりも、「狂気の選択へ抗わなかった人々」に見えました。
もちろん、その航海がイランの人々と日本を救ったので、ヒーローには違いないのですけどね。

戦争が終わる

東雲(吉岡秀隆)は、鐡造の狂気の選択に「あんたは戦争にも行ったことがないくせに!」と憤りをあらわにしていました。
だけど、日章丸の帰還時には、東雲は「店主の戦争はようやく終わったんですね」と口にしています。

戦争に行った者が過酷なのはもちろんですが、「戦地に赴かせた」鐡造の心中も苦渋に満ちたものであったに違いありません(タンク底での過酷な作業をさせたことも同様でしょう)。

海賊だった男

鐡造は、91歳になってから、前妻のユキが自分の活躍をスクラップ記事にまとめていたこと、2人で撮った写真をその中に大切に取っていたことを知りました。
彼が最期に見たのは、店員たちとともに「海賊」のように小舟で漕ぎだしている自分の姿でした。

鐡造の行動は確かに海賊のように無茶なところがあったけど、店員たち(と実家に帰るまでのユキ)はただついてきてくれた。
そんな彼の人生が、最期に見たこの光景に重なっているのです。

(C)2016「海賊とよばれた男」製作委員会 (C)百田尚樹/講談社

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  1. 毒親育ち より:

    恥ずかしながら原作未読というか、本作のコミック版で国岡鐡造=出光佐三さんを知り、その極太人生に痺れまくっていました。
    しかし、映画版は予告の『山崎脳筋絶叫劇場』が豪華二時間半SPと聞き観賞意欲が急降下・・・ヒナタカさん始めレビューアの皆様も良い所を探してくださっているのですが、低評価で迷っていたのですが出光佐三さんへせめてもの恩返し!(会った事もないくせに)と突撃してきました。

    >一言感想:止めときゃよかった(心の血涙を流しつつ)
    現在、私的今年のワースト大賞を『グッドモーニングショー』とデッドヒートで競ってます。
    ・・・ボーディなんて実在しないし、現実のEXスポーツアスリートの皆さんはエコテロなんかしてない『Ⅹミッション』なんてカワイイもんやった。

    >山崎貴監督の悪癖が出過ぎ!
    国岡鐡造(出光佐三)というキャラクターと国岡商店の魅力を台無しにしてくれやがりました・・・。
    >老け顔メイクがよくできているのに!
    このメイクと岡田准一さんだけが本作唯一の救いでした。この顔でコミック版の内に熱い火を灯した漢を演じてくれたら・・・数回リピートしてディスクも買ってるよ!

    >現在公開中の『聖の青春』
    こっちは同じ実在人物が主人公で、クズな所もしっかり描いてなおかつ、生前多くの関係者に愛された憎めない人間的魅力を再現出来ていたのに・・・。

    >原作からの改変はそんなに悪くないかも
    >「ラジオ屋のエピソード」
    ピエール瀧さんが戦時中は媚び諂う側だったろう銀行に平身低頭して融資をお願いして回る所が凄く好きでした。
    戦前、戦中、戦後の三部作くらいにして欲しかったです。

    >テロップでやりやがったな!(野暮な不満点)
    ハハハ・・・野暮どころか激怒してます!メジャーに品質で勝った「2号冬候車軸油」こそ省いてどうすんだよザキヤマァァァッ!?

    >事故を喜ぶ鐡造(野暮な不満点)
    もう・・・その場に山崎監督が居たら胸倉掴んでガックンガックンゆさぶってしまうそうです!

    >通訳の鈴木亮平(神配役)
    ホントになんでも演るし出来る人やわぁ~!

