映画版『僕だけがいない街』原作マンガとアニメからいかに改悪されたかを語ってやる(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

映画版『僕だけがいない街』原作マンガとアニメからいかに改悪されたかを語ってやる(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)

だいぶ遅れてしまいましたが、今日の映画感想は僕だけがいない街です。

個人的お気に入り度:4/10

一言感想:バカなの?(終盤の展開とセリフに対して)

あらすじ

ピザ屋のアルバイトをしながらマンガを描いていた29歳の藤沼悟(藤原竜也)は、事件や事故が起こる前に時間が戻る「再上映(リバイバル)」という能力を持っていた。
悟はある事件をきっかけに小学生時代に戻り、児童連続誘拐殺人事件の真相に迫っていく。

三部けいによる同名マンガの実写映画化作品です。

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原作は、ミステリー、ジュブナイルもの、タイムループ(SF)作品を融合させたエンターテインメント性と、理路整然とした語り口に夢中になれる傑作でした。

アニメ版も、優れた演出と、原作に則した丁寧な話運びが高く評価されている作品でした。

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自分は原作マンガを第7巻まで、アニメは最終話(12話)までを観ました(原作マンガの最終巻は4月26日発売です)。

そのうえで今回の映画を観た感想は……端的に言えば映画ならではの演出は素晴らしい!だけど、終盤の展開にはガッカリだよ!ということです。

原作とアニメでは、主人公のナレーションがとても多くなっています。
(これは「小学生の主人公が大人の思考をしている」「よりストーリーがわかりやすくなる」ということで決して悪いところではありません)

ところが、映画では主人公のナレーションが必要最低限にまで減少しています
ナレーションは2、3箇所のみで、過度に「語り過ぎない」ようになっていたのです。

これは英断でしょう。
実写映画では役者の演技や、細やかな演出で「語らなくてもわかる」という要素があるのですから、ナレーションで説明するのは野暮になってしまうところもあります。
映画版『僕だけがいない街』は、文字量の多い原作の内容をうまく汲み取って、「語り過ぎない」ように調整しているのです。

そして、誰しもが思うであろう子役の演技の素晴らしさ
中川翼鈴木梨央も大人顔負けの名演技をみせているので、ここだけでも映画版を観る価値があるはずです。

僕だけがいない街子役ふたり

さらには、原作には存在しなかった細かい描写も増えています
ほんのちょっぴりの追加ではありますが、より登場人物の気持ちが伝わるようになっていました。

平川雄一朗監督の『ROOKIES -卒業-』や『ツナグ』などのフィルモグラフィには1ミリたりとも惹かれない(好きな方ごめんなさい)のですが、今回に限っては本当によい演出をされたのではないでしょうか。

あ、あとクズじゃない藤原竜也が観られるのも貴重ですね。最近の彼はクズ役が定着しすぎていたもんなあ……。
石田ゆり子(46歳)が「若づくりすぎてお姉さんにしか見えない母親」を演じているのもいいですね。

終盤にはガッカリだよ!

そんなわけで、原作ファンとしては序盤~中盤は大いに感動していたのですが……終盤はどうしてこうなった
詳しく言うとネタバレになってしまうから↓に書きますが、これでは明らかに物語のつじつまが合わなくなってしまっています。

原作はあらゆるところに矛盾が生じないよう、緻密に計算された作品だったはずです。
(原作では主人公の年齢に誤りがありましたが、後の版では修正されるなど、矛盾点がないように徹底されています)

世にあるタイムリープもののSFも、荒唐無稽にみえても、どこかに破綻が生じないように精密に作られているものです。
でも、この映画の終盤の展開は「あそこがおかしい」「こことここがつながらない」といくつでも文句が出てきてしまいます。
こんなことなら、原作から変えなくていいのに……。

映画オリジナルのセリフもひどく陳腐なものもあったしなあ……。

そんなわけで、原作を読んでいないSF(タイムリープもの)ファンにとっては雑な作品に思えてしまうでしょうし、原作ファンにとっては変更点を大いに不満に感じてしまうでしょう。

