今日の映画感想は『淵に立つ』です。
個人的お気に入り度:9/10
一言感想:めっちゃイヤな気分になる(褒め言葉)、傑作家族映画
あらすじ
小さな金属加工工場を営む鈴岡利雄(古舘寛治)は、妻の章江(筒井真理子)、10歳の娘である蛍(篠川桃音)とともに、平穏な毎日を送っていた。
ある日、利雄の知人で、最近まで服役していた八坂草太郎(浅野忠信)という男が現れる。八坂はこの工場で泊まり込みで働くことになるが……。
できれば、本作はまったく予備知識なく観てほしいです。
↑には予告編を貼っちゃいましたが、これすら観なくても(観ないほうが)いい!
ともかく、観ればいいんです!その衝撃と、スクリーンに目が釘付けになるおもしろさをわかっていただけると思うので!
以下の上映劇場を確認したら、いいからそのまま劇場へ行け!
<劇場情報>
計算され尽くした脚本と役者の怪演に酔いしれよう!
さてさて、本当はこれだけで終わっていいんですが、もうちょい語りましょう。
本作は『ほとりの朔子』『さようなら』の深田晃司監督最新作。
自分は初めて深田作品に触れましたが、「影」を重視した絵作り、その全編に漂うイヤ〜な空気(褒めています)には(心が)やられました。
観終わってみれば、「あのセリフもあのセリフもこんなにも意味がある!」といくつもいくつもに気付けるほど、論理的に脚本が構築されていることがわかります。
「細部まで計算し尽くされた脚本の妙」を期待する人は、絶対に観るべきでしょう。
役者もすべからく素晴らしいのですが、特にその「得体の知れなさ」「帯びている謎」をとことん示す浅野忠信、疲弊していく妻を演じた筒井真理子は賞を5個くらいあげても誰も異論はないレベルです。

主要登場人物はわずか5人、舞台もどこでもありそうな片田舎に限定、CGも特殊効果もなんにもない低予算映画です。
しかし、登場人物の内面はおそろしく揺れ動いていることが、これでもかと伝わる、並々ならぬ人間ドラマが生まれていました。
ええい!あとはネタバレなしではなんも言えねえ!とにかく観てよ!
とにかくいや〜な気分になれる&ネタバレ厳禁な映画としては、最近では『葛城事件』や『ゴーン・ガール』と同等、いや、それ以上でした。
あえて気になる点を挙げるのであれば、三浦貴大がせっかく出演しているのに、その役の意味がほぼない、それどころか画面にほとんど姿を見せないことでしょうか。
公式サイトの人物紹介に載っているのにオミットされているのは気の毒だなあ……まあ物語を主要登場人物に絞る上で必要だったのでしょうけどね(こう言うとひどいな)。
でもほかに欠点はないと言えるほど。
イヤすぎる(褒めています)家族の物語としては、完璧と言える仕上がりです。
『真田十勇士』など、「どーだこのどんでん返しにびっくりしたかー話の整合性とか気にすんな!」な作品にうんざりしている方は絶対に観ましょう。
本当に訪れる「驚き」「気づき」とは、すべてが計算し尽くされた上に成り立つんだ!大げさに演出する必要はないんだ!
その衝撃のラストの自分の心境をネタバレせずに言うと、「え?え?それだけはやめてそこで終わらないで?ホ、ホ、ホ、ホァアアアアアアーその演出はやめれ!!!!うっぎょおおああああああ終わったーーー!いままでのあれもこれも考えるとぎょええええええ!」という感じです(伝わらない)。
わかったか!すぐに劇場に行け!(2回目)
なお、『淵に立つ』というタイトルは、「崖の淵に立ち、人間の心の奥底の暗闇をじっと凝視するような作品になって欲しい」という監督の願いからつけられたものだです。
そんなものを見たくないと思う人もいるでしょうが、やはり人間はこれを「おもしろい」と思ってしまうものです。
そうして心の闇を見ようとすることで、わかることもあるはず。これは、映画でしかなし得ない体験でしょう。
ほがらかな家族の物語ではありません。ジャンルはほぼホラーと言ってもいい映画です。
覚悟して、劇場に足を運ぶことをオススメします!
