『湯を沸かすほどの熱い愛』死ぬ行く者と、残される者の強さ(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

『湯を沸かすほどの熱い愛』死ぬ行く者と、残される者の強さ(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

公開から3週間近く過ぎちゃいましたが、湯を沸かすほどの熱い愛の感想です。

個人的お気に入り度:8/10

一言感想:監督の変態性が気になるけど、超絶技巧の脚本に感動!

あらすじ

地域の人々に愛されていた銭湯・幸の湯は、1年前から閉まったままになっていた。
かつてその幸の湯を切り盛りしていた双葉(宮沢りえ)は、末期ガンを告知されてしまったため、娘の安澄(杉咲花)のいじめの解決など、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようとする。
双葉は、1年前に蒸発した夫の一浩(オダギリジョー)にも会いに行くのだが……。

最近の映画界は余命宣告ラッシュらしく、恐ろしいことに本作『湯を沸かすほどの熱い愛』と『バースデーカード』と『ボクの妻と結婚してください』という余命を宣告される系の映画が、現在公開中だったりします。
ついでに『デスノート LNW』でも余命を宣告しまくるし、今週末には余命わずかな将棋棋士の生涯を描いた『聖の青春』も公開されるし……とても偶然とは思えませんね。

このジャンルだとどうしても、「ケータイ小説」というだいたいアレだった作品群を思い出してしまうのですが……本作は単なる「死んじゃってかわいそう」なお涙ちょうだいになっていない、極めて誠実に作られたヒューマンドラマになっていました。

中野量太監督作品を振り返ってみると……

本作を解説する前に、中野量太監督・脚本の過去の4作品を振り返ってみます。

お兄チャンは戦場に行った!?

引きこもりの青年が、東京で1人暮らしをしている妹のところに来て、戦場カメラマンになるからお守りとしての陰毛が欲しいと頼む話です。
何を言っているのかわからないと思いますが、そういう物語なんだから仕方がない。

沈まない3つの家

両親が離婚してしまう姉妹と、叔父を見舞い続ける少女と、もう1つの、計3つの家族が織りなす群像劇です。
少女は死期が迫っている叔父に、太ももを触らせてあげたりもします。
お人好しすぎるコンビニの店長がいいキャラをしていました。

チチを撮りに

DVD化もされている長編作品。母が「腹いせ」のために、父の写真を撮ることを、娘に強要させるという話です。
女の子が河原で靴下を脱ぐシーンに監督のフェティシズムを感じました。
ラストはかなり衝撃的です。

琥珀色のキラキラ

『チチを撮りに』のDVDに収録されている短編作品。中学校で検尿を提出するシーンから物語が始まります。
その後も検尿を中心に話が動く!タイトルの「琥珀色」とはおしっこの色のことなんですね!(それだけじゃないけど)

えーと以上4作品を超ざっくりと紹介しましたが、お分かりいただけましたでしょうか?中野量太監督は変態なんです

でも、常々思っていることなんですが、世のクリエイターに対する「変態」「あたまおかしい」は褒め言葉でもあったりもしますよね。
日本映画界における変態四天王は三池崇史、岩井俊二、大林宣彦、中野量太に認定しましょう(勝手)。

なお、『湯を沸かすほどの熱い愛』の劇中で、主人公が探偵の男のヒゲをいきなり抜くという特に意味のないシーンがありましたが、あれはおそらく『お兄チャンは戦場に行った!?』で陰毛を抜いたシーンのセルフオマージュです。それどれだけの人に通じるんだよ!

※ちなみに『お兄チャンは戦場に行った!?』と『沈まない3つの家』はソフト化されておらず、名古屋の映画館「シアターカフェ」特集上映で鑑賞しました。

中野亮太監督の共通点

以上の4作品と、本作『湯を沸かすほどの熱い愛』を観て、中野亮太監督・脚本作品の多くには、以下の共通点があることに気づきました。

  1. 家族の関係を描いている
  2. 誰かの「死」が描かれる
  3. 誰かの「死」の経験から、残された人が乗り越えていく
  4. 少女に対して合法的に変態的なことをする
  5. 何気ないことが伏線としてしっかり機能している