それでも、「原作やアニメのほうがおもしろいから、こんな映画は観なくていい!」とはなりません。
なぜなら、前述したように実写映画ならではの「語り過ぎない」演出、追加された細やかな描写、子役の演技という魅力が確かにあるからです。
女の子が見せた涙には、こっちまでもらい泣きしそうになってしまいました。

なお、『僕だけがいない街』で扱っているのは児童連続誘拐殺人事件です(日本中を震撼させた宮崎勤の事件を反映しているところもあるのでしょう)。
単なる娯楽に留まらず、「児童を救うにはどうすればよいか」という気づきも与えてくれることは、本作の大きな意義と言えます。

『僕だけがいない街』は、原作、アニメ、映画版、それぞれに違った魅力のある作品です
「どこが違うのか」を人に聞くのもいいですが、ぜひご自身で「違い」を確認してほしいです。
はっと気づけることが、きっとあるはずです。

以下、映画版の結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
原作マンガ、アニメ、映画における「大局的な違い」に触れています。原作とアニメに触れていない方のために、詳細な違いは書いていませんが、人によってはネタバレと言えるかもしれないのでご注意を。


<まずは不満点についてたっぷり語るよ!>

野暮な不満点(どう考えても矛盾していること)

小学生の悟が真犯人をつきとめたために池に落とされた後、大人の悟が「バイクの交通事故にあった後に目覚めた」のは悪い意味で驚きました

このせいで生じる矛盾点は以下のふたつです。
・「真冬の池に落とされた悟」という事実はどこに行った?
・バイクの事故を起こしたということは、悟はこの時空でもピザ屋のバイトをしているはず。その後に同じバイトで働いているはずのアイリと「初対面」となるのはおかしいのでは?

原作で描かれていた「真犯人の悟への執着」なんて完全に消滅しているしなあ……。
あと、これだと青年・白鳥潤(ユウキさん)の冤罪も晴れていないのではないのでしょうか。

原作(またはアニメ)を読んでいない方のために詳細を書くのはやめておきますが、原作でのこの一連のシーンは、作品の大きな方向展開であるとともに、終盤に向かっての「ステップ」となる重要な要素であるうえ、タイムリープものとして矛盾のないものでした。

上映時間の短縮という意図もあったのでしょうが、これだけはどうあっても「改悪」としか思えなかったのです。

そういえば、アイリが「(悟の描いている)マンガに勇気をもらっている」と話すのも映画オリジナルですね。
しかし、これも「アイリは悟がマンガ家であること知らなかった」ということと矛盾しています(マンガ本にはペンネームではなく、思い切り藤沼悟という名前が書かれていた)。
この辺でツメの甘さを感じてしまうのはいかがなものかなあ……。

なくてちょっぴり残念だったこと

原作の悟は「声に出てた・・・」と、思ったことをそのまま口にしてしまう癖があるのですが、映画ではいっさいありませんでしたね。
これは実写映画で描くと変な表現になりそうなので削ったのは英断だと思うものの、悟の人のよい性格をうまく示していますし、アイリ(加代も)が言っていた「言葉ってさ、口に出して言っているうちに、本当になっていく気がする」とシンクロしている要素でもあるので、やはりないと寂しいですね。

原作から削除されたシーンはいろいろとありますが、中でも「加代が給食費の泥棒にされてしまう」エピソードはほしかったですね。悟と加代の関係性が大きく前進する出来事だったので。

また、悟と加代の誕生日は、原作では「加代が殺されないことが確定するXデーだ(その日を乗り越えれば加代は殺されない)」と説明されているのですが、映画の悟は「これで虐待もされず、大丈夫だろう」という根拠のないことを言っていました。
ここは原作と変える意図がわからないなあ……。

あと、「悟からのメール」は原作では火事現場にいるアイリに送っていたのだけど、なぜか映画では悟本人に送られていました。本人に送ってどないすんねん!偽装にならないだろ!