以下、結末も含めてネタバレです 観ていない人は絶対に読まないで!傑作なんだから!↓
八坂の罪、そして約束
八坂は自身を「約束を死んでも守ろうとする、独善的な人間です」と語っていました。
彼は、自身の「4つの罪」を、以下のように続けて話します。
- 約束を命よりも大切に守ろうとしたこと
- その価値観が、当然他人にも当てはまると考えたこと
- 私は絶対に間違っていないという「正しさ」を頑なに信じたこと
- そういったゆがんだ価値観を根拠に、人を殺めたこと
八坂自身は「罪」と言っていますが……これは八坂が異常なまでに「約束」ということを重視していたことを示しています。
作中ではその殺人の内容が明確に描かれませんでしたが、八坂は殺人の時に、なんらかの「約束」を、共犯者の利雄と交わしたのではないでしょうか。
利雄が八坂を、いきなり家に住まわせることをよしとしたのも、ただ罪を1人でかぶってもらったという義理だけでなく、「出所後に面倒を見る」という約束をしたからなのではないでしょうか。
それでも……利雄はどこかで、八坂との約束を簡単に破っていたのかもしれません。
そういえば、利雄は八坂の出所に迎えにも行きませんでした。これがもし、「約束」だとしたら……。
八坂が河原でいきなり態度を豹変させ、
「お前は本当に小せえヤツだな。俺がク◯みたいな生活をしている時、お前はセックスまでして子どもを作ってよ。何でこの生活が俺じゃねえのかって思うよ」
と言ったのは、11年の長い刑務所生活のせいで心がゆがんだだけではなく、「利雄がどこかで約束をやぶったせい」に思えるのです。
また、八坂が小学生の女の子にまで敬語で話し、お風呂上りにすぐ服を着ることができず、ご飯を早食いしてしまう(刑務所では食べる時間が決められているから)、ほど「刑務所生活のクセが抜けない」のも怖かった……。
そうして行動を制限され続けていた事実も、章江への性的欲望、そして利雄の大切なもの(娘の蛍)を壊してしまうことにつながったのでしょう。

でも……八坂にとって、章江とのふれあいは「自分も家族を作って幸せに暮らしたい」という、純粋な気持ちによるものであったのかもしれません。
八坂は利雄にも「俺は静かに生きられればそれでいいんだよ」と言っていましたしね。
もう1人の殺人者(?)
恐ろしいのは、八坂の息子である孝司が、寝たきりになった母のことを語ったときのことです。
彼は、母が章江と同じように潔癖症になっていたこと、プライドの高い母が「殺してくれ」と言っていたことを語っていたのですが、その話の顛末を言っていない!
孝司は、意思の疎通ができなくなってしまった蛍にイヤリングをあげたり、利雄から教わったことを勤勉にメモを取っていたりと、父とは似ていない、まともな青年にも見えました。
しかし、彼もまた(実の母を殺した)殺人者だとしたら……
孝司自身は「蛍ちゃんは章江さんに感謝しています」と言っていたけど、本心では、蛍も死ぬべきだと願っていたのかも……
ひょっとすると、「ちょっと触れただけです!」と言っていたのも、本当は蛍の首に手をかけていたのかも……
彼の真意は、誰にもわかりません。
母グモの話と、2種類の信仰心
序盤も序盤、章江と蛍と利雄は「自身の体を子どもにあげてしまう母グモ」の話をしていました。
章江は「母グモは天国に行ける」と、母グモの自己犠牲を尊く思っていました。
蛍は「子どものクモは天国に行けないよ、食べちゃったんだから」と、子どものクモの罪を重く考えていました。
そうであったのに……ラストは章江が、蛍と心中をしようとするものだった!
章江は敬虔なプロテスタントで、自殺は禁忌のはずであるのに!
蛍は子どもが母(母クモ)を犠牲にしてまで生きることを罪だと思っていたはずなのに!