ええと、4.のことはひとまず置いておいて、1.~3.の要素がとても重要です。
これらは、中野量太監督自身が母子家庭であり、不思議な家族の中で育ったことが反映されているそうです。
中野監督は、兄弟のように仲の良かったいとこも多かったことから、若い頃から葬式や火葬場にもよく行っていたのだとか。

こうした監督の経験が作品に表れているのは、「自分の中から嘘の感情をつくりたくない」ということが理由なのだそうです。
監督は多くの親戚の死を観てきたうえ、不思議な家庭で育ったけど、それでも幸せだった……。
そのような監督の生き方や価値観が、作品の中に詰まっているのです。

そして、本作『湯を沸かすほどの熱い愛』は中野監督の作家性が全部盛り。もはや過剰とも思えるくらいに、中野監督節が炸裂していました。

「いままでの監督作品の魅力が満載!」、しかも「しっかりチューニングされた完成度の高い作品になっている!」という感動は、『君の名は。』にも匹敵していました。

主人公が好きになれない?

本作の世間的な評価は、8割が絶賛、しかし受け入れられないほども2割ほどいる、という具合です。

批判意見に多いのは「主人公が好きになれない」ということでした。
というのも、主人公は苦しんでいる人に向けて、あえて「試練」を与えるようなことばかりをしているからです。

しかし、自分はこのことに重要な意味があると考えました。
余命が宣告されたため、あの行動をせざるを得なかったと納得できたからです。

余命宣告前の、スポーツブラジャーやいじめられた娘へかけた言葉など、ちょっとしたことで、主人公がどういう性格であり、どのような気持ちであるかが、しっかり理解できるようなつくりになっていました。

気になる監督の変態性

本作でどうしても気になったのは、前述の監督の変態性が、悪い方向に働いてしまったと感じたことでした。

たとえば、9歳の女の子の前でラブホテルの話をしようとして、それを誰もツッコまないというシーンがあるんです。
しかもこの女の子、「それでそれで?」とその性的な話を、興味津々に聞こうとしているんですよ。
いっしょに聞いているもう1人の女の子はもう高校生なのでまだいいけど、9歳の女の子にその話をしようとするのは……ちょっと受け入れられません。

ネタバレになるので詳しくは↓に書きますが、あの「パンツ」のシーンも悪い意味でドン引きしました。
監督は自分の変態性を、おそらく変態だと認識していないよなあ……

決してお涙ちょうだいな作品ではない!

先にも書きましたが、本作は「死んじゃってかわいそう」な「お涙ちょうだい」な作品ではありません。

死を宣告された主人公が「残された人のことを考えて、一心不乱に行動する」という物語を通じて、「人間が生きる」というたくましさを描いているのですから。
奇妙なことに、「死」を意識するからこそ、人間は生きる気力が湧くのかもしれませんね。

また、本作は「泣かない」ことを美徳としているところもあります。
さめざめと泣いて悲しむのではなく、強くあろうとすること……ここにもたくましさを感じました。

そして、本作の脚本の上手さにはとんでもないものがあります。
説明はなくとも、ほんのちょっとだけのセリフでキャラクターのことがよくわかります。
思いもよらないものが伏線として機能したり、はたまた予想の斜め上を狙った「外し」もあります。
オリジナル脚本による映画として、ここまでの物語を完成させたことは、賞賛するしかありません。

豪華キャストの魅力も半端ないことになっています。
脚本に惚れ込んだという主役の宮沢りえはもちろん、ダメ男が板についてきたオダギリジョー、フレッシュな魅力に溢れた杉咲花、若干11歳にして風格のある伊東蒼、少し影のある役の松坂桃李、やさしさをにじませている駿河太郎……みんなが大好きでした。
彼らが「家族」として頑張ろうとする姿だけでも、ついつい涙腺がゆるんでしまいます。

ともかく、若干気になる点はあるものの、幅広い人が楽しめる、映画ならではの魅力に溢れたヒューマンドラマとして、この『湯を沸かすほどの熱い愛』を大いにオススメします。

上映開始時期に地域格差があり、2017年1月7日開始のところも多いのでご注意を(これはなんとかしてほしい……)。
<上映劇場>

以下は結末を含めてネタバレです。鑑賞後にご覧ください↓

野暮な不満点:リアクションに困るパンツ

えーと、9歳の鮎子は実の母が誕生日に戻ってきてくれると信じて、アパートの部屋の前で待ち続けてしまったために、おもらしをしてしまうんですね。
で、双葉が濡れたパンツを脱がせてあげるんだけど、安澄はそのパンツをアパートのドアノブにかけて、「鮎子、ここにあり!」と言いました