時間の制約上しかたがありませんが、八代先生の過去や、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の引用などの要素もカットされました。知りたい方は原作を読みましょう。

なお、映画の悟は流転の末、「妊婦になった加代」と再会することができましたが……原作の感動には遠く及びません。
なぜかと言うと……いや、これは言えないや。原作を読んでください。
原作ファンにとっては「誰の子やねん」とツッコミたくなるしなあ。いや、原作読んでいなくても思うか。

ぶん投げられた伏線

かなーり許せないのは、「原作にあった伏線を取り入れたけど、けっきょくぶん投げている」という要素があったこと。

「上野から電車1本でいけるんだ」という悟のセリフは、原作ではやがて「母親が実感する」シーンにつながっていくのですが、映画では母親が困惑しただけで終わってんじゃねーか
まあ、映画だけでも「母親に言えなかった取るに足りないこと(でも言いたかったこと)」を示しているのでいいのですが……。

また、冤罪を被った青年・白鳥潤(ユウキさん)のフォローもぜんぜんありませんね。映画ではただの怪しい人、ミスリードだけで終わってないか?
原作では彼の「その後」も語られているので、読んでみてほしいです。
※ユウキさんはラストの葬式にいて、お墓に花を手向けていたというコメントをいただきました。

後味の悪いところ

そもそも、悟は加代を救うことができたものの、けっきょく真犯人の八代先生はほかの小学生女児を殺害しまくっていました

原作では、悟の親友のケンヤと、ジャーナリストの澤田さんが女児殺害事件の犯人を追い続けていました。
そこから「決着をつけるために戦う」シーンがあるから救いになっているのですが……映画では最後に(身近な大切な人を救えたものの)「ほかの関係ない女児がけっきょく殺されてしまった」という帰着になっているので、酷く後味が悪いのです。

信用したい?

もうひとつ展開としておかしいと思えるところは、小学生の悟が明らかに疑っている八代先生のクルマにホイホイと乗ってしまうことです。
ちがうよ!原作の悟はクルマに乗るまで八代先生を微塵も疑っていなかったんだよ(だからでこそ乗った)。

しかも悟が八代先生を疑ったきっかけは「八代先生は児童相談所に前にも虐待の事実を話していたと言っていたが、じつは相談したのは今回は初めてだった」というものだった。なんじゃそりゃ!そんなウソはすぐバレるだろ!

ただし、「悟が、疑っている人物にホイホイついていってしまう」ということには一応の理由があるとも考えられます。
なぜなら、アイリは自分の父親が万引きをしたと疑われた過去を引き合いに「信じたいと願う気持ち」を訴えていたから。

ともすれば、悟が八代先生のクルマに乗ってしまったのは、「信じたい」という希望に賭けたから(疑いたくなかった)ともとれます。
疑うかどうかよりも、悟は目の前でさらわれた(と勘違いした)女の子をなんとしてでも助けるため、致し方なくクルマを運転できる八代を頼った、ともとれますしね。

がっかりなセリフ

まあいろいろと不満点を語りましたが、これらは以下の悟の素っ頓狂なセリフに比べたらだいぶマシです。

(すべてをゲロッた真犯人の八代先生に向かって)
「先生はこの手で加代の未来を救えって言ったよね!」
「俺に勇気を与えてくれたのは先生なんだよ!」
「先生は正義じゃないとダメなんだよ!」

このセリフを聞いたときの自分の顔↓
般若

なんでこの状況で「先生はこうあるべきです!」という持論を叫ぶのかさっぱりわからん。そんなもんは教育委員会に言えよ!
目の前にいるのは(先生がどうこうではなく)大切な人を殺そうとしたどころか女児を殺しまくっているど畜生だろうがよ!