しかも、章江は母グモの自己犠牲を肯定していたはずのに、その自身が娘を殺そうとする……これほどの悲劇があるでしょうか。
また、八坂は宗教(信仰心)には2種類あると語っていました。
- サル型の宗教……子ども(信仰する人間)が、自分から親(神様)にしがみつく
- ネコ型の宗教……親(神様)に、子ども(信仰する人間)が首根っこをくわえられる
章江は「私はけっこう神様にしがみついていると思ったけどな〜」と言っていましたが……本当は、章江は八坂の言うように、ネコ型の信仰心しか持ち合わせていなかったのでしょう。
娘とともに自殺をしようとする彼女にとって、信仰は無意味極まりないものだったのでしょうから。
また、家族の中で利雄だけは、食事の時お祈りの言葉を告げていませんでしたね。
それも「信仰心に意味はない」を示しているようで、皮肉的です。
生きる選択(ラストシーン)
ラストでは、利雄が水辺で倒れた3人の「誰の心肺蘇生をするか」に迫られます。
利雄は、少しだけ章江も、孝司も助けようとしていたけど、最後には蛍ばかりに心肺蘇生を繰り返しました。
それはなぜか、蛍だけが唯一「生きたいと願っている」希望があったからでしょう。
章江は娘・蛍ととともに心中をしようとしていた。
孝司は、八坂の目の前であんたを殺すと言った章江に「いいっすよ、殺しても。それで気がすむなら」と言っていた。
蛍だけが、(孝司がベッドのそばで章江に話したように)生きたいと願っているのかもしれないのです。
しかも利雄は、体が動かないはずの蛍が、自分の力で海面に泳いでいく姿を見ていました。
(実際は、河原に横たわる孝司が助けたはずなのですが)
利雄にとってもまた、蛍だけが自分の希望なのでしょう。
しかし、その選択が正しいとは、誰にも言えません。
映画のラストシーンで暗転し、真っ黒になってしまうというのも、彼の選択が「盲目的」であることを示しているようです。
そういえば、4人は八坂と思しき人物に会えそうだったのに……利雄は「道を間違えました」と言い、みんなでその場をすぐに去っていました(この人物は八坂と同じワイシャツ姿でしたが、顔が見えず、八坂本人であったかどうかはわかりません)。
この「道を間違えました」というのも、利雄が(殺人のことも含め)「選択を誤ってしまう人間」に思えてしまう……めっちゃイヤな気分になるよ!(褒めています)
並び順
4人の登場人物は、8年前の河原と、ラストにおいて、以下の並び順で横たわっていました。

注目すべきは、利雄と蛍はそのままなのに、「1」の位置は章江→孝司、「4」の位置は八坂→章江と変わっている、といういうこと。
おそらく、「4」にいるのは、家族に何かしらの「害」を与える人物なのでしょう。
「1」にいるのは、「何も知らなかったら、幸せになっていたはず」の人物なのでしょう。

……そうとばかりは、限りませんけどね。
(c)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS
chat_bubbleコメント
移転後のコメントは初になりますね。遅くなりましたが移転おめでとうございます。
今日見てきましたが、本当に2時間舌が乾きっ放しでしたw
今年また日本映画の新たなる金字塔を目の当たりにした気がします。
ある加害者家族を通じて家族と言う呪縛をねちっこく(褒めてます)描いていた「葛城事件」
実際の極悪な誘拐事件を通じてやはり父親と言う絶対支配とそれに翻弄される家族を描いた「エル・クラン」と見てきましたが
本作はテーマは上の2作品ととても似ていますが、根本で決定的に違う箇所がありました。
それは父親と言う存在が支配的でも能動的でもない、極めて「消極的」であった事です。
父親である利雄は序盤からプロテスタントの妻である章江と愛娘の蛍と決定的に距離がありました。
冒頭の何でもない…はずの食事シーンがそれを暗示しています。食事前にお祈りする2人を尻目に
無造作に飯を喉に入れる作業を行う利雄…
全く美味そうに見えない食卓は「冷たい熱帯魚」「葛城事件」にもありますが
別に「冷たい熱帯魚」のようにあからさまに手抜きな食事でも「葛城事件」のように誰がどう見てもギスギスしてる…と言う訳でもないんです。
本当に普通の食卓に一見は見えるからこそ、このシーンは凄まじく恐ろしく感じますし
このシーンがこの後起こる悲劇を暗示しているのも皮肉だなあ…と感じました。
後皆さん仰有ってる事ですが、中盤以降の娘の蛍の無惨すぎる姿には口あんぐりでした…(これは是非情報頭に入れずに劇場で見て欲しい)
てっきり「遺影とかかな…」くらいに思っていたので
文字通り利雄以下鈴岡一家は「死より辛い」目に逢う事になるわけですが
元を辿れば八坂の暴挙も彼が『勝手に』信じていた約束、そして利雄が『勝手に』無いものと思っていた約束を
無下にされた事が発端なんだよな…と思うとそれだけでブルーな気分になりますw
役者陣は全員ハマっていましたし何と言っても利雄役の古舘寛治氏はもう素晴らしいの一言!