(((((((((((l|゚Д゚l|l)サササササッ<引いてる

うん、あの、逃げた母親への腹いせというか、抵抗としての意味で「娘がいた痕跡を残す」というのはわかるんですが、おもらしパンツをドアノブに残しておくってさすがに引いたんですけど。数日後どえらいことになるで。

もう1つどうしても気になったのは、双葉はお店で気を失うくらいに病状が悪化していたのに、娘2人を連れて、自分が車を運転して旅行に行ってしまうことですね。
一応、双葉は浩一には「休み休み行くので」と言っていましたが……それでも事故を起こす可能性を見越して、代理のドライバーを頼んでほしかったなあ。

双葉は「先延ばし」をする性格だった

双葉は、いじめられている娘の安澄をむりやり学校に連れて行こうとしたり、安澄をその場に取り残して本当の母親と合わせようとしたりと、かなりキツいことも強要していました。
しかし、彼女はじつは、もともとはいろんなことを「先延ばし」にしていた性格だったんです。
序盤にあった、以下の出来事だけでも、そのことがわかるでしょう。

  1. よれよれになった安澄のスポーツブラジャーを見て「まだ大丈夫よね」と言っている。
  2. いじめられて絵の具にまみれになっている安澄を見て、「何色が好き?」「お母ちゃんは、断然、情熱の赤が好き」と別の話題を切り出そうとしている。
  3. 探偵を頼むとあっさり元夫の浩一の居場所がわかったので、「こんなに簡単に見つかるんですね……」とつぶやく
  4. 安澄の本当の母親(君江さん)に返すお礼の手紙について「若い子にもらったらうれしいでしょ」ともっともらしいことを言ってごまかしていた。

思えば、銭湯を休業していたのも、現実からの「逃げ」のようなものだったとも考えられますよね。

現実に立ち向う

余命がわずかであると宣告された双葉は、安澄を甘やかさずに戦わせようとし、自分も浩一に会いに行って銭湯を再開させます。
死が迫り、時間が少ないからでこそ、双葉は先延ばしをせず、すぐ目の前の現実と戦うことができた……というのは皮肉的でもありました。

結果的に、安澄はいじめに立ち向かうために、教室の中で下着姿になってしまうという、とんでもない行動をしてしまいます。
安澄には、机の横の「笑って」という書き文字を見て、なんとか日々を過ごすという選択肢もあったのかもしれませんが……そのように勇気を振り絞り、現実と立ち向かうことも、必要なのかもしれません。

切ないのは、それほどまでに一心不乱に行動している双葉が「銭湯は、家族4人揃ってやること」と宣言していることですね。
それがすぐに叶わなくなるのは、わかっているのに……。

本当の娘だと気付いて欲しかった

双葉たちが、安澄の本当の母親(君江さん)が働いているお店に行ったとき、双葉は「あなたの娘です」などと話したりはせず、普通に食事をとっていました。
だけど、双葉は会計を済ませたとき、いきなり君江を平手うちにしてしまいます。

安澄にはいじめに立ち向かうように強要しようとしていた双葉ですが……ここでは君江に自分の娘だと気づいて欲しいと願っていたのだと思います。
この後に双葉が安澄を取り残して、むりやり君江に会わせようとしたことも、「本当はやりたくはなかったこと」なのではないでしょうか。

ここまで、他者に何かを「強要」していた双葉が、自分から行動できるように君江に「選択肢」を与えていた……。
余命わずかな彼女にとって、君江から安澄のことに気づいてもらうというというのは、切実な願いだったのでしょう。

エゴかもしれない

この物語で上手いのは、双葉の行動を「愛」ばかりではなく、「エゴ」かもしれないという含みを持たせていることです。

  1. 鮎子の本当の母親が現れなければいいと思っていた
  2. ヒッチハイカーの拓海には「あなたが自分の時間を無駄にしているのを見るとヘドが出る」と言っていた
  3. 安澄を君江の元に置き去りにした後、水族館のクラゲの前で「(君江は)私よりずっと若くて……」という嫉妬めいたことを口にしていた
  4. 自分の母親が玄関先で「自分のような娘はいない」と言っておきながら、幸せそうに孫をあやしているのを見て、モノをぶつけて去ってしまう

双葉は、決してよい人間ではありません。
これらの行動すべてが「その人のため」というだけでなく、「私は死んでしまうのに、なぜあなたは……」という身勝手な嫉妬にも思えてくるのです。

でも、それでいいのだと。
死を宣告されれば、そう思っても仕方がないことです。それが人間でしょう。

土下座じゃなかった!