これは、悟が「正義の味方」を目指していることを、さらにクローズアップしてしまった結果なんだろうな……。


<メタメタに言いまくったので、ここから褒めます>

ナレーションで語らなかった、秀逸なシーン

加代は、「演じてでも好かれるようになりたい」と口にした悟に、「私も、演じていくうちに本当になっていくと思う」と返していました。
原作では、ここで悟がナレーションで加代の気持ちを代弁しています(映画ではありませんでした)。

だけど、映画だけでも、加代が虐待で傷だらけになっても「(傷は)転んだの」とウソをついている(演技をしている)ことがわかります。
加代は辛い虐待から逃れるため、本当に「傷は転んでできたもの」と思いこもうとしていたのかもしれません

もうひとつあってよかったのは、加代が自分の家から離れて3日目、藤沼家で朝食を食べたときに、加代が思わず涙してしまうシーンでした。
ナレーションなどなくても、加代がこれまで暖かい朝食など食べてこれなかったこと、その食事がどれだけうれしいものであったかが、わかります。

描かなくてよかったこと

原作では、加代を虐待していた母親の過去が描かれており、「少し同情してしまう」余地がありました。
(決して悪い描写ではありません)

映画でこの要素を描かず、母親が完全な悪人になっているのは、むしろよかったのではないかと思います。
最低な両親を論理的に打ち負かすというカタルシスもありましたしね。

映画で追加された細かい演出

悟は、バスの中にいた加代に「(児童相談所の人が来ると)母さんと離れ離れになってしまうかもしれないけど、それでもいい?」と聞いたとき、加代は「それってすごくうれしいことだよ」と答えていました。
このときの悟は、困ったような、それでいて寂しそうな顔をしていました(この悟の表情は原作では描かれていませんでした)。

この表情をしたのは、悟が母親に大切にされ、また悟も母親を大切に思っており、しかも母親が殺されてしまうという「未来」を経験したためでしょう。
悟にとって、「母親がいないほうがうれしい」という加代の言葉は、どれほど辛いものだったのでしょうか。

そのほか、悟と加代がいっしょにケーキのロウソクを吹き消すシーンも映画オリジナルですね。
ふたりが「運命共同体」のように見えて、とても好きなシーンです。

僕だけがいない街

映画において、タイトルの「僕だけがいない街」は、「自分は死んだ(いなくなった)けど、大切な人たちが生きている街」という解釈がなされていました。

じつは、「僕だけがいない街」というタイトルの解釈は、原作マンガ、アニメ、映画でそれぞれまったく異なっているのです。
しかも、クライマックスの展開もそれぞれ違います

それぞれどう違うかは、ぜひ読んで(観て)確認してください。
個人的な好みで言うと、タイトルの解釈はアニメ、原作、映画の順で好きだったりします。

余談ですが、名シーンのひとつである「2月のクリスマスツリー」の演出も、アニメがいちばん好きですね。
アニメ版の加代のセリフ「バカなの?」はかなり感動できます。

正義の味方

悟は、自身のマンガの中で、ヒーローにこう語らせていました。

「戦うのは辛くて怖い。誰かがなんとかしてくれるのを待つほうがよっぽど楽だ。
だけど、待っていたら繰り返し繰り返し、後悔するばかりだ。
だから僕は戦う、生きるために。
だから僕は仮面をつけている、いつか本当の勇気が持てるように」

これは、ただただ大切な人を救おうと、時空を駆け抜けた男の物語でした。
彼は「見て見ぬ振り」なんか、したくなかった。
その後悔こそが、リバイバルという能力を生み出したのでしょう。

誰かが困ったとき、誰かを救いたいと思ったら―
待つだけでなく、悟のように、ヒーローのように、勇気を持って行動したいものです。

評判のよい小説版。「その後」が描かれているそうです↓

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同原作者のオススメマンガ。こちらも児童虐待(ネグレクト)のシーンがあったりします↓

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(C)2016 映画「僕だけがいない街」製作委員会

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  1. sakura より:

    なんで、母親が殺された時、逃げたんだろうかな?
    同居していれば、指紋なんなあったって、当然だし、ほかに問題がなんかあったっけ?
    意味不明の行動でした。

  2. ヒナタカ より:

    > なんで、母親が殺された時、逃げたんだろうかな?
    > 同居していれば、指紋なんなあったって、当然だし、ほかに問題がなんかあったっけ?
    > 意味不明の行動でした。
    原作でも少し思うところですが、まあ逃げていく犯人を追ってしまっていたのでそれなりには納得できるのではないかと。
    これも主人公の正義感ゆえの行動ですしね。

  3. onobu より:

    なるほど〜。
    読んでいてシーンが頭に思い浮かび、たしかに終盤は矛盾点が多いな〜って思いました。
    中盤までは子どもたちの演技に引き込まれて時間忘れてたんですが、森カンナが急に出たときは笑ってしまい…(笑。「だれの子だよ」(笑
    子役のみんなの今後の活躍が楽しみです!