弱々しく翻弄されっ放しなのにどこか傍観者のように振る舞い
最期は文字通り全てを失ってしまうあの絶望そのものと言っていいラストは必見以外の何物でもありません。
とにかくこの映画は一人でも多くの人に見て欲しいですし僕もあと何回かは見たいですね。
誰かとこの映画はいくらでも語れる自信があります!w
真相がはっきりとは語られないだけに様々な解釈が可能な非常に懐の深い作品でした。
僕が印象に残ったのは八坂がツナギの下に着ていたTシャツ・モミジアオイ・蛍のドレス等々、八坂の暗い欲望が発露する場面で必ず赤い色が出てくるところです。
もしかしたら孝司が赤い色のバッグを愛用しているのも「本質的には父親の八坂と変わらない」ということを暗示しているのかもしれませんね。
いわゆる「植物人間」とは大脳の機能を失って昏睡状態にある患者をさす表現なので、脳に障害が残ったとはいえ感情表現のできる蛍のことは植物人間とは呼べないかと思います。
みなさんコメントありがとうございます。
嫌な食事シーンのある邦画は傑作ばかりだな・・・赤い色のバッグは気付かなかった・・・
>いわゆる「植物人間」とは大脳の機能を失って昏睡状態にある患者をさす表現なので、脳に障害が残ったとはいえ感情表現のできる蛍のことは植物人間とは呼べないかと思います。
ご指摘感謝です。修正します。
冒頭のタイトルが出る時のメトロノームと
ラストシーンは繋がってますよね
どういう意図だったのでしょう
[…] 6位 淵に立つ […]
>そういえば、4人は八坂と思しき人物に会えそうだったのに……利雄は「道を間違えました」と言い、みんなでその場をすぐに去っていました(この人物は八坂と同じワイシャツ姿でしたが、顔が見えず、八坂本人であったかどうかはわかりません)。
このシーンでは、はっきり八坂でないことが描かれていますよ。顔も写っています。
上の人も言っていますが、興信所の持ってきた情報は結局八坂ではなく別の人物だった。
劇中で語られている八坂を見つけた場合の彼らの行動は
父親・・・あの時何があったのかを聞く
母親・・・彼を探すのをもう止めたい(→見つけたら彼の目の前で息子を殺したい)
ラストの娘を蘇生の件は私はそうは思いませんでした。
水中で一目散に助けたのは「妻」でした。
その前、彼が殺人を告白するシーンで、彼は「蛍があんなことになって俺たちは夫婦になった」と言っており、8年前の事件後、彼にとっての妻の存在がいかに大きなものになったのかがわかります。
彼女を担ぎあげた後、やや動いている彼女が描かれているため、彼は妻の「生」を確認しています。
次に彼が助けようとしたのは八坂の息子でした。
必死に名前を呼び、鼓動を確認し、彼が助からないことを悟った後、娘を懸命に蘇生させようとします。
そして暗転します。