大感動したのは、浩一がみんなに「土下座」をして何かを頼もうとしていると思いきや、それが「組体操でピラミッドを作ってあげる」という意味だったことです。

こいつはかなりダメ人間で、久しぶりに会った知り合いに怒られてもヘラヘラしていたんですよね。
そんなやつが土下座なんて安っいわーと思っていたら、土下座じゃなくて妻へのプレゼントそのものやったんかい、というこの衝撃!
この展開は読めなさすぎでした。

これから

安澄が自分の料理に「60点」という厳しい評価をしていたのも大好きでした。
お母ちゃん(双葉)がいなくなるから、これからもっと努力して、100点にしようとしていたんだろうなあ……

安澄が、意思の疎通もできなくなった双葉の前で涙を見せないように堪えたのもグッと来た!
「残される者」である安澄が、「これからの生きる強さ」を双葉に見せようと頑張ったのですね。

湯を沸かすほどの熱い愛

先ほどは、双葉の行動がエゴや嫉妬によるものかもしれないと書きましたが、最終的にこの物語は「愛があれば(愛と感じていれば)それでいい」という結論に導いています。

霊柩車を運転した探偵の男は、川辺で「本当はダメです」「でも、OKです」と“(法律的に)アウト”っぽいことを浩一と話していました。

そして……双葉の遺体を燃やすことで、銭湯のお湯が沸き、みんなはそのお湯につかっていました。
煙突からは双葉が好きだった「情熱の赤」の煙がどんどんと出てくるのです。

もちろん、これは法律的に許されることではありません。
だけど……たとえそうであっても、彼女のためにそうするだけの価値があるー。
燃える火に被さった『湯を沸かすほどの熱い愛』のタイトルを見て、そう思いました。

また、このタイトルは双葉から家族への愛というだけでなく、家族から双葉への愛を意味していたんですね。
以下の会話からでも、そのことがわかります。

「双葉さんって不思議な人ですよね、あの人のためならなんでもしてあげたいと思う」
「それは、その何倍もしてもらっているということなんだろうなあ」

これは、みんなの「大切な人に何かをしてあげたい」という……しかも“湯を沸かすほど”の力強い愛の素晴らしさを描いた作品だったんですね。

ちなみに、このラストは黒澤明監督の『天国と地獄』のオマージュとも言えますね。

まだ観ていない人のために、どこをどうオマージュしているかは、秘密にしておきます。

(C)2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会

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  1. […] ちなみに今年書いた映画感想で一番気に入っているのは『湯を沸かすほどの熱い愛』です。監督の過去作もまとめたので。 […]

  2. 少年Z より:

    ヒナタカさま
    いつも、拝読させてもらっています。

    >だけど、双葉は会計を済ませたとき、いきなり君江を平手うちにしてしまいます。
    安澄にはいじめに立ち向かうように強要しようとしていた双葉ですが……ここでは君江に自分の娘だと気づいて欲しいと願っていたのだと思います。

    →見ているときは平手打ちした意味がよくわからず、後から赤ん坊の安澄を置いて出て行った事に対するものなのかなと思っていました。そういう解釈もできますね。

    ラストは私には受け入れがたいものでした。いくら愛を表現するためだからといって、人の尊厳を踏みにじっていいのだろうかという思いが残りました。それに、せっかくいい映画なのに、私の苦手なホラー映画を見た感が残ってしまったのが残念でした。

    では、失礼します。

    • hinataka hinataka より:

      >後から赤ん坊の安澄を置いて出て行った事に対するものなのかなと思っていました。
      そうなのでしょうね。「初めは我慢していた」のだと思います。

      個人的に、ラストは尊厳を無視したというよりも、「法律を冒してまで、あの人のために何かをしたかった」と、好意的に受け取りました。
      それでもギョッとする方が多い、賛否が分かれるのは当然ですよね。

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著者

ヒナタカ

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