  4. ダーク・ディグラー より:

    この漫画読んだ時終盤に行くにつれ酷くないか?と原作問題になっちゃうんだよな。
    ヒナタカさんは宮崎事件を連想したけど僕は『僕だけがいない街』って明らかにスティーブン・キングの小説『IT』そのままです。
    少年たちがキラークラウンという怪物と大人になって戦うってプロットは『ジョジョの奇妙な冒険』の4部や『20世紀少年』とさんざんやられてるのであんまり新しい感じはしなかったな。
    この実写映画版の構造上悟って原作やアニメにあるお父さんみたいな人にメロメロって要素入れてないから(母子家庭だからね)悟対八代の対決軸が成り立たない。
    後、これ原作の問題になるけど八代ってそんなに魅力的な悪役に見えないんだよね。
    正直八代ってダース・ベイダーというよりカイロ・レンでしょ(笑)
    本来は『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーや『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンみたいにメンターで乗り越えるべき敵という軸にしなきゃいけないのに八代って正直厨二病的悪役で読んでて辛い(笑)
    正直芥川龍之介の『蜘蛛の糸』しか読んでないのがミエミエでそこらにいる殺人鬼にしか見えない(笑)
    何か八代を弁護するスピン・オフする漫画が連載予定だけど八代ってそんなに人気あるの?
    及川光博が八代役って聞いた時にあの悪役をミッチーならもっと深い役になると思ってたらやっぱりただの厨二病キャラでミッチーなのに掘り下げようによっては『コードギアス』のルルーシュみたいなカリスマに化けると思ったのになぁ…
    後、原作漫画の問題でいくらなんでも警察無能過ぎるだろ!
    原作漫画ではクズの兄貴や嫁さん自殺に見せかけて殺してるんだから普通は第一容疑者の候補に挙がってもいいだろ!
    そのうえ原作進むに連れ設定がおかしくて八代って代議士になるけど普通は代議士になる奴は身辺調査とかされて過去の殺人も露見するだろ!とかもう無理があり過ぎる。
    そもそも北海道内で『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のミッキー&マロニー並みに殺してるから漫画もアニメも実写映画も変にリアリズムで作ってあるから警察の存在がどうなってるの?って問題がありますね。
    後、終盤実写映画版はただの火曜ワイドサスペンス劇場になるんですが漫画もアニメも終盤酷くてアニメは病院って自殺防止用の柵あるしあんなデカいマット普通は幼稚園児でも気づくだろ!ってバカって思いながら見てました。
    漫画も酷くて終盤とんち番長のとんち対決みたいな展開になって「さっさと警察呼べバカ!」と思いながら読んでました。
    なお実写版映画『僕だけがいない街』の最大の笑いどころはエンド・クレジットです。
    ”この映画には動物に虐待してません”ってのが載って吹いた。
    原作で八代が少年時代に飼ってたハムスターの生き残った一匹を“スパイス”(これも原作読んで厨二病的で嫌だった)の絡みが映画にないからハムスターの映像並べても困るんだよね。
    後、これは連載モノの構造上の問題になるけど当初は愛梨がヒロインだったけど途中から雛月がヒロインになるんだよね。
    雛月ってフィルム・ノワールモノで言うならファム・ファタールになっちゃってるのにも関わらず終盤では物語の整合上ただのモブって酷くねぇ?
    後、原作もアニメも悟が漫画家として成功して愛梨と再会して終わるけどここまでご都合主義が酷いとなんなんの?と言う疑問も…
    これも原作問題でモノローグや台詞の多様で読んでてキツいんだ(笑)
    そこは実写映画では極力無くしてるのは偉いと思います。
    原作って一番面白いのは過去編の小学生同士のキャキャ感があってサスペンス部分はあんまりトリック使ってないんですね。
    後,アニメや実写映画になく原作漫画の良い所って29歳のボンクラ青年が小学生になって間抜けギャグ飛ばすというのが面白い要素で時折原作漫画って過去編はユーモアやギャグ入れてるんですね。
    だけど現代篇や終盤一切ユーモアやギャグ無しでキツかったな…
    まぁ個人的にはメディア・ミックスですべてが崩壊した作品だと思います