    >ヒーローに見えてる?
    三回目の激怒ポイントでした。あの~・・・ナニを国岡商店(日本)がイランを救ったような展開になってんの?あれは誰も買ってくれない産油国と誰も石油を卸してくれない商店とが出会った。権力、財力、暴力の三本柱持ったイジメっこ(石油メジャーと大英帝国)とそれに屈服したクラス(世界)の中で抗い続けたイジメられっこ同士が手を組んで勝利したって事では・・・。
    資源を輸入に依存する国でなんですか、この上から目線。出光佐三さんだけでなくイランの人達にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

    >序盤のタンク底での作業で「戦争に比べればなんてことない」
    コミック版では「戦場の方がマシ」でしたね。劇中で石統役員も言っていましたが「物資不足」で負けた戦争で「欲しがりません!勝つまでは!!」の軍が手を付けなかった代物で、誰もが当座を凌ぐ仕事を欲していた時代に求人が集まらない過酷さですし。
    余談ですが「ここでは弾も飛んでこないし爆弾も落ちてこない」と言っていましたが、南方の戦場では敵の攻撃よりも飢えと疫病が辛かったそうですけど・・・。

    >、「(ブラック企業に文句を言っているような)若いもんはこの映画を見習え」と宣う老害が出てこないことを祈ります。
    怒涛の勢いでカウンターを返せますが、「あなたは国岡鐡造=出光佐三さん程社員を大切にしているんですか?」の一言で十分ですね。

    余談ですが、一部で本作を「ブラック企業のプロパガンダ」という声も散見し(この映画版に限って言えばそうかもしれませんけども)そちらも疑問を感じます。
    「人は一人で生きては行けない」と言いますが、それは「寄る辺」が有るかどうかだと思いますそれは家族だったり会社だったり国家だったりします。
    社会人ではありませんでしたが、私は一応あの「バブル時代」を経験しています。あの当時ですら平均よりも貧乏な家庭に育ちましたが、それでもあの頃と平成の労働環境には違和感を感じています。
    昭和では勤め先は家庭と並ぶ寄る辺でした。会社を解雇される事は自身への社会からの否定、健康で文化的な最低限度の生活からの脱落・・・引いては死にすら直結する事態でした。
    それは国家と国民が全てを失った戦後なら尚更です。当時、寄る辺は失くした者に待つのは野垂れ死にか強盗かの二択でした。同じ戦後の生活を描いた名作を思い出してみましょう。
    『ほたるの墓』の清太はプライドを優先し親戚という寄る辺を飛び出した結果、過酷な運命に幼い妹すら巻き込み悲惨な最期を迎えました。
    『はだしのゲン』で隆太達は元と出会い「中岡家」という寄る辺を築かなかったら、犯罪者として何処までも堕ちていたでしょう。
    海外で命懸けで築いた全てを失い。焼け野原の故郷に帰って来た国岡商店員達の中には「家族」という寄る辺を喪った人達も大勢居た事でしょう。天涯孤独なった身で焼け野原に残った国岡会館を見つけたとき、店主に「ここに居てもいいんだよ」と言って貰えたときの気持ちを想像すると目頭が熱くなります。そんな店員達も「ここ(国岡商店)を守りたい」と心から思えたでしょう。

    資本主義社会では経済活動が生活に直結します。
    昭和の時代は寝食を削ってでも働けば働く程収入は増え、引いては社会も発展し、自分の労働はそれに貢献しているという充実感も持てました。
    しかし平成はどうでしょう。経営者に寝食を削ってでも労働奉仕を求められ、働けば働く程に生活は苦しくなり、昇給や余暇など贅沢とされ、会社が無くなれば社員が路頭に迷うどころか会社の利益のために社員を使い潰して捨て、路頭に迷わせています。「働かなければ負け」だった昭和から「働いたら負け」を通り越して「働いたら死ぬ」そんな平成を作った老害どもが自身を国岡鐡造のようだとし、「オマエ達も国岡商店員のようになれ!」などと寝言を言い出したら、出光佐三さんに祟られてしまえ!と言いたいです。

    総じて『出光佐三物語』は百田尚樹と山崎貴のような雑な人に任せちゃいけなかったと思います。なら誰が良かったかな・・・とモヤります。

  2. ウォークベェース より:

    ローグワンはレビューするんですか?

  3. NL より:

    海軍タンクのところで鉄造が社員を労って抱きしめるシーンがありますが「店主!服が汚れます」「汚れたら洗えばいい」みたいなやりとりをしていて、その後、社員に混じって作業をするシーンもあるのに、鉄造のワイシャツは最後まで真っ白なんですよね。CGがすごくても、そういうディテールが全体に薄っぺらくて、劇映画というよりは再現ドラマのように見えてしまいました

  4. […] 山崎貴監督の悪癖が出まくった『海賊とよばれた男』 あたりですね。 […]

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ヒナタカ

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