  5. 原作は未読、アニメも未視聴ですが、これってもしかして母もタイムリープしていません? 或いは“ひぐらし”的に記憶の断片が残っていませんか?
    と言うのも、かなり序盤から妙な感じがしていたのですが、中盤辺りになって明らかに「何で母がこのことを知っているのだろう?(或いは、理解しているのだろう?)」と思うことが出てきたからです。
    悟に最後までやれと言ったり、最後までやったらこうなったという発言に疑問を抱かなかったり、さらに悟と加代に付いてきたり。
    もし母もリバイバルしていると解釈すると、「本当は上野まで電車1本で行けるんだ」という台詞の意味が違ってきます。母・佐知子は、明確にその言葉の意味を理解していなくとも、目の前の悟が既に未来とを何度か行き来していることの示唆になりますし、“今回”が運命を変えるヤマ場だと伝える意味も持ちます。
    あと、地元の人間として不自然に感じてしまうのは、船橋に住んでいる主人公たちが印西のビッグホップに出掛けていること。
    別に出掛けたって、そんなのは個人の勝手なのですが、彼らがクルマを持っていない以上、電車やバス、タクシー等で来ることになります。船橋の人間にとって印西って思いのほか行くのが面倒な場所なんです。
    しかもビッグホップって大したショッピングモールでも無く、船橋には西武もららぽーともイケヤもあるので、船橋の人がわざわざ来るような施設でも無いんです。印西にはビッグホップや牧の原モア、イオンモール千葉ニュータウンなど、絵的に映える商業施設が多く、よく撮影には使われるのですが、「上野に電車1本」という台詞があるので交通の便を考えると地元民ならではの違和感を抱いてしまいました。

  6. いいこま より:

    といっても原作未読でアニメ版だけですが。
    原作未読ゆえアニメ版との比較になりますが、原作者が特に注文も付けませんでしたし個人的にもいうほどナシとは言わないもののやはり「終盤はどうしてああなった」という感じでアニメ版の方がよかったなと思います(原作者は大人の対応の可能性はあるにせよのれたと述べてるので好き嫌いによるところはあるかもしれませんが)。
    あとアニメ版は結構好きですがダーク・ディグラーさんのコメントに関して「そこのところはあまり気にしてなかったけど確かにそうかもしれない」と思いました。それでも喩えご都合主義だろうと個人的にはアニメ版のあのラストは好きですけどね。
    >小学生の悟が真犯人をつきとめたために池に落とされた後、大人の悟が「バイクの交通事故にあった後に目覚めた」のは悪い意味で驚きました。
    >>あれそういう構図だったのですね。失念してました。
    あとアニメ版では母親がコンビニでバイトしつつ15年間(となると2006年じゃなくて2003年?)息子の看病をし目覚めたときに落涙してたと記憶してるのですがそれがなかったので「えっ!?」ってなりました。正直、変にいじらない方がよかったかと。
    >原作で描かれていた「真犯人の悟への執着」なんて完全に消滅しているしなあ……。
    >>自分もそこが気になりました。「そこ重要だと思ってたのに省くのかよ!?」「ハムスターのくだりも重要なんじゃ…」と思いました。
    それと自分の勘違いかも知れませんがアニメ版において真犯人は悟がこん睡状態の間犯行をやっておらずそこからも悟への執着を感じてたので「えー?十数年の間にもやってたんかい。っていうかそれじゃダメだろ」となりました。
    >「上野から電車1本でいけるんだ」という悟のセリフは、原作ではやがて「母親が実感する」シーンにつながっていくのですが、映画では母親が困惑しただけで終わってんじゃねーか。
    >>アニメ版で件のシーンを見たときに「ああ…」と切なくなったなあ…。そこも正直省かないでほしかったものです。
    >あと、「悟からのメール」は原作では火事現場にいるアイリに送っていたのだけど、なぜか映画では悟本人に送られていました。
    >>悟本人ていうか愛梨が自らの携帯を渡しててそのことを知らずに真犯人が送ってしまったからあのシーンになったというわけなので、間が抜けてますし意味がないですがまあしょうがないかと。
    >なお、映画の悟は流転の末、「妊婦になった加代」と再会することができましたが……原作の感動には遠く及びません。
    なぜかと言うと……いや、これは言えないや。原作を読んでください。
    >>アニメ版でこのシーンを観た際に「悟が命を救った甲斐があったな…」と感じてたのが、そもそも3人の被害者のうち一人だけ変えてたので「台無しにしてどうする」ってなります。
    >悟と加代の誕生日は、原作では「加代が殺されないことが確定するXデーだ(その日を乗り越えれば加代は殺されない)」と説明されているのですが、映画の悟は「これで虐待もされず、大丈夫だろう」という根拠のないことを言っていました。
    >>誘拐殺人の回避は兎も角なんで虐待されなくなると思ったんでしょうねえ…。
    >もうひとつ展開としておかしいと思えるところは、小学生の悟が明らかに疑っている八代先生のクルマにホイホイと乗ってしまうことです。
    >>アニメ版では件のシーン以前から真犯人に対する疑念はあったものの確定事項がなくここでやっと確信に変わった感じでしたが映画じゃあの時点で既に「これは少なくともアニメ版と同じだな」というのが確定してたように感じるだけに妙です。
    ただその後「先生は犯人じゃないよね!?」という旨を何度も述べてたので「結局信じたかったから」が正解なのかもしれません。そうでなかったらそれこそ「バカなの?」と言いたくなりますが。
    >「先生は正義じゃないとダメなんだよ!」
    >>自分もあの台詞は「いやいやいや…」ってなりました。まあ「信じたかったのに裏切られた悲哀」ってことなのかもしれませんが。
    >映画だけでも、加代が虐待で傷だらけになっても「(傷は)転んだの」とウソをついている(演技をしている)ことがわかります。
    加代は辛い虐待から逃れるため、本当に「傷は転んでできたもの」と思いこもうとしていたのかもしれません。
    >>母親の前で正直にぶちまけたら後で殴られると思って言えなかったのかなあ、と思ってましたが…なるほどもしかしたらそういう意味合いもあったのかもなんですね。
    >加代が自分の家から離れて3日目、藤沼家で朝食を食べたときに、加代が思わず涙してしまうシーンでした。
    >>アニメ版の件のシーンが個人的に結構好きなのでカットされなかったのが幸いです。
    >じつは、「僕だけがいない街」というタイトルの解釈は、原作マンガ、アニメ、映画でそれぞれまったく異なっているのです。
    >>なんと…それを聞くと原作を読まねばと思いました。
    因みに自分も実写版よりアニメ版の解釈の方が好きですし「そっちにしてほしかった」と思うところはありますがそれでも「死していなくなってもなお大切な人は生きている」という解釈もまた好きなのでこれはこれでよかったなと思います。
    少なくとも没後10年経ってもなお献花してくれる人たちがいるってある意味幸せ者ですよ。
    >なんで、母親が殺された時、逃げたんだろうかな?
    >>犯人を見つけてつい追ってしまいそれから通行人に手に付いた血を見られて咄嗟にまずいと感じてしまい冷静な判断ができずについ逃げてしまったというところだと解釈してました。
    >原作は未読、アニメも未視聴ですが、これってもしかして母もタイムリープしていません?
    >>明示されてませんがもしかしたらその可能性も…?
    アニメ版も普通に大体がそうだったので違和感が仕事してなかったです。
    余談ですがシオンソルトさんが仰るのとは別の意味での違和感として河川敷で悟が警察に確保された時の警察車両が2006年時点では製造されてない車種だったのが地味に気になってました。
    まあ気にするだけ野暮かもしれませんがその意味でも詰めが甘く感じてしまいました。

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ヒナタカ

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